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第十六章 -Part of your world- 暗雲

 ――南の大陸北東、チコッタ港


「……あれ? イッチーさん、イッチーさん、……見て下さい」

「え? ……もしかして、また?」


 ようやく久しぶりにルベルスに戻れると、チコッタに到着したその足で港へ向かった僕らを待っていたのは、順番待ちの列で溢れかえる人波だった。

 ルベルスの時に比べればまだ人は少ないとは言え、それでも数百人近い人数がごった返している。


 ただこの世界の人達は基本的にのんびりしているのか(もちろんあくまで向こうと比べたら、の話だけど)、特に取り乱している様な人の姿は見当たらなかった。

 以前ルベルス港で大声を上げていたのは商人だったという話だし、商談の都合なども考えればそれも仕方の無い事なのかも知れない。


 それにスズやセツカによれば、ここチコッタの街は美しい海岸を持つリゾート地だ。

 そんな穏やかな土地なら尚更、わざわざ目くじらを立てる人間も少ないのかもしれない。


 どうせ船が出ないというなら、いっその事このままビーチに繰り出すという手もある。

 他意は無いが、ビーチでゆっくりするのも悪くない。

 他意は無いが。


 バルハルド村に向かった時はそれなりに先を急いでいたので、結局例の激辛レストランに寄っただけですぐに出発してしまったのだ。


(問題はスズはともかく、ティアレとセツカからは反対される可能性が高そうな事かな……)


 この世界の貞淑観念も水着についても良く分からないとは言え、イメージ的には恥ずかしがって話が先に進みそうにない。


 僕がどうやって2人を説得するかを考えていると


「ちょっと拙者が様子を見てくるでござるよ」


 そう言って御者台から飛び降りたセツカが、止める間もなくいつもの様にあっという間に人ごみの中へと姿を消してしまった。

 一体どういう技術なのか、何度見ても全く理解出来ない。


「んぁ~……、……もう着いたのかニャ?」


 荷台でウトウトしていたスズが騒ぎで目を覚ましたらしい。


「着いたには着いたんだけどね。外見てごらん」

「ニャ……? また何かあったのかニャ?」

「まだ分からないんですけど、今セツカさんが様子を見に行ってくれてますよ」



 程なくして戻って来たセツカの表情は、どこか釈然としないものだった。


「どうだった?」

「……いや、それが……どうやらまたセイレーンが出た、という話は以前と同じなのでござるが……」


 どうにも歯切れの悪いセツカが状況を教えてくれる。

 この世界の基準は分からないが、それにしてもセイレーンという種族は、そんなに頻繁に船の航行を邪魔したりするものなんだろうか。


「セイレーンっていうのは、そんなに良く出没するものなの?」

「……いえ、正直私は今回の旅まで大陸を出た事がなかったので、外の事は詳しくは分からないですけど……、少なくともレディウス村でそんな話は聞いた事ないですね……」

「アタシも南の大陸を出たのは初めてだったから、詳しくは知らないのニャ~」


 困惑顔でそう答えたティアレとスズに続いて、3人の視線が自然とセツカに集まる。


「……拙者も姫――、スズ様の御付になってからは、ほとんど外の大陸に出る機会はなかったでござるが、……少なくともあちこちを回っていた頃にも、一度も耳にした経験はないでござるな……」


 返ってきたセツカの答えもまた、2人と同じ様なものだった。


 この3人の話だけで断言は出来ないけれど、前回と今回を見る限りでは明らかに日常的な様子とは思えないし、そう頻繁に起こる事じゃないのは間違いなさそうだ。

 と言うより、こんな事が日常茶飯事ならそれはそれで、とうの昔に対策ぐらい取られていてもおかしくはないだろう。


「ごめん、途中で話止めちゃったね。それで?」


 まだ話の途中だったセツカに先を促す。


「はい……。どうやら拙者達がロドンゴ様の一件で留まっていたこの二週間余りの間にも、似た様な事が何度も発生していたらしいのでござる……」

「何度もですか!?」

「それならもっと騒ぎになっててもおかしくなさそうなのニャ……」


 確かにいくらのんびりした人が多いとは言っても、さすがにこんな事が立て続けに起きていれば、もっと大きな騒動になっていても不思議じゃない。


 そんな僕らの困惑に気付いたのか、セツカが先を続ける。


「それが……、どうも何度も現れている割には、ルベルスの時と同じで、大きな被害はこれまで一度も出ていないみたいなのでござるよ」

『……?』


 それならそれで余計に意味が分からなくなってくる。

 もちろん被害が出ていないならそれに越した事はないが、だったら最初から船を襲う理由がない。

 ティアレとスズも同じ事を考えているのか、3人揃って頭を捻っている。


「……もしかして……、またイルミドナ教団が関係している、なんて事は……」


 あの時の事を思い出したのか、ティアレがやや表情を曇らせて呟いた。


「……多分、それはないんじゃないかな……。もしあの集団が絡んでるとしたら、それこそもっと騒ぎは大きくなってると思うけど」


 ティアレを安心させたい気持ちが半分、もう半分はただ思った事をそのまま口にする。


 あの場に居合わせた連中からは、まさに狂信者といった印象しか受けなかった。

 あの連中が被害が大きくなる事を躊躇うとは思えないし、むしろそれを喜んでいた節すらあった。

 この一件からはどうもそういった()()を感じられない。

 もちろん単なる僕の希望的観測に過ぎないかもしれないが……。


「拙者もイッチー殿と同意見でござるよ……。奴らが関係していれば、こんな悪戯めいた真似で済むとは思えないでござる」


 そんな僕の気持ちを察してくれたのか、セツカがフォローに入ってくれる。


(悪戯……。そうだ、確かに悪戯という表現はしっくりとくる。ただの愉快犯か、もしくは無邪気な子供の悪戯か……)


「でもただの悪戯にしては、ちょっとやりすぎな気もするのニャ~」

「うん、ただの悪戯で済ますには規模が大きすぎる気もするし……、何にしても目的が全然分からないよね。何の被害も出てないなら、わざわざ船を襲うメリットもないしね」

「とにかく用心するに越した事はないでござるな」



 ――カランカラン! カランカラン!


 結局何の結論も出せないまま、出航を告げる鐘の音が高らかに鳴り響いた。


 気持ちを切り替えてご機嫌で出発、という訳にはいかないが、このままここでこうして話し込んでいても何も状況は変わらない。

 仮に別の船に変えたとしても、そんなのは単なる問題の先送りで、何の解決にもならないのだから。


「……雲が、出てきましたね……」


 ティアレに言われて空を仰ぐと、そこには軽快な鐘の音を塗り潰すかの様な、陰鬱に濁った暗雲が徐々に海から這い寄って来るのが見えた。


 それは今の僕らにとって不吉な予感と言うには充分で、その暗雲がじわじわと心の隙間にも入り込んでくる嫌な錯覚に陥る。


「一雨来そうでござるな……」

「雨は嫌いなのニャ」


 胸に刺さった小さな棘を見つけられぬまま、ようやく動き始めた人並みに乗り、僕ら4人はルベルスへ行きの船へと足を進める。

 もう一度見上げると、澱み始めた空からは、丁度ポツリポツリと冷たい水滴が零れ始めたところだった。


 それはどこか少し悲しげな涙である様に、その時の僕には思えてならなかった……。

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