List.10 -夢の始まり- 伝説の始まり
「おお~! 結構集まってんなぁ!」
体育館に戻ってからの第一声はアキだった。
「確かに、思ってたよりもすげーなぁ」
続けてそう言ったヒロの声も、この場の熱に当てられたのか少し興奮気味だ。
でもそれも当然と言えば当然だろう。
毎年三中祭で一番の花形と言ってもいいメインステージ。
自由参加という訳にもいかないこのステージでのパフォーマンスは、その競争率の高さもあってか、ただの中学生の文化祭とは思えない程毎年恐ろしくレベルが高い。
それは地元でも割と有名な話で、ただでさえ知名度が高い三中祭の中でも、とりわけ人気のコンテンツと言っていいだろう。
もうすぐ僕らが立つ予定のステージの前は、既に黒山の人だかりになっていた。
もちろん今日という日の為に費やしてきた時間は計り知れないが、あくまで文化祭は僕ら生徒達のお祭りでもある。
それはそれ、これはこれ。
いくら部活動などの優先度が高いとは言っても、自分達のクラスの出し物を完全に無視する事は出来ないし、生徒達自身が文化祭を見て回る時間だって当然大切だ。
それらも全て込みで文化祭である。
実際僕らも朝から体育館と教室とを走り回り、昼近くになってさすがに我慢にも限界がきた。
色々と冷やかして回りたい気持ちもあったし、さすがにステージの前に少し腹ごしらえをしておこうという話になり、今は丁度食事を済ませて体育館へと戻って来たところだった。
僕らが顔を出していたのは、後輩ちゃん達がやっているという『ケモ耳メイド喫茶』なる謎の空間。
そのケモ耳メイド喫茶は一体何事かというぐらいの盛況ぶりだった。
それを反則技に近い後輩ちゃん達の手引きによって、どうにかこうにか潜り込む事が出来たのだ。
「絶対見に行きますから、頑張って下さいね先輩!」
最後にそう言って見送ってくれた後輩ちゃん達の表情は、どこかいつもとは違って見えた。
一中の『GLT』というバンドがお目当てだとばっかり思っていた僕らには、その真剣な眼差しはちょっと意外なものに映ったのかもしれない。
「ありがとう」
少しだけ照れ臭くもあった僕らは、ただそれだけを言い残して、ポリポリと頭なんかをかきながらそそくさと教室を後にしたのだった。
「あれ? 兄さんだ……」
「ん? イッチーの兄ちゃん来てんのか? そういや最近俺らも全然会ってなかったな」
「ここのところずっと仕事が忙しかったみたいだから。今日も行けたら行くとしか言ってなかったんだけど」
付き合いの長いヒロとアキはもちろんだけど、今ではシュンもマサも兄さんとは顔見知りみたいなものだった。
新しいバンドを教えてくれたり、新しいアルバムやビデオを貸してくれるのも相変わらすだ。
僕らにとって初めてのステージという事もあって、全てのきっかけを作ってくれた兄さんにはどうしても見に来て欲しいという気持ちがあった。
「僕ちょっと行ってくるよ」
「おう、でもあんま遅くなるなよ。俺らもそろそろ準備しないとマズイからな」
「分かってる」
こういうところはすっかりリーダーらしくなってきたヒロにそれだけ告げると、僕は兄さんが立っている壁際へと足を速める。
(……あれ? 隣にいるのは、チエちゃん先生……?)
結構身長の高い兄さんに隠れて見えなかったけど、どうやら隣に立っているのはチエちゃん先生みたいだ。
組み合わせとしては何の違和感もないが、よくよく考えてみれば、この二人だけで話をしているのを見るのはこれが初めてかもしれない。
「兄さん、ホントに来てくれたんだ」
「よっ、イッチー。そりゃあ、お前達の初舞台を見逃す手はないだろ。それに、毎週毎週休日出勤なんてしてられるか……」
そう言って肩をすくめる兄さんに、隣のチエちゃん先生は笑いを堪えて肩を震わせていた。
まあ確かにあまり笑えた話じゃない。
「先生はどうしたんですか?」
「ほら、市原君のお兄さんには私も散々CDとかライヴビデオとか貸してもらってたのに、今まで一度もちゃんとお礼言えてなかったでしょ」
「あー……、確かにあんまりタイミング合う事なかったですもんね」
さすがに今日が初対面というわけじゃないが、顔を合わせた事も数える程しかなかったような気がする。
先生は学校だし、兄さんは会社だし、接点が無い以上仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが。
「さあ、それじゃあそろそろ準備に行きましょうか、市原君。お兄さんもまた。失礼します」
「はい、わざわざありがとうございました」
「あ、そうですね。……兄さんもまた後で」
「おう」
それぞれ挨拶を済ませると、僕とチエちゃん先生は控え室になっている舞台袖の準備室へと向かう。
その時だった。
「イッチー!」
突然兄さんに呼び止められて僕は後ろを振り返る。
「楽しんでこいよ!」
そう言って掲げた兄さんの右手には、言葉以上に雄弁に物語るピースサイン。
「……」
だから僕は何も言わなかった。
ただ兄さんと同じように右手を掲げ、ピースサインを返しただけだった。
「続きまして、第二中学校軽音楽部のステージです! 一度は廃部にまで追い込まれていますが、新生軽音部として堂々の復活! それではどうぞ、アーリーバードです!」
放送部の司会進行役による慣れたMC。
ゆっくりと上がっていく緞帳。
ステージ前に詰め掛ける人だかりは予想を遥かに上回っていた。
一度だけメンバーの顔を見回してみるが、誰一人として緊張の欠片も見られない。
僕が言うのもおかしな話だけど、笑ってしまうぐらい皆いつも通りだった。
本当は挨拶の一つぐらいはするつもりだった。
新しい軽音部の経緯を語ってみるのも悪くないかな、なんて事も思っていた。
一瞬で全てどうでもよくなってしまった。
僕がやるべきは語る事じゃない。
「ワンツースリーフォー!」
言葉の代わりにカウントを叫ぶ。
『like a bird, way of dodo』
ゴリゴリにディストーションを効かせたヒロのバッキングソロが走り、雷鳴の如く体育館の床を痺れさせ、観客の意識を瞬く間に奪っていく。
シュンのベースが追いかけるように絡まり、異なる二本の弦楽器は一つの波へと包まれる。
フェイドインしてきたアキのドラムへと、緩やかにリズムのリードは手渡され、揺るぎない土台が構築されていく。
ヴァイオリンの音に寄せたマサのキーボードが跳ね回り、この曲独特の彩りを飾り始める。
最後に僕は相棒を叩き起こし、この曲に込めた想いをメロディーに乗せていく。
僕らの音はバンドという一つのうねりへと収束され、
そのうねりは観客というもう一つのうねりと混ざり合い、
やがて更なる大きなうねりへと拡がっていく。
アーリーバードとして初めてのステージ。
僕らの演奏そのものは、いつもと何ら変わることもなかったが、決してその意味合いまでもが同じだったわけではない。
アーリーバードがアーリーバードとして、
僕らの曲を、
僕らの想いを、
僕らの演奏に乗せて届けた日。
時代遅れの鳥が、遂に自らの翼を広げて飛び立った日だった……。
......................................................
私の手は震えていた。
自分の手が震えていると気付くまでには暫く時間が掛かった。
思わず両手で自分の体を抱く。
そうでもしないと全身に伝播する震えを止められそうになかったからだ。
それでも背中から突き上げてくる痺れを止める事は出来ない。
「……チエ……、あんた、とんでもない子を見つけてきたね……」
無意識の内に言葉が漏れ出ていた。
こんなライヴを味わったのは果たしていつ以来だろう。
それぐらいあの子達の演奏は高いレベルにある。
それは技術や完成度の話じゃない。
いや、正確にはその技術や完成度ですら、学生のアマチュアバンドの領域は遥かに飛び越えている。
『荒削りではあるが』なんて、枕詞にも似たお決まりの前置きすら全く必要としていない。
けれどその根幹は、ただひたすらに、どこまでも楽しむ事しか考えていない。
恐らくあの子達の頭の中には、この文化祭の賞の事なんて欠片も無いだろう。
あの子達の、
彼らの音は、内ではなく外に向いている。
その事が狂おしい程に良く分かる。
私もそうだったから。
「ちょ、ちょっとユキちゃん先生ぇ~、聞いてないよぉ~。あの子達今回が初めてのライヴなんじゃないの~?」
「むーりー、あんなの絶対ズルイって……」
ずっと傍で見てきた生徒達の情けない声が聞こえてくる。
この子達だって三年近く、自分達の音と真剣に向き合ってきたんだ。
それだけに、今目の前で何が起こっているのか痛い程良く分かってしまうのだろう。
完全に飲まれてしまっている。
無理もない……。
彼らが見ている場所はあまりにも遠すぎる……。
この子達はもう三年生。受験の事も考えれば、多分これがこの子達にとっては最後のライヴになるだろう。
そういう意味でも勝たせてあげたい気持ちはあった。
去年惜しくも最優秀賞を逃してしまった、可愛い生徒達の最後の思い出として。
でも今の私は、皆の情けない声を聞いて笑わずにはいられなかった。
「も~、ユキちゃん先生、他人事だと思って~!」
「ごめんごめん。いや~、でもあれは無理でしょ」
これが敵ながらあっぱれというやつなのか、自分で言っていて笑いしか込み上げてこない。
「……もう今時バンドなんて流行らないのかな……?」
いつか親友が言っていた言葉を思い出す。
時代が違う、と言ってしまえばそれまでだけど、認めたくない自分もいた。
「じゃあさ……、いつか私達がそれぞれの生徒を……、バンドを……、三中祭のステージに立たせてあげようよ」
私自身が信じたかっただけなのかもしれない。
会う度に元気がなくなっていく親友を、励ましたい気持ちもあったのかもしれない。
二中の軽音部が廃部になった事は知っていた。
毎年バンドをやりたいなんて子が減っているのも分かっていた。
それでも信じたかった。伝えたかった。
「……うん……」
頼りない声ではあったけれど、あの時私達は確かにそう約束したんだ。
「もう限界! 私も行く!」
「ちょっとぉ~、敵に塩送る気~!?」
「だってもう無理! あんな楽しそうなのに、ウズウズして我慢できない!」
遂に痺れを切らせた生徒の一人が立ち上がり、ステージ前に向かって走り出した。
無理もない。
こんな演奏を聴かされて、黙って大人しくしていられる方がよっぽどどうかしている。
むしろ当然の反応だと思うし、そんな生徒達をとても愛おしく思った。
だって私達は全員、揃いも揃って”音楽馬鹿”なんだから。
「さあ、楽しんでらっしゃい!」
そう言って私は、力強く生徒達の背中を叩いてやるのだった。
同じ音楽馬鹿の一人として……。





