第一九章 -Top of the world- ゲートキーパー
「……今のは……、一体……?」
「私は特に何をしたというわけでもありません。もっとも私個人でどうこう出来るようなものでもないですし。そうですね……、強いて言えばスイッチを押したと言うべきでしょうか」
聞いたと言うよりは独り言に近かったティアレの呟きに対して、その女性から返って来た言葉は何とも曖昧なものだった。
水晶の塔のあまりのインパクトに周りが見えなくなっていたが、少し落ち着いてから辺りを見回してみれば、さっきまでは無かったはずの建物や行き交う沢山の人々が視界に入ってくる。
「驚かせてしまいましたね。申し遅れました、私は学院の『ゲートキーパー』を任されておりますシゼル=ルスク=アマビスカと申します」
「えっ、ルスクって」
「はい、あなたにとっては姉弟子……、いえ分家筋に当たるので、この場合私の方が妹弟子という事になりますね。ティアレーシャさん」
そう言ってシゼルと名乗った女性はゆっくりとティアレに右手を差し出した。
何が何だか分からないままのティアレではあったが、差し出されたその手を無視できるような性格じゃない事は嫌と言う程良く知っている。
「はい……。私を、知ってるんですか……? それにゲートキーパーというのは?」
「詳しいお話は学院長から直接お聞きになられた方が良いでしょう。代わりと言ってはなんですが、もう一つの方の質問にだけお答えしておきますと、ゲートキーパーというのは文字通り結界の鍵を担っております。この辺りは学院長の専攻とも関係してきますけど」
「それが先程言っていたスイッチですか?」
「さすがご理解が早いですね。後のお話は道すがら、という事にしまして、とにかく学院長の元へ参りましょうか。ご案内致しますので」
正直この辺りの話は、僕はもちろんティアレ以外誰も理解出来ていなかったと思うが、余計な口を挟んで邪魔をするのも無粋というやつだろう。
なんにせよ、僕らは全員基本的にはティアレの随伴でしかない。
スズは僕に付き合って、セツカはスズに付き合って、ムースは皆に付き合ってみたいなものだから、結局は一蓮托生だ。
ここを訪れる事は、言ってみれば元々ティアレの旅の目的そのものだった訳で、この旅に付き合うと決めた時から僕のスタンスは変わっていない。
「それじゃあ皆、私はちょっと学院長の所に行ってくるからちゃんといい子にして待ってるのよ。もう少し遊んでてもいいけど、ちゃーんと時間になったら勉強を始めること。いいわね?」
『は~い!』
元気な返事と共に再び散り散りに走って行く子供達。
そんな子供達の反応からしても、全幅の信頼を置かれているのは明らかだった。
「それでは参りましょうか」
優しい目で子供達を見送ってから、シゼルさんはゆっくりと歩き出した。
「あの子達は何なのニャ? 獣人の子も混ざってるのニャ」
「あそこは……、そうですね、学校と孤児院を兼ね備えているようなもの、と思っていただければいいかと」
シゼルさんの言葉を受けて、一瞬だけ皆の視線がムースの方へと集まる。
もちろんムース本人はそんな事はお構いなしで、いつもの定位置に戻って目に映る全ての新しい物にはしゃいでいるだけだった。
「皆孤児なのでござるか?」
「中にはお預かりしている子もいますので、全員というわけではありません。これはこの学院全体にも言える事なのですが、基本的にこの学院には魔術を志す者しかおりません」
「それじゃああの子達も?」
「はい、もちろん本人の希望の上で、ですけどね」
口調こそ軽く感じられたが、そう言った時のシゼルさんの表情は真摯なものだった。
さすがに非人道的に攫ってきて人体実験さながら、みたいな真似は想像したくもない。
そんな事でもしかねない連中に心当たりがあるだけに尚更だ……。
それにしても一体どういう仕掛けだったのかサッパリだが、あの塔が現れたのと同時に、ただ無駄に広いだけに思えた敷地は一瞬にしてちょっとした街と呼んでいいレベルにまで大変貌を遂げていた。
大小様々、様式も様々な建物があちこちに並び立ち、明らかに何かの商店らしき看板を掲げている店や飲食店など、どう考えてもただの学校とは思えない。
そして行き交う人々も種族、老若男女を問わず、皆生き生きとした表情で活力に溢れて見える。
その光景は、もうここが一つの都市、魔法都市と言ってもいい。
もしかしたらそれこそが、このアンクーロという街のもう一つの顔なのかもしれない。
「それにしてもあれニャ、随分とローブを着てる人が多いのニャ~」
「言われてみればそうでござるな。それに皆同じデザインの物を着ているように見えるでござる」
「……それと……、なんだかどことなく、イッチーさんのローブと良く似てるような気がするんですけど……」
「えっ?」
普段自分が着ている物をそこまで意識した事はなかったけれど、確かにそう言われてみるとデザイン自体はとても良く似ているように思える。
「あれは正式な学生だけに与えられるローブですね。着ていない人は、この学院を支えてくれている方々だったり、今日がお休みの学生だったりという感じですかね」
と言われても、ここの学生になった覚えも過去も有り得ない僕としては、心当たりなどあるはずもない。
唯一にして最大の違いと言えば、僕が着ているローブが黒なのに対して、学生さん達が着ているのが白という事だろうか。
まぁだからと言って、それが何かの手掛かりになるわけでもないんだけど……。
「さあ、見えてきましたよ」
言われるまでもなく、あの離れた場所からでも強烈なインパクトを与えてくれた水晶の塔は、近付くにつれその異様な存在感を露にし始める。
これもまた結界同様どんな仕組みなのか想像もつかないが、こんな馬鹿げた大きさの塔でありながら氷か水晶のような透明度を持っているのだ。
にも関わらず、本来この水晶の中に存在しているであろう部分は全く見えていない。
どう見ても今シゼルさんに案内されて向かっている先があの塔である以上、少なくともあの中には人が入れる空間があると考えるべきだろう。
「さて、少々お待ち下さいね。ここから先は立ち入りも制限されておりますので」
塔の根元まで辿り着いたところで、シゼルさんはそう言っておもむろに水晶の壁にそっと右手を置いた。
何か呪文らしきものを唱えているのは分かったが、距離の問題なのか、それとも言語体系の問題なのか、その内容までは僕の中で意味を結んではくれなかった。
「さあどうぞ」
「……え?」
さあどうぞと言われても、どこがどうどうぞなのか全く分からない。
シゼルさんが手を離した後も、隠れた扉が開いたり別の場所に飛ばされたりといった変化もなく、見た限り特にさっきまでと何かが違うようには思えない。
彼女はそんな戸惑う僕らを見て
「そうでしたね、ではお先に失礼して」
とだけ残してから、スっと水晶の壁の向こう側へとその姿を消してしまった。
彼女がぶつかった、と思ったほんの一瞬だけ壁は石を投げ込まれた水面の様にさざめき、そして何事もなかったかのように元通りになっていた。
僕らを先に行かせようとしてくれたのは恐らく彼女なりの気遣いだったんだろうけど、申し訳ないがこんなぶっ飛んだドアの仕掛けが分かるわけもない。
他の皆はともかく僕はこれ以上考えるだけ無駄なので、かえって潔くムースを乗せたまま扉を潜らせてもらう事にした。(扉を潜るという表現が正しいのかどうかはさておき)
拍子抜けする程、何の抵抗も違和感もないまま透けた壁の向こうへと通り抜ける。
一瞬だけ眩しさで閉じた目をゆっくりと開けると――
「……はい?」
いい加減もうビックリドッキリにも慣れたと思っていた僕らは、壁の向こうで再び言葉を失う事となった。
ホールと呼ぶには、あまりにも桁外れに広々とした空間。
内壁と呼ぶには、本来の素材が加工される前のありのままの姿。
螺旋階段と呼ぶには、上階へと繋がる足場は階段の体を成していない。
吹き抜けと呼ぶには、頭上にあるべき天井すら存在しない。
照明らしき物は何一つ見当たらないにも関わらず、その空間の内部は仄かな青白い光で柔らかく満たされていた。
所々むき出しになった根が複雑に絡まり、果ても見えない上層へと緩やかに続いている。
そんな非現実感溢れる、建物と言っていいのかも分からない幻想的な空間の中で、ホールや上階には決して少なくない人々が行き交う。
先程まで雲にも届かんと高く高く聳えていた水晶の塔。
その塔の中に姿を隠していたのは、
想像を絶するスケールで天へと枝葉を広げる、
一本の大樹だった。





