第一九章 -Top of the world- 『アンクーロ』
「・・・さん……、……イッチーさん、起きて下さい。見えてきましたよ」
「んんっ……」
「ん~っ、ん~っ」
馬車の荷台での昼寝にもすっかり慣れた体を起こし、一つ大きく伸びをしたところで少しずつ頭も回ってきた。
胸の上に重さを感じてふと見下ろしてみると、そこには僕の上で何やらムニャムニャと言っているムースの寝顔があった。
どうやらいつの間にか敷布団代わりにされていたらしい。
誤解の無い様、一応名誉の為に言っておくと、こんな風にいつも昼寝をしているわけではない。
いや、確かにしょっちゅう昼寝はしてるけど、それは別に僕だけに限った話じゃない。
ムースは別としても全員御者を務める事は可能だし、今ではこの中に僕も含まれるようになっていた。
なるべく交代で休みを取っておく為というのが最優先ではあるが、身も蓋もない言い方をしてしまえば大してやる事がないのである。
野営地を決めてひとたび準備に入れば、安全確保や食事の用意も含めてやる事は山程あるのだが、いかんせん移動中の馬車の中となるとこれが途端に暇になる。
星降る大地で親方とお酒でも交わすなら、興が乗って「では一曲」となる事もあるが、他の人間が休んでいる馬車の中でギターをかき鳴らす程はた迷惑な奴になりたくはない。
ムースの遊び相手になってあげたり、皆に音楽を教えたりする事が多いとは言っても、さすがにそれにも限度はある。
そんな訳でたまたま僕とムースが休んでいる時に目的地が見えてきたというだけの話だ。
ティアレからは旅や野営に関する知識全般を学び、
スズやセツカからは体術や剣術を学び、
親方やミンクとは新たな楽器だけでなく、生活便利品などの開発談義に花を咲かせ、
空いた時間は可能な限りムースと共に過ごすか、演奏や音楽の為に費やした。
もっとも体術や剣術に関しては言うまでもなく、真剣にやったら恐らくムースにも負けるんじゃないかという酷い有様だった。
決して楽な旅とは言えなかったけれど、それでも間違い無く充実した日々だったと思う。
そんな旅も今日で終わりを告げる。
――中央大陸最大の複合商業都市、アンクーロ。
一つの街として見ても王都に次ぐ規模と言われているこの街だが、その本質は別のところにある。
『王都に次ぐ』と言われるのも、あくまで表の顔として、象徴として、王都以外の街が世界最大の街というのは、大人の事情として色々と都合が悪い面もあるわけだ。
そう言った意味でアンクーロは、実質この世界最大規模の大都市と言っても過言ではなかった。
あらゆる商会がしのぎを削り、中央大陸はおろか他大陸の経済すらも動かす資金力と、それを裏打ちするだけの流物資産。
これまでの旅の中で、ルベルスは間違い無く一番栄えていた街ではあったが、それでもこのアンクーロとはとても比較にならない。
縦横無尽に走る街路の石畳は綺麗に整えられ、ティアレの術で補助されている事を差し引いても快適な事この上ない。
立ち並ぶ建物も木造や石造りだけではなく、モルタルに似たシンプルな外観からレンガ造りの重厚な外観まで様々な多様性が見て取れる。
何よりも街行く人々は皆活気に溢れ、そしてその顔ぶれも多種多様の極みにあった。
サイにも似た岩石のように厳つい体格の衛兵、可愛らしい衣装で笑顔を振り撒いているラミアのウェイトレス、摩訶不思議な術で大道芸を見せているダークエルフ、精霊とは違い小さな身体でヒラヒラと飛びながら露店を冷やかしているピクシー、笑顔の割に抜け目なさそうな有隣目を光らせピクシーの相手をしているリザードマンの商人、何かの玩具を手に元気に走り回る獣人の子供達。
確かにルベルスも他の街に比べればかなり雑多な種族構成ではあったが、今ここで視界に映る光景はそれに輪を掛けてカオスと言える。
でありながらも、街全体は不思議とまとまっていると言うか、同じ一つの方向を見据えているかのような妙な統一性を感じるのだった。
それはひとえに、商業というある意味非常に分かりやすい目的の元に築かれてきた成果とも言えるだろう。
しかし、この街をまとめているもう一つの要因。
街全体に対して決して小さくない影響力を持ち、それと同時に、この街自体が対外的にも非常に強い影響力を持つ理由にもなっているもう一つの要因。
「……はい?」
我ながら間の抜けた声が出た。
アンクーロの街が見えてきた時も、その壮観な街並みは思わず感嘆の溜息を漏らす程だったが、今の僕の衝撃はそれとはまた別の意味で比較にならない。
どう説明すればいいのだろう……。
ティアレがおばあちゃんから受け取ったという手書きの地図を見た時から、確かに違和感はあった。
地図と呼ぶにはあまりにも適当と言うか大雑把だったのだ。
子供が描いたような、と言えばいいだろうか。
ただしそれは、導師様とも呼ばれるティアレのおばあちゃんの腕の問題でない事は、地図の他の部分を見れば明らかだった。
ただその目的地の周辺だけが異常に簡略化されていたのだ。
そして今、自分自身の目で確認してみてようやくその理由が分かった。
とりあえず今現在自分の視界に入る範囲、建物と言うか敷地をぐるりと囲んでいるであろう背の高い塀だが、真っ直ぐな道に沿って続くその塀の終わりが見えない。
右を見ても左を見ても、どこまでもその高い塀が続いているわけだ。
要するに、眼前に広がっているこの広大な敷地そのものが、一つの施設であり僕らの目的地。
導師様の地図が適当だったのではなく、地図上の目的地の方がデカすぎたのだ。
「おいおい……、なんだこの冗談みてぇなサイズはよ……」
「これが一個の建物なんでしゅか!?」
丁度御者を務めていた親方とミンクが呆れたように言葉を漏らす。
自分たちの新しい店よりも先に、僕らをここへと送り届けてくれたのだが、結果的にこの異様な光景を目の当たりにする事になった。
「いえ……私もおばあちゃんから詳しい話を聞いていたわけじゃないので……。ただ地図で見る限りここで間違いなさそう、と言うより間違えようがなさそうですけど……」
ティアレの言う通り、『もしかしたら隣の建物かも』なんて疑いの余地はありそうにもない。
それにしてもこれは、どこで何をどう確認すればいいのかも良く分からない。
「名前を確かめてみればいいのニャ」
「確かにそうでござるな」
「あ……、でも実はおばあちゃんからは『行けば分かる』、としか言われてなくて……」
確かに間違えようがないって意味じゃ、まさに”行けば分かる”けど、確認作業ともなればまた別の話だ。
とりあえず全員揃って馬車から降り、どうしたものかと考え始めたその時だった。
「看板があるの~!」
トテトテと走り出したムースが門? と言うか巨大なゲート脇に取り付けられている表札らしき物を指差して、ピョンピョンと自己主張している。
敷地の大きさ故なのか門扉などはなく、特に守衛の人間が詰めているといった風にも見えない。
これといって他に方法も思い付かないので、皆で揃ってムースの元へと向かう。
よく学校の前に掲げられているような御影石か何かの立派な銘板には、確かにムースの言う通り名前が彫り込まれているのが見えた。
――そしてそこに書かれている名前を確認した瞬間、ムースを除く全員が言葉を失って硬直する事になった。
果たしてそこに書かれていたのは、
『ルスク魔導学院』
僕らが共に旅を続け、導師様と呼ばれる祖母から受け継いだという少女と同じ名前であった。
「え……、えぇぇえええええええええ!」
アンクーロの街にティアレの叫び声が響き渡るのだった……。





