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第十八章 -Jump- ラヴ&ピース

「さて皆様……、最後になりますが、皆様の中で今日が一体何の日かご存知の方はいらっしゃいますでしょうか?」


 急に改まった様子でエリオがそう問い掛けた。

 さっきの営業スマイルとは打って変わってその表情は真剣そのものだった。


(あれ? こんなのリハには無かったけど、アドリブかな……?)


「……いらっしゃいませんか……」


 二度目のその言葉は問い掛けと言うよりは、どこか重く落胆した響きを含んだ寂し気な一言だった。


 僕が知らないのは当然としても、これだけの人数が集まっている会場のどこからもエリオの問い掛けに答える声は上がらない。


(なんだろう……? 祝祭日ならどれだけマイナーだとしても、一人も知らないなんて事は有り得ないだろうし……。何かの記念日? 歴史的な出来事があった日?)


 そのどれだったとしても、誰一人として知らないとは考え難い。


 皆揃ってこの状況で答える事を躊躇っているという可能性も無くはないが、会場にいる人達の表情からはそういった様子は窺えない。

 首を傾げている人、隣の人同士で耳打ちしている人。

 どの顔も答えを持ち合わせているとは思えないものばかりだった。


「……それでは、1()6()2()7()()()の今日、と言えばいかがでしょうか……?」


「あっ!」


 たった一人だけ、たった一つだけ響いた声があった。


 けれどその声は観客席から聞こえてきたものではない。

 むしろ会場にいる誰にもその声は聞こえなかったかもしれない。


 叫んだと言うよりは、思わず出てしまったといった感じの小さな一声。


今ではすっかり聴き馴染んだ済んだ声は、()()()()()から聞こえてきたものだった。


「ティアレ、何の日か知ってるの?」

「えっと……、多分ですけど……、音楽神イチハ様がお亡くなりになった日じゃないかと思います……」


 そう言えば、音楽の神様を失ったという話はこれまでも何度か聞いた事はあったけど、それが一体いつの出来事だったのかは聞いた事が無かった。


 そして付け加えるならば、僕はこの時までそれが1600年以上も前だったという事、そしてその()()()()()すらも理解していなかったのだ。


「1627年前の今日……、音楽神イチハ様が暴走した闇龍アートルムによって滅ぼされた日……。闇龍の呪いによって輪廻の輪すらも奪われてしまった日……。このメアから音楽が消えた日……。音楽が死んだ日……」


(音楽が死んだ……? 一体どういう意味だろう? 何かの比喩だろうか……)


「その日を境に、この世界に新たな音楽が生まれる事はなくなってしまいました……。文字通り私達は音楽を奪われたのです……」



 ――脳天から雷を落とされた様な衝撃が走った。


 新しい音楽が生まれない……。

 音楽を奪われた日……。


 エリオのその言葉が、徐々に僕の胸の内に重く重くのしかかってくる。


 たった一つだけ人に誇れる物。

 たった一つだけ揺るぎなく守り続けてきた物。


 それが僕にとっては音楽だった。


 単純な比較は出来ないとしても、向こうの世界で1600年以上前と言ったら、まだドレミファソラシドすら誕生していない。

 そんなところから音楽が歩みを止めてしまうという恐怖。


(もし僕がそんな世界に生まれていたら……)


 音楽と共に生きてきた僕にとって、それは想像しただけでも目眩がする程の絶望だった。


 そして次に襲ってきたのは、僕がこの世界に来てからこれまで、見てきた物、体験してきた事。


 僕が演奏をする度に、本当に嬉しそうに体を揺らし声を枯らしてくれた人々。

 行く先々で僕を暖かく迎え、音楽という共通言語で繋がり合った人々。


 流れ続ける涙を拭おうともせず、ただひたむきに耳を傾けていたあの夜のティアレ。

 「これ程心踊ったのは、イチハの奴が逝って以来」と言った、あの時のセフィラートの言葉。

 口々に「音楽神イチハ様の復活だ」と心から喜ぶ人々。

 『聖光の楽士様』などと盛大に担ぎ上げられた事。


 光景、想い、表情、言葉、そして音楽と歌声……。

 様々な記憶が一気に渦を巻き、今ようやく僕の中で全てが一本の線に繋がる。


「ですが私達にも、遂に一つの奇跡が舞い降りました……。

 そうです、聖光の楽士イッチー様の誕生です。


 私は今日というこの日、この場をお借りしてここに宣言したいと思います!


 この一帯『グランストック』は、現在私共エイトビートが所有し私有地となっております。

 今は何も無いこの地ですが、このグランストックを新たなる音楽の聖地として定める事!


 そして今日8月15日、この日を音楽再誕の日とし、毎年ここ聖地グランストックで()()()を開く事をお約束致します!」


 エリオの高らかな宣言に、会場から音が消えたのはほんの一瞬だった。


 続けて響いたのは怒号――。


 客席からの叫びが大きなうねりとなってステージを揺らす。

 興奮した表情で互いに肩を叩き、背中を叩き、抱き合い、涙を流すその姿。


 今なら僕にもその意味、重さが理解出来る。


 失った音楽を取り戻すという歓び。


 だがそんな希望と言ってもいい人々の歓びを前に、僕は生まれて初めて期待に対するプレッシャーというものを本気で感じていた……。


 音楽の神様なんて大それた存在に興味はないし、自分がなれるとも、ましてやなりたいとも思わない。

 けれど皆が求めるその存在に相応しいだけの物を、僕は本当に返す事が出来るんだろうか。


「それではお待たせ致しました。どうぞ、聖光の楽士イッチー様です! 今宵はどうぞ心ゆくまでお楽しみ下さい!」


 最後にもう一度優美な一礼を残し、エリオが僕らのいる舞台袖へと引き上げてくる。


 でも僕らはすぐには出ない。


 それ自体は打ち合わせ通りではあったが、生まれて初めて味わう次元の違うプレッシャーに、僕の足はうまく動いてくれそうにもなかった。


 ステージの揺れも少しずつ収まり、そろそろタイミングだという事を思い出す。


 一面黄金色の海だった平原は徐々に暗紫色へとその色を変え、入れ替わる様にして現れた天球の星々が優しく瞬き始める。


(そろそろ本当に動かないとマズイ……)


 顔を上げた僕の視界に入って来たのは、いつの間にかすぐ正面に立っていたエリオだった。


 エリオは普段と全く変わらないリラックスした様子で、ポンッと一つだけ僕の肩を叩くと


「私に出来るのはここまでです。後は任せましたよ、()()()()


 そう言って無邪気な子供の笑顔で、本当に嬉しそうに笑ったのだった。


 ――僕の中で何かのスイッチが入った。


 一体何を思い悩んでいたのかと馬鹿馬鹿しくなる程に。


「ティアレ!」

「はい、いきます! コントロールマジック、フルコントロールマジック、マジックディレイ、マージマジック、ホーリーライト、ファイアーボム、ウォータースプラッシュ、トルネード……、お願い力を貸して……、ファイアースピア!」


 掛け声と共にティアレのいる簀の子から、一筋の光の矢が天球に向かって放たれる。


 長い長い詠唱とは裏腹に、光の矢はヒュルヒュルヒュルと頼りなく揺らめきながらゆっくりと夜空へ向かって昇っていく。


 当然誰もが気を取られ、何事かと無意識の内に光の矢を目で追っていく。


「スズ」

「はいニャ」

「ムース」

「はいなの~」


 一度だけ三人で頷き合ってから、静かにステージへと足を進める。

 未だ上昇を続ける謎の光に意識を奪われ、観客の誰一人として僕らに気付く気配はない。


 一体どこまで上がるのかと不安になり始めた頃。


「スターダストフォール!」


 右手の向こうからティアレの詠唱が聞こえた。


 ――刹那


 完全に日が落ち平原が濃紺へと色を変えたまさにその時。


 夜空に極彩色の大輪が壮麗な花を咲かせた。


 一秒遅れて届く強烈な爆裂音に会場の空気がビリビリと痺れる。


 炸裂と連鎖を繰り返しながら次々と花びらを拡げていく光の大花。


 赤、青、緑、黄、白、ひと時として留まる事なく、刻一刻と色彩を変化させながら拡散していくその様に、誰もが目を見開き呆然と夜空を見上げている。


 やがて上空を覆い尽くさんばかりに芽吹いたその花は、突然ピタリと動きを止めた。


 数秒だったのか数十秒だったのか、現実離れした光景に心奪われ会場の時間も同時に静止する。


 最後にもう一度パンッという軽い炸裂音を残して一回り大きくなった大花は、遂にその花びらを散らせ始める。


 ゆっくりゆっくりと、長く長く尾を引きながら地上へと降り落ちる光の花びら。


 それはまさしく夜空に現れた星屑の滝だった。



 『スターダストフォール』。

 探求と研鑽を繰り返し生まれた、ティアレだけの、ティアレらしいオリジナル魔術。

 何かを傷付ける為ではなく、人々に感動を与えるという目的の為に紡がれた()()()()


 もっともスズやセツカに言わせれば、複数の異なる属性を同時に制御するなんて離れ業が可能なのは、ティアレぐらいしかいないという話だけれど……。


 この世界に音楽の新たな息吹を伝える、音楽の再誕を祝う、そして誰もが音楽を愛せる様にと願いを込めた僕らの狼煙だった。



 天球に散りばめられた星々と、徐々に溶け合い混ざり合いながら消えていく光の滝を、もう一度だけ目に焼き付けてからそっと目を閉じる。


「……セツカ」

「御意」


 ――目を開けると同時に全てのスキルを全開放し、セツカに制御をバトンタッチする。


「ワンツースリーフォー!」


 高らかなカウントが平原を駆け抜け、完全に上空に気を取られていた人々の顔が一斉にステージへと向けられる。


 一曲目はこれしかないと決めていた。

 『Music Rules』。


 音楽馬鹿が音楽馬鹿に贈る、音楽馬鹿の為の歌。


 ピックを叩きつけた瞬間から、ゴチャゴチャと思い悩んでいた全てが霧散していく。


 一瞬でピークに達した客席からの大歓声が、僕らの大音量に負けじとステージを震わせる。

 それはもう音などという生易しいものではなく、空気を震わせる巨大な津波となって逆に僕らを容易く飲み込む。


 久しく忘れていた感覚に、首筋から後頭部にかけてゾクゾクとした甘い痺れが走り、全身が粟立っていくのを感じる。


(そう、これだ……。この感じ……)


 経験した者にしか分からない、一度味わってしまったら二度と忘れる事が出来ないライヴという名の魔性。

 共に積み上げた音の先にある、バンドという一体感。

 そしてその更に一歩先、バンドが奏でる音と観客とが一つとなり初めて生まれる共鳴感。


 全てはこの瞬間の為に音楽をやっている。

 そう言ってしまっても過言ではないと思える程度には、僕はこのライヴという空間を堪らなく愛していた。


 ステージの後ろを振り返る。


新たな秘密兵器を手にしたスズの両手から、今までこの世界には存在し得なかった『ビート』という初めての概念が紡がれていく。


 腰掛けたカホンだけでは物足りず、左右には二分割された愛用のドンゴ、更には親方に追加で要求した計四枚のシンバルを携えて、ステージのど真ん中でニャハハと笑っている。


 ステージの右側に目を向ければ、そこには踏み台の上に立ちどうにか高さを補っているムース。


 どこからどう見ても幼子の(実際に子供だけど)、踏み台の上に立った危なっかしい見た目とは裏腹に、その小さな指先は鍵盤の上を際限なく舞い踊る。


 金属弦に張り替えられたクラヴィコードから複雑に編み込まれたメロディーが展開され、ギターの音と絡み合いながら高く高く突き抜けて行く。


 モニタ音に意識を切り替えてみれば、僕らが奏でるそれら全ての音を完璧な配分で観客へと届けてくれている、セツカのその能力が驚く程良く分かる。


 ここから見る事は出来ないが、きっと今頃向こうではセツカの兎耳が忙しなく動き回っている事だろう。


 ステージ上では有り得ない角度、有り得ない光量で、眩いばかりの多種多様な光が踊り狂う。


 簀の子を見上げると、丁度真下を見下ろしたティアレと目が合った。

 

 ティアレはスポットライトに負けないぐらいの最高に眩しい笑顔で、グッっと親指を立てるのだった。


(皆揃いも揃って、最高の音楽馬鹿達だ……)



 ここまで皆にお膳立てしてもらっておいて、僕だけが情けない姿を晒す訳にはいかない。


 澄み切った夜の空気を吸い込み下腹に力を込めて、音楽に対する祈りや願い、希望や愛、そういった様々な想いと共にあらん限りに喉を震わせる。


 青臭くてもいい、気恥ずかしくてもいい。

 

 周りからどう思われようと、何を言われようと、結局僕はただの音楽馬鹿でしかない。


 神様が死んだとか音楽が死んだとか、正直僕にはそんなスケールの大きな話は荷が重すぎる。


 僕に出来るのは昔からたった一つだけ。


 ギターをかき鳴らし、思いの丈を込めて声を張り上げる。


(馬鹿は死んでも治らないとは、本当に良く言ったものだ……)


 そう、何も思い悩む必要などなかった。

 だって僕には()()しかないのだから。



 ――次の瞬間


 帳の降りた見果てぬ平原に、噴火の如き虹色の大樹が天空目掛けて吹き上がった。


 信じられない程巨大な光の柱は、緩やかに渦を巻きながら加速的にその高度を上げていく。


 瞬く間に観客席の中央に聳え立った光の大樹は、ティアレの術が花を咲かせた辺りまで一気に立ち昇ると、今度は大樹を中心にして波紋の様にその枝葉を拡げていく。


 会場を覆い尽くす程に羽を拡げた大樹は全体がゆっくりと回っていて、上空から眺めたらきっと台風の目の如き壮観さに違いない。


 やがて徐々に高度を落とし始めた光の渦が突然弾け、平原は視界の限り拡散した光の粒子で埋め尽くされた。


 ある色は同じ色で集まり、またある色は別の色と混ざり合って新たな色へと変化し、揺れ、跳ね、飛び、音楽に合わせて大きな大きなうねりとなって舞い踊る。


 精霊だった。


 人工物の多い場所には精霊はあまり姿を見せない。

 もちろん確信は無かったが、僕らが何も無いこの平原を会場に選んだ狙いの一つがこれだ。


 とは言え、この状況を目論んだ僕ら自身ですら想像もつかなかった膨大な光の粒子の乱舞は、何も知らされていない観客には少々刺激が強すぎたかもしれない。


 皆ポカンと口を半開きにしたまま固まり、今目の前で起こっている事をどうにか処理しようと脳がフル回転している事だろう。


 しかしそれも束の間。

 理解が追いついたのか、もしくは即考える事を放棄したのか、どちらにしてもすぐに正気を取り戻したみたいだ。


 右の拳を振り上げ、声を枯らし、今というこの掛け替えのない時間を精一杯楽しもうとする姿。


 これこそ僕が追い求めて止まない、愛して止まない、()()()()()()だった。



 さあ、僕らも精一杯楽しもう!


 そんな想いを込めて、僕は今夜もギターを鳴らし歌声を届ける。


 そうだ、いつもと何も変わらない。


 その時、一つだけふと思い出した事があった。


(向こうとこっちの暦が同じかどうかは分からないけど、そう言えば今日8月15日は、奇しくもあの伝説のウッドストックが開催されたのと同じ日じゃないか……)


 しかもこの地がグランストックなんて随分と出来すぎた偶然ではあるけど、別に今はそれもどうでもいい。



 そういう事なら……、僕もせいぜいかつてのミュージシャンに倣って、声の限りに叫んでみようじゃないか。


 僕がこの世界に向けて贈れる一つのメッセージ。


 向こうの世界とこっちの世界を繋ぐ、架け橋となる魔法の言葉。


「ラヴ&ピース!」


 と……。

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