第十章 -She see sea- 黒猫亭
「うわ~! イッチーさん凄いですよ。こっちからだと海まで見えますよ」
「ホントだ。……しかしそれにしても、こんな豪華な部屋本当にタダで良かったのかな」
僕ら2人は現在街一番の宿屋『黒猫亭』の最上階、特別スイートと呼んでいい超が付くぐらい豪勢な部屋のテラスに出てきたところだった。
元々キングサイズ一つだったベッドに関しては、今はトーガの計らいでツインが二つ並んでいる。
ティアレとひと騒動あったりしたのは置いておくとして……。
調度品も含めて部屋の造りや広さは、向こうの世界と比べても何ら見劣りする所がない。
けれどそれ以上に何よりも僕を驚かせたのは、『エレベーター』がこの世界にもあった事だった。
さすがに電気的な制御ではないだろうけど、地上七階の高さにあるこの部屋までの移動のスムーズさは、まさしくエレベーターと呼んで差し支えないものだった。
「そうですね……。時期的に空きがあったからなんでしょうけど、私じゃ一生泊まる機会なんてなかったお部屋ですからね」
「食事も出してくれるって話だったから、そっちも楽しみだね」
どうやらルームサービスってシステムはこっちには無いみたいで、宿屋の一階にある食堂兼酒場の方に足を運ぶ、というのがどこでも一般的らしい。
案内してくれたトーガが部屋を出て行く時にも、「落ち着いたら降りて来てくれ。食事はいつでも出来るから急がなくていい」と言ってくれた。
「あっ! イッチーさん、見て下さい! お風呂すっごく広いです。それにシャワーまで付いてますよ! すごーい」
部屋に入った時よりも、遥かにテンションの上がり方が激しい。
いかにも女の子らしいとも言えるけど、何日も水浴びぐらいしか出来ない状態で旅を続けてきた訳だから無理もないのかもしれない。
汗臭いとか、汚れがとか、実はそういった心配は全く必要なかった。
と言うのも、服自体にそういった諸々の管理調整をしてくれる魔術が付与されてるらしい。
ティアレの話では、僕の服にもかなり高位の魔術が付与されてるとの事だが、もちろん僕自身に心当たりは全く無い。
(スライムの一件で怪我が無かったのも、多分そのお陰じゃないかって話だった)
まぁいくら服にそんな便利機能が付いていても、お風呂に入れる喜びはまた別物だ。
その気持ちは日本人だから感覚的にとても良く分かる。
「ティアレ良かったら先にどうぞ」
「えっ、駄目ですよっ! 私はイッチーさんのお陰でここに泊まれるだけなんですから。イッチーさんが先にどうぞ」
「いや、違うんだ。僕ちょっとギターの手入れを先にしておきたくて。だから本当にティアレ先にいいよ?」
「あっ……、そうなんですね。えっと……、じゃあ、お言葉に甘えてもいいですか?」
「もちろん。気にせずにどうぞ」
もちろんティアレに先に使わせてあげたかったのもあるけど、ギターの手入れをしておきたいというのも本当だった。
特にここは海も近い。
弦錆はすぐに音に影響するし、替えの弦のストックにもそれ程余裕があるわけじゃない。
次いつ手に入るか分からない以上は、なるべく大切に使った方がいいだろう。
「じゃあ、お先に頂いちゃいます」
「うん、ごゆっくりどうぞ」
やっぱり久しぶりのお風呂は相当に嬉しかったんだろう。
隠しきれない満面の笑みで、荷カバンから着替えを取り出すと、スキップでもしそうな勢いで浴室へと向かっていった。
すぐに浴室からはご機嫌な、『空色の弾丸』の鼻歌が聴こえてくるのだった。
「おっ、来たな。部屋はどうだった? 気に入ってくれたか?」
「はい、ありがとうございます。あんな豪華な部屋、逆に申し訳なくなっちゃいますよ」
「お風呂が物凄く広くて、綺麗で、感動です」
「ハハッ、よしてくれよ。正直こんな物で兄ちゃんの演奏に釣り合うとは思ってねぇし、別に慈善事業でこんな真似してる訳でもない。俺はこれでも商売人、だからな。むしろ礼を言わなきゃいけねーのはこっちの方だ」
そう言って大袈裟に肩をすくめて笑うトーガの隣で、クスクスと笑う綺麗な女性の姿が見えた。
「あ、これは俺の嫁さんだ。それでこっちが話してたイッチーとティアレな」
「初めまして。今日はうちの人が無理言ってごめんなさいね、イッチーさんにティアレさん」
「いえいえ、ちゃんと話を聞いて僕が承諾した事ですから。無理なんて事ないですよ」
「私なんて本当は関係ないのに、こんな素敵な宿に泊めてもらって。一番お礼を言わなきゃいけないのは私ですよ」
奥さんもとても気さくな話しやすい人で、僕ら2人も簡単に打ち解けてしまった。
これもやっぱり接客のプロのなせる技なんだろうか。
「それで、どうする? 腹減ってるなら何か食べるか? 食堂は酒場の時間まで今は閉まってるけど、言えばうちのが何でも作ってくれるからよ」
「いいんですか?」
「もちろん味は保証するぜ。むしろカミさんはそっちが本業だからな」
「ふふっ。ご期待に添えるかは分からないけど、リクエストがあれば何でも言ってね。腕によりを掛けるから」
到着前に一度だけ休憩した時には軽くつまんだ程度だった。
ラントルムまであと少しという事もあって、ついつい勢いに乗ってしまったのだ。
僕は朝は食べないので、今日はまだほとんど何も口にしていない事になる。
「それじゃあ、お願いしてもいいですか?」
「もちろん。若いんだから遠慮なんかしちゃ駄目よ。ふふっ」
「じゃあこっちは俺が見とくから。兄ちゃん達にしっかり食わせてやってくれ」
「はいはい、任せておいて」
そう言ってカウンターから出てくると、そのまま厨房へと繋がっている扉を開け、僕ら2人を案内してくれた。
開けた扉の向こうからは閉店時間とは言え、何とも胃袋を刺激してくれる魅力的な香りが漂って来るのだった。





