List.10 -夢の始まり- 陽の射し込む場所
僕は一人、ひっそりと静まり返った旧校舎の廊下を歩いていた。
文化祭明けの月曜日。
未だそこかしこに散らばる祭りの残骸。
祭りの後に漂う独特な熱の残滓。
どこか浮き足立った気持ちも冷めやらぬまま、それでも学校という場所は日常へと帰って行く。
今日は一中へと赴き、一日掛かりで祭りの撤去作業。
明日は振り替えで休日となる。
そんな宙ぶらりんな、祭りと日常の狭間にあるゆったりとした時間。
今日明日は僕らも休もうという事で、撤去作業の後、いつも通り当風庵に立ち寄りそのまま解散となった。
発散しきれなかった熱を持て余した生徒の多くは、カラオケやボウリングに行こうと盛り上がっていたのを思い出す。
当風庵で皆と別れた後、自宅へ向かう途中に忘れ物を思い出した僕は、今こうして誰もいない旧校舎の床を鳴らしている。
昨日までの暑さは嘘のように過ぎ去り、季節相応に傾きを早めた窓から射し込む夕陽が、古びた旧校舎の廊下に舞い上がった埃をキラキラと琥珀に彩っていた。
立ち止まり、窓から外を眺めてみる。
いつもなら下校の生徒達で賑わっているはずの昇降口も、部活動の生徒達が走り回っているはずの校庭も、今はただひっそりと静まり返っているだけだった。
(……柄にもなく、ちょっと感傷的になってるのかな……)
そんな風に考えている事自体が、既に僕らしくない事に気付いて思わず笑いが零れてしまう。
その時だった。
今ではすっかり耳に馴染んだ、意識しなくても全ての音を再現出来る程に繰り返した、独特の柔らかい音色と優しいメロディーが遠く微かに響いてきた。
それが誰の手によって紡がれているのかはすぐに分かっても、”なぜ”、”今”この場で聴こえてくるのかが全く分からない。
引き寄せられる様に、導かれる様に、僕の足は自然とその音の発生源へと向けて動き始める。
デジャヴと言うにはあまりにも鮮明な、ただ過去の行動をそのままなぞる様にして廊下を進む。
徐々に大きくはなりつつも、それでもか細い控えめな音色。
普段のおっとりとした声とは違い、良く通る済んだ歌声。
――オーバー・ザ・ムーン。
全ての始まりとなった歌……。
僕はあの日と全く同じ場所に立ち、
全く同じ扉の窓から旧音楽室を覗き込む。
そこにあったのは確認するまでもなく、あの日と同様に、
全く同じ場所で椅子に腰掛け、
クラシックギターを鳴らすチエちゃん先生の姿。
全てがあの日の再現再生の様な錯覚の中、
あの日とは決定的に違っているものが一つだけあった。
どこか寂しそうに、悲しそうにも見えたあの時のチエちゃん先生の横顔は、
今はとても幸せそうな、柔らかく優しい微笑みを湛えていた。
偶然だったのかどうかは分からない。
ただふと顔を上げた先に僕が見えたのかもしれない。
ほんの一瞬だけ驚いた表情を見せた後、チエちゃん先生は軽くプッと吹き出してから、チョイチョイと僕を手招きした。
「なんかすいません、邪魔しちゃって……」
ガラガラとやかましい立て付けの悪い扉を閉めながら、僕は一応謝罪の言葉を口にする。
それでもこの場所に立ち入る事に、今の僕は微塵の躊躇いも無い。
だってここはもう”僕の居場所”だから。
「何言ってるの」
僕の申し訳なさそうな様子が面白かったのか、チエちゃん先生はクスクスと可笑しそうに笑っていた。
僕も釣られて思わず笑ってしまう。
「でも、先生どうしたんですか?」
ほんの暫くの間二人で笑い合ってから、気になっていた事を切り出す。
先生が学校にいるだけなので、それ自体は何も不思議ではないのだが、今このタイミングでこの場所にいる理由が思い浮かばなかった。
今日明日と僕らが活動しない事はもちろん伝えてあるし、文化祭という最大の山場を超えた直後で部室に用事があるとも思えない。
「うん、ちょっとね……。どうしても急いでやっておきたい事があってね……」
「……? 急いでやっておきたい事、ですか……?」
元々何の心当たりも無かったとは言え、むしろそれを聞いて余計に分からなくなってしまった感がある。
確かに昨日までなら急ぎの要件は山積みだったが、ようやくそれが片付いた後で「どうしても急いでやっておきたい事」というのがサッパリ分からない。
首を傾げる僕に、チエちゃん先生はまたクスクスと笑ってから、黙ったまま教室の後ろの方を指差した。
良く分からないままチエちゃん先生が指差す方向に目をやると、そこには少なくとも最後に部室を訪れた時には無かった物が増えていた。
知らず知らず僕の足はそちらに引き寄せられ、教室の一番後ろで止まる。
それが何であるのかは、考えるまでもなくすぐに分かった。
にも関わらず、それを目にした僕は一瞬金縛りに遭った様に固まってしまう。
上げた視線の先にあったのは、壁に掛けられた真新しい額縁。
額縁の中に収まっているのは、これもまた真新しい一枚の賞状。
【第二中学校 軽音楽部】と書かれた横には、
アーリーバードの名前と共に並ぶ、
東郷裕之
市原太一
仁科彰将
小池俊
関谷昌伸
僕ら5人の名前。
そして右側には、少し大きめの字で堂々と書かれた【最優秀賞】の文字。
恐らくチエちゃん先生は、解散後僕らが東風庵に行っている間に、一人部室でこの額縁を用意していたのだと思う。
それ自体はそれ程驚くような事でもない。
直接賞状を受け取ったのは僕自身だったし、それをチエちゃん先生に渡したのも僕だ。
それならば、一体なんで僕が言葉を失う程に衝撃を受けたのか。
それは綺麗に並べられたもう一つの額縁。
全く同じ文言の書かれたもう一枚の賞状。
【第二中学校 軽音楽部 最優秀賞】と書かれたそれは、僕らの物と比べるとほんの少しだけ古びて見える。
ゆっくりと振り返った先には、
本当に嬉しそうに、穏やかに優しく目を細めるチエちゃん先生の笑顔があった。
「……やっと、夢が叶った……」
目尻に浮かんだ雫が、窓から射し込む夕陽を受けてキラキラと輝いている。
静かに上げられた右手には、誇らしげに立てられた二本の指。
愛と平和を願うピースサイン。
その時の笑顔は、
チエちゃん先生と出会ってから、今までで一番素敵な笑顔だと思った。
二つ並んだ全く同じ賞状。
もう一枚の方に書かれている5人分の名前だけが違う。
その中で僕に分かるのは2人分だけだったけど、それでも全ての事情を察するには十分だった。
柊千枝
喜多村雪希
そこに書かれていたのは、
今回僕らを文化祭のステージに立たせてくれた人の名前と、
僕がとても良く知っている人の名前だった。
実を言うと、プロット上用意していた現代編はこれで最後。
でもまたやるような気がします。
個人的に大好きなエピソードなので、気に入ってもらえたら嬉しいです。
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