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第二十章 -Get ready- スズ先生の日常

「ちょ、ちょっと待って……、ゼェ……ゼェ……。ちょっと……休ませてスズ……」

「スズじゃないニャ、今はスズ()()ニャ~」

「わ、分かったから……ちょっと待ったスズ先生……」

「だらしないニャ~、イッチーは」

「……そんな事言われても……」


(ああ、空が高い……)


 なんで僕が今空を眺めているかと言うと、それは僕が地面の上に転がされているからであって。


 早い話がスズに転がされ続けて立てなくなっているわけであって。


「って言うか、少しは加減してよ……」

「手加減なんてしたら意味がないのニャ~。まぁイッチーは少し休んでるといいのニャ。アタシは他の生徒を見てくるのニャ」


 疲れなんて微塵も見せずに走り去って行くスズ。

 行く先々で新たな組手相手を見つけ、一言二言交わしただけで「ニャハハハ~!」と高笑いしながらポンポンと投げ飛ばしている。


(奴の体力は無尽蔵か……)


 僕は旅の間もこんな感じだったから慣れていると言えば慣れているが、果たしてあれで本当に講義として成立しているのかは甚だ疑問である。




 めでたく寮も決まり、昨日の内には引越しを終え、晴れて本格的な学院生活が始まった。


 引越しと言っても、元々楽器以外には大した荷物もない、根無し草の旅暮らしだ。

 引越しそのものはあっという間に終わり、結局昨夜は引越し祝いと新トッド・ムーシカの開店祝いを兼ねて、店の方で宴会となった。


 さすがに楽器が並ぶ店内でドンチャン騒ぎをする程、僕らも考えなしではない。

 会場になったのは、店のすぐ裏手に繋がっている親方の新居の方だ。


 なんだかんだで宴会は真夜中まで続き、早々に寝かしつけたムースが眠い目を擦りながらトイレに起きてきた時には、外も白み始めていた。

 さすがに初日から遅刻というわけにもいかなので、そのまま寮には戻らず揃って雑魚寝となった。


 それ自体はそれ程大きな問題でもなかったのだが、肝心のスズの講義が始まったのがなんと朝七時。

 旅暮らしで短時間睡眠に慣れていなければ、今頃ぶっ倒れていたかもしれない。

 ムースの教育上よろしくないので、以後自重せねばと反省。




 それはそれとしてもスズ先生は本当に元気である。

 新任講師の一発目の講義だというのに、受講生は100人を軽く上回っていた。

 学院長曰く、もしあまり増えるようなら、セツカの講義との合併も視野に入れているとの事だった。


 しかしそんな人数相手でも、顔色一つ変えずに組手相手を次々と地面に転がしていくスズ。


 学院長の話通り、受講生の大半は護衛や騎士見習いといった、それなりに腕に覚えがあるであろう生徒達が占めていた。

 中には2mを超える熊型の獣人や、顔や体にいくつも刀傷を持つ傭兵上がりの屈強な兵士なども混ざっている。

 ところが当のスズは、相手がムースのような子供であろうと大男であろうと、普段の飄々とした調子で平然と対峙している。


 実際に立ち合ってみると良く分かるのだが(いやこれは全く分かっていないと言うべきか)、威圧感や気迫といったものをまるで感じさせない割に、気付いた時には転がされているのだ。

 立ち合った瞬間と転がった瞬間の間が、スッポリと抜け落ちているのである。


 所詮は学生同士のじゃれ合いではあったけど、高校の時の選択授業で僕は柔道のクラスを取っていた。

 単に借り物の剣道の防具が臭そうで嫌だっただけという、消去法に等しい失礼極まりない動機ではあったけど……。

 

 その時の感覚では、誰かと組み合うというのはもうちょっと実感や抵抗があっても良さそうなものなのに、スズを相手にするとそういった感覚の一切が喪失している。

 それは柔よく剛を制すなんていう滑らかなものでもなくて、まるで空気でも相手にしているような欠落感だ。


 しかもこれでスズの本来の獲物は愛用の鈎手甲だし、戦闘スタイルだって打撃を主とした近接格闘なのだから恐ろしい。

 教育係だったセツカの流儀なのか、それともバルハイドの流儀なのかまでは分からないが、無手での掴みどころの無さはセツカと非常に良く似ているのだ。



「さあイッチー立つのニャ。そろそろ続きを始めるニャ」


 百人組手を終えても尚、息一つ上がってないスズの手を借りて立ち上がる。

 ざっと見回しても、今現在立っているのはセツカとティアレ、後はさすがに本気では組み合っていない子供達ぐらいだろうか。


「お手柔らかに」

「ニャハハ、それは無理な相談ニャ~」


(旅の間の習慣を変わらずに守ろうという意識でしかない僕よりも、真剣にこの講義を受けに来ている生徒さんを優先してあげた方が良いような気もするけど……)


 しかし一部の生徒を除き、今現在全員青空を仰ぎ見ているところからすると、スズにとっては大した問題ではないのかもしれない。


 スズから教えてもらったなるべく自然体の構えを取り正面から向き合う。


 スズ自身にあまり構えという構えはなく、普段鈎爪を使っている事もあってか拳を握り込んだりもしない。

 こちらから攻めても、いつ体に触れたのかも分からないまま飛ばされるのがオチだ。

 それならばせめてスズの動きだけでもしっかり見ようと意識を集中させる。


 スズは動かない……、動かない……、動かない……。


「えっ?」


 スズが僕の()()()にいた。


 瞬きの瞬間ですらなかったと思う。

 ずっと視界に収めていたので、見失ったという事もない。

 

 スズが得意とする”縮地”というやつだ。

 今まで何度も目にしてきているのだが、スズ自身の小ささもあって実際に対峙するとワープでもしているようにしか思えない。

 重心が下がった起こりを気付かせない為に、視線の誘導などもフェイクで仕込まれているらしいのだが、正直この辺りは説明されても僕には全く理解出来ない。


 胸の内にいるスズが何とも悪戯っぽくニヤリと笑う。

 マズイと思い一旦距離を取る為に上体を反らせる。

 荷重移動の為に踏んだ前足が払われるのと、地面が真横にあるのがほぼ同時だった。


「ぐえっ……」


 後に残ったのは、ヒキガエルのように無様な鳴き声で大地に転がる僕だった。


「イッチーはゴチャゴチャと余計な事を考えすぎニャ」

「いや~……、僕の場合、考えても考えなくても結果は一緒だと思うんだけど……」

「そんな事ないのニャ~」


 差し出された手を取りもう一度立ち上がる。


「例えばイッチーのギターだって、最初から上手だったわけじゃニャいと思うのニャ」

「……まぁ、それはそうだけど……、それとこれとは違うんじゃない?」


 反復練習で届く領域と、そこから更に天賦の才を持って辿り着いたスズのそれとは次元が違う。

 もっとも僕自身、そこまで体術を極めようとか考えているわけでもないが。


「別にアタシやセツカと張り合え~、なんてムチャな話はしてないのニャ。例えばイッチーは演奏の時、合わせるタイミングとか、混ぜるアレンジとか一々考えたりするのかニャ?」

「……いや……考えない、かな……」

「それと一緒ニャ。十回目より百回目、百回目より千回目、千回目より万回目、そうやって何度も何度も体で覚えた動きが、いざって時に自然と出てくるものニャ」


 確かにその通りかもしれない。

 

 最初は誰しも模倣から入る。

 模倣を繰り返し、繰り返し、やがて溶け合い、混ざり合い、徐々に徐々に自分の中で新たな形が芽吹き始める。


(つまり今の僕は、余計な事を考えるよりも体で覚える事の方が先って事か……)


 そういう事ならば、今はただスズ先生に倣ってやれるだけやってみよう。

 別に格闘王を目指すつもりはさらさらないけれど、いざという時に自分の身ぐらい自分で守れて困る事もないだろう。


 それにしても……


「スズが珍しくまともな事言ってる……」


 ――瞬間場の空気が凍りついた。

 先程までは感じなかった戦慄が、生物としての本能に直接訴えかけてくる。


「ニャハハ、イッチーいい根性してるのニャ~。まだまだそれだけ余裕があるんニャら、ここからは特別訓練でいくのニャ~、ニャハハハハハハ!」

「ちょ、ちょっと待ってスズ! いやスズ先生! って言うかこれ訓練じゃないよねっ!? 講義だよね!?」


 追い詰めた獲物を弄ぶ獣のような鋭い眼光で、スズがジリジリとゆっくり迫ってくる。


「待った! 待って、スズ、目が怖い! 目が全然笑ってない! うわぁあああああああああああああああ!!!」



 新任講師であるスズ先生による、記念すべき第一回目の体術講義。


 その日実技講習となった学院の修練場からは、ニャハハハハという悪魔のような高笑いが、いつまでもいつまでも響き渡っていたと言われている。

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