第一九章 -Top of the world- ルスク魔導学院
「と、とりあえず行ってみない?」
半分放心状態のティアレにそう促してみる。
「……ルスク魔導学院って……、どうして……」
ところが当のティアレは未だ心ここにあらずといった様子で、じっと銘板を見つめている。
いつだったか神龍セフィラートが言っていた事を思い出す。
ティアレの出身であるレディウス村は、元々ティアレのおばあちゃんが興したものであるという話。
そして更に遡れば、”エルフ三樹”と呼ばれる内の一人であったという話。
「(もしかして、神龍様が言ってた事と何か関係があるんじゃないかな?)」
ティアレだけに聞こえるように耳元でそっと囁く。
「……そう……なんでしょうか……」
「うーん、僕には何とも言えないけど、とにかく行ってみるしかないんじゃない?」
「あ、はい……、そうですね。すいません取り乱して」
ようやくこっち側に帰って来てくれたティアレの背中を軽くポンと叩く。
「それじゃあ俺らは店の方に行ってるからよ。荷物は店に置いとくから、何かあればいつでも連絡くれや。」
「落ち着いたら顔出すんでしゅよ! 引越し作業も沢山あるんでしゅから。ココルの面倒はちゃ~んと見とくから心配いらないでしゅ」
そう言えば親方とミンクはこれから店に戻らないといけないのだった。
ここへ来る途中一度立ち寄っているので場所は分かっているし、ここからなら十分歩いて行ける距離だ。
「ありがとうございました。後で向かうんで作業残しといて下さい」
「ガッハッハ! おう、期待して待ってるぜ。お前らもそんじゃあな、ムースもまたな」
「はいなの~」
皆それぞれ親方とミンクにお礼と一時の別れを告げ、ここまでの長い旅を支えてくれたココルを労う。
人見知りが激しいと言われていたココルも今ではすっかり慣れたもので、ただ嬉しそうにブルルッと鼻を鳴らしていた。
とは言っても僕の知る限り、以前ティアレから聞いたココルの人見知りというのも、正直あまり実感した事はなかった。
それは単にティアレの説明が大袈裟だっただけなのか、それとも今ここに集まっている顔ぶれが特別なだけなのか。
なんとなく僕は後者の可能性の方が高そうだなと思うと同時に、どこかそうであって欲しいという気持ちもあった。
遠ざかる馬車の姿も小さくなったところで、改めてその広大な敷地を眺めてみる。
少なくとも今見えている範囲に建物や人の姿はないが、ここで突っ立っていてもらちがあかないので、とにかく入ってみるしかないだろう。
「それじゃ行ってみようか?」
「はい」
「オッケーなのニャ」
「そうでござるな」
「はいなの~」
ムースを定位置に乗せてから、敷地の中へと足を踏み出す。
呼び鈴でもあればいいのにと表札付近をチラリと見回すが、当然そんな便利な物は無かった。
丁度ゲートを潜った辺りでティアレが一瞬だけ立ち止まり、不思議そうな表情を浮かべているのが分かった。
「ティアレ、どうかした?」
念の為そう声を掛けてみる。
「……いえ……、何でもないです。……気のせいだったみたいです」
「?」
何が気のせいなのかも良く分からないが、それ以上特に変わった様子もないのでとりあえず先に進む事にした。
それにしても本当に広い敷地だ。
魔導学院という看板を掲げている割には、建物や人の姿も見当たらないし、緑溢れる長閑な情景は自然公園とでも言われた方がよほどしっくりくる。
これといって当てもないので、ゲートから真っ直ぐに伸びた歩道の石畳を皆でのんびりと歩く。
歩道に沿って立ち並ぶ街路樹が、桜に良く似た薄桃色の花を咲かせ、時折風に乗って柔らかい香りを運んで来る。
少なくとも僕がこの世界に来て以来、大きな気候の変化などは経験していないので、恐らく生態系などは全く別物だろう。
もしそのお陰でこんな光景が一年中楽しめるというのなら少し羨ましくもある。
そんな風にして散歩よろしく数分は歩いただろうか。
歩道に面した左手にようやく初めての建物が顔を出した。
「あれ……、教会? かな?」
この世界の基準は分からないが、簡素な石造りに所々ステンドグラスの嵌められた意匠は、僕の目に教会として映るには十分だった。
「子供達がいるでござるな」
「あの子達に聞いてみればいいのニャ」
僕らの中でも特に目の良いスズとセツカが真っ先に気付いたみたいだ。
その距離ではまだ僕に視認する事は出来なかったけど、近付くにつれ徐々にその姿も見えてくる。
多分年の頃はムースと同じか、ちょっと下ぐらいだろうか。
教会に隣接する広場で元気に走り回っている様子は微笑ましくもあるが、場所を考えるとやや違和感を覚えなくもない。
もっとも僕自身この世界の学校の形態すら理解していないので、単なるイメージに過ぎない訳だけど。
「私ちょっと聞いてきますね」
そう言って小走りになったティアレの後を、僕らはあえてペースを変えずに追いかけて行く。
あまり一度に大勢で押し掛けるのも、子供相手ではかえって逆効果だろう。
ティアレが子供達といくつか言葉を交わし、丁度僕らも合流するかというタイミングで建物から一人のシスターらしき人物が出て来るのが見えた。
どうやら子供達が呼んでくれたらしい。
「おやおや、旅の方とは珍しいですね。何かお手伝いできる事はございますか?」
柔和な笑みを湛えた穏やかな物腰と、あっという間に子供達が群がっていく様子から見ても、容易にその人物像を想像させる。
ゆったりとした三つ編みにまとめた薄い草色の髪、僅かに頬に浮かんだそばかすとやや大きめの丸眼鏡。
ともすれば少し野暮ったくも感じられる純朴な相貌も、むしろこの女性の人柄を表している様でとても暖かな印象を受ける。
「突然すいません。えっと……、その……」
言い淀んだティアレが助け舟を求めるように僕の方を振り返った。
周りを見るとなぜか皆揃って僕の顔を窺っている。
よくよく考えてみれば、具体的に何の目的で誰を訪ねて来たわけでもないので、確かに何をどう質問していいのかも難しいと言えば難しいのだ。
一度ムースを肩から下ろして質問内容を模索してみる。
「えーっと、この施設……、学院の学院長さんか、もしくは代表の方に面会するにはどこに行けばいいでしょうか?」
これだけの規模の施設をたった一人が管理しているとは思えないが、少なくとも代表かそれに準ずる人物はいるはずだと思う。
一応それなりに考えた上での僕の質問に、女性はなぜか一瞬だけ戸惑うような表情を見せた後
「なるほど、そういう事でしたか」
と、妙に納得した様子で一人頷いていた。
具体的に何が妙かと聞かれても困るのだが、僕の質問の内容に対しての反応としてはチグハグと言うか、小さな違和感があるような気がしたのだ。
「それでしたら」
そう言って女性が何気なく腕を上げ一つの方向を指差した。
――その瞬間
一瞬視界がぼやけ、立ちくらみにも似た体が傾くような錯覚を感じる。
しかしその錯覚も本当に一瞬の事で、すぐに何事も無かったように視界は元に戻った。
いや正確には元には戻っていなかった。
「……はい?」
この世界に来て以来、数え切れない程の衝撃的な場面に出くわしてきたと思う。
それでも間違い無くこの時ばかりは、前の世界を含めたこれまでの人生の中でも、ぶっちぎりで間抜けな声が出ていた自信がある。
「……これは……、空間転移……? 認識阻害……? ……だとしてもこれだけの範囲に結界を……?」
唯一心当たりがあるのか、ただティアレだけがうわ言のように何かブツブツと呟いていた。
「……ティアレ、今のは一体?」
「いえ……、私も良くは分からないんですけど……。さっき入口の門を潜った時に少しだけ違和感があったんですけど……。多分あそこから結界の中に入った……んだと思います……」
「結界?」
ティアレの結界術ならこれまで何度も目にしてきているし、それならティアレだけが気付た理由もまぁ理解出来なくはない。
ただそれでも今僕らが体験している事は、これ以上ない程の尋常ならざる事態と言えた。
「結界って、この敷地全部をかニャ!?」
「しかし……、だとしてもあれは一体何で、いやどこからどうやって出てきたのでござるか?」
「すごいの~! 急にわーって! ドーンって!」
誰一人状況を理解出来ぬまま、たった今僕らの身に起こった衝撃と興奮をそのまま口々に交わし合う。
そんな中にあってたった一人だけ、
全く変わらぬ姿勢で敷地の中心辺りを指差したまま、
全く変わらぬ暖かい笑みを湛えている女性の姿があった。
その女性が指差す先にある物。
いや、現れた物。
それは見上げても尚足りない程に突き立つ高さもさる事ながら、
それ以上に日の光を受けてキラキラと宝石のように眩く輝く、
神々しい程に美しい、巨大な水晶の塔だった。





