第二十章 -Get ready- セツカ先生の日常
「それでは、イッチー殿はこちらを使うといいでござるよ」
そう言って手渡されたズシリと無骨な重み。
未だ慣れない重さではあるが、それでも向こうの世界にいた頃よりはまだ多少は馴染んできたと言えるだろうか。
以前セツカに習った通り、あらかじめ巻いておいた腰帯の左側に、反りの方を上向けて地面と水平に近い角度で差し込む。
鯉口を切り、鞘引きと同時に真っ直ぐ引き抜く。
大切なのは躊躇わず一気に抜く事。
両手に持ち替えたまま自分の正面に立て、全体像を眺めてみる。
セツカの講義の為に急遽用意された払い下げとは言え、日の光を受けて鈍色に妖しく輝くその刀身は、元々相当な業物であった事を窺わせる。
(よし、今日はこの打刀を携えて)
「じゃなくって! これ真剣だよね!? 死ぬよね!?」
「ハッハッハ、心配には及ばないでござる。ちゃんと刃は落としてあるから大丈夫でござるよ」
「なんだぁ~、それなら安心――なわけないでしょ! こんな金属の塊で殴られたら普通に死ぬよ、って言うかなんで僕だけ刀なの」
「いや、それは……。……イッチー殿にはそちらの方が似合うと思ったでござるよ」
(そんな理由でいいのかよ……)
無事? スズ先生の初講義を終え、明けて次の日はセツカ先生の剣術講義となった。
こちらは護身やその他でも応用が効きやすい体術とは違い、扱う対象が限定的になるので受講生はそれ程多くはならないというのが大方の予想だった。
ところが蓋を開けてみれば、前日のスズの講義の影響も大きかったのか100人近い人数が集まっていた。
恐らくはセツカの方が少数派で、この世界の標準はそちら側なのだと思うが、集まった受講生のそのほとんどの得物は両刃の直剣、向こうの世界で言うところの所謂西洋剣だった。
もちろん中にはダガーや短剣、曲刀や大剣やレイピアといった武器を得意とする様々な種族も混ざっている。
これだけ武器種がバラバラなら当然色々と勝手も違ってきそうなものだが、当のセツカ先生は特に気にした様子もない。
愛刀を訓練用の刀と差し替えると、いつもの滑るような足運びで温厚とはとても思えない集団の只中へと移動して行く。
「おいおい、学院で剣術講義が始まるっつーから期待して受講したってのに、こんな可愛らしいウサギさんで大丈夫かよ。多少は訓練代わりにでもなるかと思ったが、こりゃあ期待して損したかぁ」
「違いねぇ。まあこんなエロい身体したセンセに、手とり足とり教えてもらえるってんなら悪くねぇがな。イッヒッヒ」
「俺ぁどっちかってーと夜の訓練の方をお願いしてぇけどなぁ。ギャハハハハ!」
まるで古い漫画から飛び出したゲスのお手本みたいな三人組が、セツカの全身を舐め回すように下卑た視線を向けている。
「傭兵上がりや、裏稼業から引き抜かれたような輩も決して少なくはないので、あまり素行のよろしくない連中も混ざっているんです」。
確かに学院長の方からも事前にそう聞かされてはいたのだが、まさかここまで酷いのがいるとは思ってなかった。
これじゃ旅の途中で何度か遭遇した野盗や山賊と大して変わらない。
「あれはセツカ、キレたのニャ」
いつの間に隣に移動してきたのか、他人事のように頭の上で両手を組んだスズがニヤニヤと笑っている。
「はい、あれは怒ってる時のセツカさんです」
「セツカお姉ちゃんプンプンなの~、お耳がピクピクってしてるの~」
勢揃いしたいつものメンツは随分と呑気なものだけど、さすがに三対一はマズくないんだろうか。
魔物や魔獣の類は珍しくなかったが、それでもセツカが一人で対応するなんて場面はさすがに一度もなかったし、相手が人なら尚更だった。
それに僕の考えているセツカの剣は向こうで言うところの”居合術”に近く、瞬間的な一対一に近い斬り結びには滅法強いが、一対多や持久戦というイメージがあまり湧いてこない。
「止めるとは言わないまでも、加勢とかしなくて大丈夫なの?」
「イッチーは分かってニャいニャ~」
「……? 何が?」
「バルハイドで、剣術指南役を任されるって事の意味ニャ」
この世界で最強と言われるバルハイド流近接格闘術。
一族の大半を占める”戦士”達は、その一生のほとんどを戦場で過ごし戦場で散る。
そんな一族の現頭首であるフューレンさんに拾われ、一族の人間でないにも関わらず剣術指南役にまで上り詰めたセツカ。
確かに思い返してみれば、バルハイドはそもそも剣に重きを置いているわけでもない。
バルハルド村で人々が手にしていたのは、今ここで見ているよりも遥かに雑多で多種多様な武器の数々だった。
斧、ハンマー、メイス、ハルバード、果ては見た事もない足で使う武器や、得体の知れない暗器も入り乱れていた。
そんな中で剣術を教える意味とは……。
「まあ見てたら分かるのニャ」
「そろそろ始まりますよ」
「お姉ちゃんがんばえ~!」
セツカのいる場所までは結構な距離があるにも関わらず、辺りが静まり返っているせいか声がここまで聞こえてくる。
「三人同時で構わないでござるよ。殺す気で掛かってくるといいでござる」
そう呟いたセツカの声は極めて冷静だった。
セツカ自身にも特に煽る気持ちは無かったのだろう。
ただ淡々と、まるで今夜の献立についてでも語るような口調で滅茶苦茶な提案を告げる。
「チッ、舐めやがって」
「講師程度でプロに大口叩いた事後悔させてやるぜ」
「もっとも何かあっても責任は学院側だがな」
対してイラついた様子を隠そうともせず、各々の得物を手にする三人組。
一人は両手持ちの大剣、一人は二刀のダガー、一人は短剣と盾。
音も無く刀を抜いたセツカはその場から一歩も動かない。
数の利をひっくり返すには、先手必勝で一人でも頭数を減らすべきだと思うのだが、どうやらセツカは迎え撃つつもりらしい。
それにしてもなぜセツカは鞘を払ったのか。
居合を得意とするセツカが刀を先に抜く姿は今まで見た事がない。
真っ先に動いたのは小柄な二刀の男だった。
スズの縮地程ではないにせよ、逡巡も見せずに飛び込んだ判断力とそのスピードだけでも、三人組が決して口だけではない事を物語っている。
身を沈めた男の右手が、死角から必殺の一撃を乗せて跳ね上がる。
長身のセツカにとって反応が難しい位置と角度を、正確に射抜いてきた男の実力は本物だろう。
このまま男のダガーが首を切り裂く。
その場にいたほとんどの人間がそんな光景を幻視したであろう瞬間――
男の動きがピタリと止まった。
一体何が起こったのか。
それは男自身にも分かっていなかったのかもしれない。
間の抜けた顔で体重を乗せた自分の左足を見下ろすと、太ももの付け根の辺りにセツカの左足先が突き刺さっていた。
「なっ!?」
荷重移動の為に力を乗せた左足をカウンターで潰され、呆気に取られたのも束の間、すぐに立て直しの為に身を引こうとしたのは見事だった。
男の体から離れたセツカの左足がほんの一瞬行き場を失って宙に浮き、直後ズンッという地響きと共に踏み下ろされた。
「カッ……」
声にならない叫び声を上げ、空気を求めるように大きく口を広げる男。
引こうとした男の左足は、セツカによって甲の上から見事に踏み抜かれていた。
苦悶の表情を浮かべる男を蔑むような目で一瞥すると、全体重と捻りを加えたセツカの左肩がモロに鼻っ面に直撃する。
ボールのように軽く数メートル吹っ飛んでいった男は、最後にゴロゴロと地面を転がった後ピクリとも動かなくなった。
「てっ、てめぇ!」
大剣の男が顔を真っ赤にして迫り、その巨体を利用して力任せに最上段から斬り下ろす。
男の体格や分厚い大剣も考慮すれば、丸太の一本ぐらいは叩き切れたかもしれない。
そこに対象がいれば、の話だが。
例の滑るような足運びで懐に飛び込んだセツカの左膝が、今度は男の右足を崩す。
テコの原理で簡単に開いてしまった右足に釣られて、男の上体も大きく右側に傾く。
更に一歩踏み込んだセツカから繰り出されたのは、鳩尾を突き通すような強烈な右肘だった。
大男の身体が一瞬宙に浮き、そのまま受け身も取れずに背中から大の字にぶっ倒れた。
口から泡を吹いている男には目もくれず、最後の盾の男と向き合うセツカ。
三人の中で一番冷静だったのが恐らくこの男だ。
闇雲に突っ込んでくるような事はせず、逆にしっかりと盾を構えて隙を窺っている。
今度はセツカから先に動いた。
スズの縮地に勝るとも劣らぬ速度で肉迫し、盾の死角を縫って右上段から斬り掛かる。
――その瞬間
キーンという甲高い金属音と共に何かがクルクルと宙を舞った後、サクッという音を残して地面に突き刺さった。
男の顔がニタッと歪む。
もしかするとそれは男のユニークスキルだったのかもしれない。
完璧なタイミングで叩き付けられた盾のカウンターで、弾き飛ばされたのか折られたのか、どちらにせよセツカの武器が失われた事に変わりはない。
勝利を確信した男が右手の短剣を構える。
「セツカ!」と叫ぼうとした僕を、スズが無言のまま右手で制してくる。
戸惑いのまま見たスズの表情は、始まる前と何ら変わらない余裕たっぷりなニヤケ顔だった。
スズは僕に何かを伝える為なのか、そのままある一点を指差す。
そこはついさっき弾かれたセツカの刀が突き刺さった場所。
……そのはずだった。
しかしそこに刺さっていたのは、一人目の二刀の男が持っていたダガーだった。
一人目と対峙する前だったのか、それとも倒した後だったのか、そのどちらにせよセツカは、
最初からただの一度も刀で戦ってすらいなかったのだ。
戻した視線の先には、初めて不敵な笑みを浮かべたセツカの顔。
盾に沿うようにスルリと体を回転させ、ガラ空きの左側に滑り込んだセツカ。
全てを理解したのか、理解したのが遅かった事に気付いたのか、顔面蒼白の男がゆっくりとセツカの方へと向き直る。
回転の勢いのまま左手を首に絡め、巻き込むようにして男の頭を押し下げる。
為すすべもなく上体を崩された男の目前に迫り来るのは、
捻りの勢いとタイミングを完璧に乗せ切ったセツカの左膝だった。
どれだけ控え目に見積もっても、鼻がへし折れる程度では済まないであろう威力を込めた必殺の一撃。
その左膝が男の顔面を叩き潰す、まさにその寸前――
残り僅か数ミリを残して動きを止めたセツカ。
まるで時間が静止したかのように辺り一面の空気が凍りつく。
誰一人として物音一つ立てる事も出来ない只中で、不動の姿勢のまま彫像さながらに固まった二人。
永遠にも思える数秒……。
やがて壊れた玩具に飽きた子供のような溜息と共に、凍った時間を溶かしたのはセツカだった。
しかしようやく絶望の底から抜け出せた男が、その開放感に浸れる事はなかった。
既に気を失っていた男はだらしなく膝から崩れ落ち、そのままの勢いで大地に顔面を強打する。
一人目の男がセツカに向かって行ってからここまで、僅か30秒足らず。
キキョウ流剣術を極め、バルハイド族という無頼の中で長年に渡り剣術指南役を務めた新任の剣術講師。
その本当の意味と力を知らしめるのに要したのは、ほんの30秒だった。
我に返った生徒達といつの間にか集まっていた観衆から、咆哮にも似た喝采の雨が降り注ぐ。
再び動き始めた時間の中で、雷鳴のような歓声と地鳴りのような怒号が長く長く轟いていた。





