回想/王都
決断しかねていたシェスの元に、王都へ一度帰還するよう命令が下ったのは、着任から約一年後のことである。
その理由は、次代大聖女判定のため、とあった。
大聖女の訃報はこの辺境にもすぐさま届いていたので、予想できていたことだ。
――でも、私を王都に向かわせることなんてない、とも思ってたんだよな……。
正直、王都に戻るのは気が重かった。
大聖女であるはずがないというのに、のこのこと、とそんな目で見られると想像がついたから。
あちらはあちらでシェスを呼び出したくなどないはずだ。
任地へ発つシェスに向けられた、敵意に満ちた視線を思い出せば、そんな確信しか持てなかった。
しかし大聖女の判定は、万が一にも大聖女が見つからないことのないよう、十二歳以上の神聖力を持つ全ての者が受けなくてはならないと定められている。
何代も前のことだが、大聖女が見つからず大事になったことがあるのだ。
大聖女判定は、国――王家と、神殿――エヴァジオン家の両者が関わるものである。
おそらく、エヴァジオン家が厳格に大聖女判定を行うことを求めたのだろう。
大聖女は、聖女の中から特別に選ばれる一人だ。
女神は、最も信頼する女性の一人に、膨大な神聖力に加え、二つの力を贈った。
一つは、増幅能力。
もう一つは、要石や結界の知識、それらの管理権限だ。
それらはより神に近い力で、受け取れる者が限られていたという。
そのため、聖女のように血統で受け継がれず、持ち主が亡くなった際、自ら次の持ち主を選んだ。
その存在こそ、大聖女だ。
大聖女の役目は、王城にある要石に神聖力を注ぐと共に、増幅能力を使うこと。
王城の要石――他の要石と区別して、大要石と呼ばれる――は地方の要石と繋がっている。
大聖女が聖女たちの注いだ神聖力を増幅させることで、国全体を覆う巨大な結界の常時維持が可能になっているのだ。
また、大聖女は要石の修復を行う。
女神がいた時代から使われている要石は、大聖女の修復あってこそ長い長い年月を使用に耐え、国を守ってこられたのだ。
大いなる力を持ち、貴重な役目を果たす大聖女は、「女神の代理人」とまで呼ばれることもあった。
そんな存在である大聖女に、感謝と畏敬の念を持たない国民はいない。
シェスもその一人だ。
だからこそ、そんな偉大な存在に自分が選ばれるわけはない、と彼女は信じ切っていた。
シェスが王都に発つことになったので、町には替わりに五名の聖女が派遣されてきた。
思わず半眼になったシェスだったが、迎えの馬車がまるで犯罪者の護送をするようなものだったので、それどころではなくなる。
それを見たソルとアミティエが揃って激怒したので、抑えるのが大変だったのだ。
けれど二人が怒るのも当然だと思った。
シェスたちはこの一年、国の命の通り、人々のために、国のために身を粉にしてきたのに。
それを無視する行いに、怒りを覚えないはずがない。
シェスにはもう怒る気力すら残っておらず、失望を大きくするばかりだった。
――あんなに頑張ってきたのになぁ……。
認めてもらいたいなんて、それは、シェスの勝手な思いだけれど。
自分勝手と分かっていて、それでもやはり、空しくて、悲しかった。
――これから、どうなっちゃうんだろう……。
国はシェスをまるで罪人のように扱う。
下位貴族の彼女の神聖力が高位貴族より優れているからという、そんな理由で。
それならば、今後もこんな扱いを受け続けるのだろうか。
そんな中で、自分は聖女を続けていけるのだろうか……。
何とか破壊されずに済んだ馬車に揺られながら、シェスは暗澹とそんなことを考えていた。
五日ほどかけ、一年ぶりの王都に到着する。
久々の王都は先代大聖女の喪に服していて、普段の賑やかさが嘘のようだった。
暗く沈むような雰囲気の街を抜け、馬車は王城の敷地内へ進む。
広大な城壁の内側に、大要石を安置するためにつくられた建造物があり、そこで大聖女判定が行われるのだ。
大聖女がほとんどを過ごすその建物は、豪華絢爛ではないものの、繊細な美しさを持っている。
疲れの抜けきらないところに、五日間の強行軍でぐったりしていたシェスだが、それには小さく歓声を上げてしまった。
それはソルも一緒で、そんな二人にアミティエが微笑む。
だが、そんな一幕は一瞬だった。
馬車が止まり、騎士が慇懃無礼にその扉を開ける。
道中もそうだったが、シェスをここに連れてくる役目を負った騎士たちの眼差しは、とても冷ややかだ。
シェスについて、一体何をどう聞かされたのだろうか。
シェスは小さく溜め息を吐き、意を決して馬車を降りた。
彼女をエスコートするソルの瞳が、気遣わしげだ。
その目立つ美貌から王立学院で視線を浴び続けていたソルは、卒業以来外ではフードを深く被るようになっている。
けれどシェスにはその金瞳を隠すことなく、彼女の顔を覗き込んでいた。
そんなソルを安心させられるよう、シェスは少しだけ笑って、彼の手を離す。
大聖女の判定には、一人で臨まなければならなかった。
大聖女判定は、まるで裁判のようだった。
大要石の側に、まるで裁判官のように、高位の役職を持つだろう男性が立っている。
そして、そこから離れた場所に、多くの立会人がいた。
その中に、王太子――プレジド・オル・パティールの姿がある。
女神とその伴侶である男性の、末裔。
聖女の管理は王室の管轄であるので当然のことなのかもしれないが、雲の上の存在がすぐそこにいて、シェスの緊張は高まった。
王太子のすぐ隣には、公爵令嬢ラヴィソンもいる。
二人を守る護衛騎士たちがシェスを見つめる眼差しは、ひどく厳しい。
他方、何らかの関係者なのだろうが、高位貴族と思われる者たちは、シェスの姿に眉を顰めるか、嘲笑を浮かべるかのいずれかだ。
――ボロボロ、だもんなぁ……。
シェスは俯き、かさかさに荒れた骨のような自分の手を見下ろした。
それは過酷な環境でやってきた彼女の努力と忍耐の結果だ。
だが、貴族令嬢や聖女には見えないみすぼらしさであると、その自覚はあった。
アミティエが髪は丁寧に梳いてくれたけれど、騎士たちに急かされたので、その髪を結うことも、化粧だってできていない。
身に着けているのは聖女に支給される、シンプルな白のワンピースだが、それもこの一年で随分とくたびれてしまっていた。
――泣きたい……。
覚悟はしていたが、居心地が悪すぎる。
けれど、涙が出そうなのは、つらさやみじめさのせいだけではなくて。
ソルと、アミティエの、案じるような眼差し。
刺すような冷たさの中で、その温かさが、沁みるようだった。
「大要石に、神聖力を」
厳かに言われ、ぐっと涙を堪えたシェスは、恐る恐る大要石に手を伸ばす。
周囲の視線は鋭さを増し、緊張感の漲る静寂が、ひたすらに痛かった。
他の聖女の判定時も同様の状況下であったのか、シェスには分からないが――立会人の中に紛れるアミティエの表情を見るに、おそらく違うのだろう。
――一体何がどうして、こんなことに……。
いくら何でもシェスを警戒しすぎではないか。
彼らの思っている通り、シェスはちっぽけな子爵家令嬢でしかないのだ。
侮るのならばそのまま、放っておけば良いのに――。
思いながら、北の町でそうしていたように、要石に神聖力を注ぐ。
そして。




