回想/初任地
聖女の務めは、この国――ローワ王国の結界を保ち、瘴気から人々を守ること。
瘴気は大地や大気に広がり、植物を汚染させ、動物を狂暴化させるものだ。人間の心身にも悪影響を与える害悪として、大陸中の人々から忌まれている。
その始まりは、遥か古。
この世界へ降り立った悪しき神が振り撒いたものだという。
悪神は女神ソラネルによって討たれたものの、彼の遺した瘴気は消えなかった。
女神は瘴気の浄化のため地上に留まり、やがて一人の男性と恋に落ちる。
彼は悪神を倒す手助けをし、女神の浄化を常にサポートしてきた人物で――女神と共に、一つの国を作った。
それが、ローワ王国である。
人と結ばれたことで人と同じ寿命となった女神は、死の間際に自分を支え続けてくれた人々に浄化の力――神聖力を分け与えた。
神聖力は女性にしか宿らなかったものの、子々孫々と受け継がれ、神聖力を持って生まれた者を後世で聖女と呼ぶようになったのである。
また、女神は、この国に浄化の結界を遺していった。
結界は瘴気を呼び寄せて浄化し、さらに外からの魔獣の侵入を阻む。
その結界を維持しているのは、要石と呼ばれるアーティファクトだ。
要石は国の七か所に設置され、聖女が神聖力を注ぐことで稼働を続けている。
シェスが向かった任地は、その要石が設置されている町の一つ。
王国北端のその町にそれまで派遣されていた他の聖女は全員、シェスと入れ替わるように他の任地へと行ってしまい、シェスは町で唯一の聖女となった。
それは、前例のない、あまりにもあってはならないことである。
「せいぜい自らの行いを悔い改めることだ」
そんな不穏な言葉を、卒業試験の試験官から忌々しそうに吐き捨てられてからの出発で、嫌な予感だけは最初からひしひしとしていた。
けれどまさか、そこまでのことをされるとは思ってもみなかった。
通常、要石の稼働のために聖女は五・六名以上必要とされる。
神聖力を注いだ後はその回復をしなければならず、交代で神聖力を充填するためにそれだけの人数がいるのだ。
神聖力をどれほど保有しているかの個人差も大きいため、十人以上派遣されているところさえある。
――それを私一人で、どうしろって……?
話を聞いただけで、ぐらぐらと眩暈がして、倒れそうだった。
いくらシェスが気に入らないからといって、この対応は常軌を逸している。
国は一体何を考えているのか。
シェスが聖女としての役目を果たせなければ、被害を受けるのは国民だというのに。
早々にシェスが音を上げるだろうから、その程度の期間なら問題ないとでも考えたのか。
それも、多分、正解で。
けれどそれだけでないと、町民の態度で察せざるを得なかった。
「今度こそ役に立つ聖女なんだろうな?」
到着したシェスへの、町長の第一声がそれだった。
町民たちの視線も、不審や侮りに満ちている。
――せっかく聖女になれたのに、またこのパターン……。
そう、シェスは肩を落としたものだ。
北の町の人々は、要石の設置がされているのだから、ここでは豊かな生活が送れて当然と思っていた。
だがこの町は、国境となっている深い森と隣り合わせだ。結界の外に位置する森には瘴気により魔獣が多く生息しており、度々姿を見せては人々を怯えさせている。
ほんの少し結界を出て、森にある木の実や薬草を収穫する際、負傷者が出ることもあった。
それを町民たちは、聖女や国が役立たずだからだ、と考えているのだ。
しかもそれを隠さず、国の役人と揉めることもしょっちゅうだという。
シェスには全くない度胸に、いっそ感心すらしてしまいそうだった。
そんな相手だから、シェスと共倒れになってもいいと――むしろそうなってくれればと、国は決定を下したのだろう。
――最低じゃないか……。
国への失望は大きかったが、それでも聖女になったのだから、やれるところまで頑張ってみよう。
シェスは何とかやる気を奮い立たせ、聖女としての初めての務めを開始した。
当たり前だが、とてつもなく大変な日々だった。
ただただ要石に神聖力を込め、疲れ果てて眠り、翌日も神聖力を注ぐ。その繰り返し。
休みはなく、食欲は落ち、睡眠は一応とれていたはずだが(多分、気絶していたのだろう)、目の下にクマが常駐するようになった。
力加減が分かってくるようになると少しは余力が出てくるようになったが、そうかと思うと、魔獣討伐に向かわされた。
本来ならばその役目を果たすべきは国や領の兵士だが、彼らは傲慢な町民のために出動することを放棄していたのである。
「聖女だろう、なんとかしろ!」
「お前がきちんと仕事をしていれば、魔獣に怯えずに生きていけるんだからな!」
「税金だって払ってやってるんだ、とっととやれ!」
そんな風に言われて、シェスとしても見捨てたい気持ちはあったが、さすがに死人が出ることは避けたかった。
疲れた体に鞭打ち、シェスは魔獣討伐もこなすようになっていったのである。
とにかく、疲労困憊の毎日だった。
体は常に重く、頭はろくに働いていなかった。
いっそ死んじゃえば楽になれるのになぁ、と思わない日がないくらいだった。
しかも、町民たちはその内、そんなシェスから食料や物品の配給品などまで掠め取るようになっていったのだ。
シェスが軽んじられている聖女であると、分かってしまったのだろう。
罵られて、怒鳴りつけられて、怖くて、つらくて、それでも頑張ってきたのに。
感謝の言葉がほしくてやっていたわけではないけれど、この国の人々のために――この町の人々を守るために、シェスは聖女としての務めを果たしてきたのに。
それなのに、そんな仕打ちだ。
シェスの失望は、次第に大きさを増していった。
ブラック国家の社畜聖女……




