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第十六章 -Part of your world- 青天の霹靂

「フューレンさん……? どうしたんですか?」

「いやいや、どうしたと言われても、ワシはここで良く一人で飲んでおるのでな……。こんなルミラが綺麗な夜は特に、な……」


 そう言って、いつもより穏やかな表情でルミラを見上げる。


 考えてみれば当たり前だった。

 ここに出てきたのは僕の方が初めてな訳で、屋敷で暮らしているフューレンさんが来ていても何ら不思議ではない。

 むしろどうしたと聞きたいのはフューレンさんの方だろう。


 それにしてもこれだけの巨体だというのに、こんな近くで声を掛けられるまで気付けないとか、割と冗談抜きで洒落になってない。

 これは決して僕が演奏に夢中だった訳でも、ギターで周りの音がかき消されていた訳でもないだろうし、さすがに僕が鈍いだけだと言うにも限度がある。


「ハハッ、驚かせてしまってすまない。悪気は無かったんだが、これは癖と言うよりもう習慣だな」


 そんな僕の様子を察したのか、フューレンさんは少し申し訳なさそうに苦笑いを浮かべている。


「そんな、気にしないで下さい」

「隣……いいかね?」

「えっ……?」


 一瞬質問の意味が分からずに困惑する僕を見て、フューレンさんはチョイチョイと僕の隣の地面を指差す。


「あ……はい、もちろんどうぞ」

「それじゃあお邪魔するよ」


 そう言うと、さっきまでティアレが座っていたのとは反対側にドカっと胡座をかくと、懐から酒瓶を取り出した。


「イッチー殿もどうかね?」


 正直この申し出は、今夜の僕にはとても有難い。


 今の僕の体で飲めるのかどうか、まだ試した事は無かった。

 厚かましいかもしれないが、最悪酔い潰れる様な事になったとしても、フューレンさんなら僕一人ぐらい片手でも運んでくれるだろうという打算もあった。


「いいんですか?」

「グラスなんて気の利いた物は持って来てないがね」


 コルクはシャンパンタイプの物で、スクリューは必要ないみたいだった。

 フューレンさんはそれを針でも摘む様に二本の指で軽々と引き抜くと、そのまま豪快にラッパ飲みでグイっとあおった。


 そんな仕草がやたらと様になっている。

 失礼かもしれないが、むしろグラスを傾けている姿の方が想像し難い。


 フーっと一息つくと、瓶ごと僕に回してくれた。


「ありがとうございます。いただきます」


 フューレンさんを真似てグイっとあおると、果物の芳醇な香りと、程良い甘み、苦味、酸味が口腔内に拡がって鼻に抜けていく。


(ぶどう酒、赤ワインだ……)


 しかも良い意味で年代物などとは違う、本当の意味での上等な、当たり年の飲みやすい赤ワイン。


「美味しいですね……。これかなり良いやつじゃないですか?」

「んん? 味が分かるという事は、実は結構いける口だったかい?」

「あ……、えーっと、一応演奏の前には飲まない事にしてまして……」


 実を言えば、これがこの世界に来てから初めて飲む酒だったけど、どうやら飲めない訳ではないらしい。と言うか普通に美味い。


「ああ、なるほど……。そういう気も使わないといけない訳だ……。楽士というの()色々大変なんだろう」


 返した瓶をもう一度あおると、フューレンさんはそんな事を呟いた。


 『も』というのが少し気になったけど、一族を束ねる頭首という立場は、きっと僕なんかが想像も出来ないぐらい抱え込んでいる物があるんだと思う。


 2人言葉もなく、ただルミラを見上げながら代わる代わる酒を飲み交わす。


 無言が全く苦にならなかった。

 こんな風にして飲む酒の美味しさというのも、初めて知った様な気がする。


「イッチー殿……」


 どれくらいの間、そうして静かに流れる時間を過ごしていたのかは分からないが、先に口を開いたフューレンさんは、同じ姿勢のまま相変わらずルミラを見上げていた。


「はい」

「もし良かったら……、一曲聴かせてはもらえないだろうか?」

「……もちろん、いいですよ」


 そもそも僕がここに出て来たのはそれが目的だった訳だし、仮にそうじゃなかったとしても僕は断らなかったと思う。


 フューレンさんがここに姿を見せたのは、半分は偶然でも、残りのもう半分は偶然ではないような気がしていた。

 それが何なのかは分からなかったけど、もしかしたら彼自身も明確な意思があった訳ではないのかもしれない。


 極力控え目に、今の穏やかな空気を壊さない様、緩やかにオーバー・ザ・ムーンを奏でる。


 フューレンさんは少しだけ嬉しそうに顔を綻ばせると、木の根元に体を預けて寄り掛かる。

 そのまま瓶を傾けると、もう一度フーっと息を洩らした。


「……イッチー殿は……」


(スズの事を聞かれるかな……)


 何となく僕はそんな風に考えた。

 ウルハさんとも似た様なやり取りをしたが、一人娘を想う気持ちは男親なら尚更だろう。


「イッチー殿は……、……どうして音楽を?」


 それが元々聞きたかった事だったのか、それとも質問を変えたのか、その判断は出来なかったけど、予想外の質問だったのは間違いない。


 デビューして間もない頃は良く聞かれた質問だった。


(あの頃の僕は、一体何と答えていたんだろう……?)


「……始めた理由は……、良く覚えてませんね……。……ただ、何となく、なんでしょうか……」

「ハハッ……。何となく、か……。そんなものかね、やっぱり」


 答えてから、今の僕の()()()()で考えれば、『良く覚えてない』はさすがにちょっと無理があるかとも思ったが、フューレンさんにそれを気にする様子は全く見られなかった。


 ただ軽く苦笑いを浮かべただけで、さっきまでと変わらずに瓶を傾けている、


「始めた理由の方は、良く覚えてませんが、今は……、今は一人でも多くの人に音楽を届けられたらいいなって……、そんな風に思ってます……」

「……そうか……。……それは……、それはとても素敵な事だろうな……」


 目を細めてルミラを見つめるその瞳は、夜空に浮かぶ星よりも、もっとずっとずっと遠くを見ている様な、そんな気がした。


「ワシは……、剣を振るうしか取り柄のない男でね……。そんな生き方に、ワシ自身は不満も後悔もないが、スズの事を考えるとね……」

「……」


 何と返すべきなのか言葉が見つからない。

 けれどフューレンさんは、返事を期待していると言うよりは、誰ともなく胸の内を零す様にして話を続ける。


「これから先、一体いつまでこんな事を繰り返すんだろう、と……。10年先、20年先、そしてスズが子を産み、その子にもまた剣を持たせるのか、と……。いつまでも剣を振るっている様な時代じゃないだろう、と……。……時々そんな風に考えてしまうんだよ……、柄にもなく、ね……」


 もう一度グッと瓶を傾けてから、視線を僕に向ける。

 その瞳は、どこかとても寂しそうに見えた。


「……それは……、それはスズ自身が決める事じゃないですか?」


 生意気な言い方かもしれないとは思ったが、考えるよりも先に言葉が口をついていた。


 一瞬だけ驚いた様な、呆気に取られた様な表情を見せた後、フューレンさんはなぜか心底嬉しそうに顔を綻ばせた。

 その無邪気な笑顔は、まるっきり虎の顔でありながら、やっぱりスズに良く似ていると思った。


「そうか……、そうだな……。その通りだ」


 傾けかけた瓶を途中で止め、その瓶をそのまま僕に渡すと


「ありがとう。それと愚痴っぽくなってしまってすまなかった」


 そう言って頭を下げた。


「いやいや! 止めて下さいよ。なんか僕の方こそ偉そうに言ってしまって――」


 右手で僕の言葉を制し顔を上げた時には、すっかりいつもの精悍で威厳に満ちた表情に戻っていた。

 無言のままポンポンと優しく僕の肩を叩いてから、力強く立ち上がる。


「さて、ワシはそろそろ戻るとしよう。イッチー殿はどうするかね?」

「あ~……、えっと、じゃあこの瓶だけ空けっちゃってから戻ります」

「ハハハッ、そうか。と言っても、もうほとんど残ってないがね」


 言われてみると、確かに瓶の重さはもうほとんど空に近い。

 残っていてもせいぜいあと何口分かだろう。


「夜更かしも程々にな。それじゃあおやすみ」

「おやすみなさい」


 軽く手を上げてから、屋敷の方へと歩き始める。

 その後ろ姿を見送りながら、言い忘れていた事を思い出した。


「あっ! フューレンさん!」


 呼び止める僕の声に、フューレンさんが不思議そうに振り返る。


「美味しいぶどう酒、ごちそうさまでした」


 そんな僕の言葉に、もう一度ニカッと笑ってから親指を立ると、背中越しに軽く手を振りながら今度こそフューレンさんは屋敷へと戻って行った。



 ――明けて翌日


 急遽呼び出しを受けた僕ら4人が到着した時、闘技場は既に大勢の人達で埋まっていた。


 人数的に考えると、恐らく今ここに集まっているのはバルハイドの『戦士達』。


 雰囲気は違うのに、なぜか初めてここに呼ばれた時と似た重い空気を感じた。

 少なくとも、昨日の様なお祭り騒ぎの空気ではない。


 今回の一連の騒動と、それに関する僕らの旅の報告程度に考えていた僕らは、予想とは全く違うこの状況に若干戸惑っていた。

 今日は僕らと一緒にいるスズもそれは同じらしく、落ち着かない様子でキョロキョロと辺りを見回している。


 ただセツカだけは、張り詰めた表情と真剣な眼差しで、真っ直ぐに頭首が立つ闘技場の中央を見つめていた。

 あの時きっとセツカには、これから何が始まるのか分かっていたんだと思う。


「良く集まってくれた、誇り高きバルハイドの戦士達よ。まずは此度の異常事態の解決の為に尽力してくれた、勇敢なる若者達に心よりの感謝を!」


 フューレンさんのその言葉を皮切りに、一同が一斉に手にした武器を床に叩きつける。

 石造りの闘技場が、一瞬にして重々しい金属音で満たされる。


 それでもやっぱり、うまく口では言い表せない違和感が拭えない。


「この十日あまりの間、(みな)とは幾度となく話し合ってきた事ではあるが」


(この10日って事は、僕らの旅の間もこうやって何度も集まっていた訳か……)


 初耳ではあったけど、別にそれ自体は不思議でも何でもない。

 微震はずっと続いていた訳だし、話し合うべき問題はいくらでもあっただろう。

 でもそれを今この場で持ち出してくる理由が思い浮かばない。


「ずっと棚上げしていた、先送りにしていた沙汰についてだが、ようやく最終的な決議が出た」


(沙汰……? 決議……? 一体何の話をしてるんだろう?)


 戸惑っているのは僕だけではなく、隣のティアレもスズも同じ様な表情を浮かべている。

 でもそれは逆に言えば、この場に集まっている()()()()()()()()()は、一様に重苦しい顔をしているとも言えた。



「『スズ=バルハイド』、『セツカ=キキョウ』の両名は、共にバルハイドからの()()()()とする」


 長い沈黙を破ってフューレンさんの口から高らかに宣言された言葉は、まさに青天の霹靂と言ってもいい、容赦のない宣告だった。

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