第十八章 -Jump- ウッドストック
「ティアレ、そっちは準備の方どう?」
「ひゃい! ……は、はい……、大丈夫です。い、いつでもいけます!」
ミンク並にカミカミのティアレも珍しいが、今日ばかりはさすがに無理もないのかもしれない。
ここからティアレの姿を直接確認する事は出来ないが、きっと今頃上でアタフタしているのだろう。
「ははっ、そんなに緊張しなくても……。今日はティアレは裏方だからもう少し肩の力を抜いて」
「そ、それは確かにそうなんですけど……。って言うか、むしろイッチーさんの方こそなんでそんなに落ち着いていられるんですか……」
「う~ん……、慣れ? かな……」
とは言っても、僕自身は人前で緊張したという経験自体がほとんど無いので、良く分からないというのが正直なところだ。
「慣れって……。普通慣れるような状況じゃないと思いますけど……」
カホンの完成からおよそ二週間。
僕が親方に開発を急いでもらったのも、ルベルスに戻って以来ひたすら練習に明け暮れていたのも、更に言えばエリオ発案である『エイトビート』設立も、全てはこの日の為の下準備だったとも言える。
ルベルスの街から北西へ数キロ離れた見渡す限りの平原。
いや、正確には見渡す限りの平原だった場所。
なぜ『だった』と過去形なのかと言えば、それは実際に周囲を見回してみれば一目瞭然だった。
とても数千という単位ですら足りない、万を超える人、人、人。
その全てが奇妙な熱気に包まれ、今か今かとその時を待っている。
集まっている人々は皆揃って愉しげに笑顔を浮かべ、これだけの人間がひしめいているにも関わらず場の空気はむしろとても和やかなものだった。
ロープで囲われた各区画は綺麗な碁盤の目状に配置され、皆それぞれ自由に持ち込んでもらったござやマットの上でゆったりと寛いでいる。
仮に手ぶらだとしても、下は柔らかく背の低い草なので何も問題はないだろう。
ゆっくりと西の山合いへと降り始めた陽の光は一面をオレンジに染め上げ、時折吹き抜ける南風は肌に優しく心地良い。
これだけの場所を確保した事はもちろんだが、当然ただ場所さえあれば良いなんて簡単な話ではない。
ステージの設営、規模に応じた簡易トイレの設置、自由に飲める飲料水の確保、誘導警護に必要な人員。
それらありとあらゆる全てを、たった二週間で準備してみせたエリオの手腕はさすがとしか言いようがない。
僕らがルベルスに戻って来て以来、ずっとこの日の為にあれこれと根回しを進めていたらしい。
今ティアレがいるのはステージの更に上、簀の子と呼ばれる幕や照明を設置する為のスペースだ。
舞台袖にいる僕らからは丁度死角になっていて、直接その姿を見る事は出来ない。
じゃあどうやって先程のやり取りをしていたのかと言うと……。
簡単に言ってしまえば、僕のスキルをほんの少し応用しただけである。
集音位置設定、つまりはマイク、それとアンプリファイア、つまりはスピーカー、これらを組み合わせてトランシーバ代わりにした訳だ。
今の僕のスキルで50でも100でも同時に作り出せるので、エイトビートの関係者には全員設定しておいた。
設定さえしてあれば、右耳に右手を当てるだけで誰でも通話に参加出来る様になっている。
「セツカ、そっちはどう?」
「ひゃい! もも、も、問題ないでごじゃるよ!」
(……こっちもか……。って言うかごじゃるて……)
「ニャハハハ、セツカ~、さすがにごじゃるはないのニャ~」
「ス、スズ様……、そうは言うでござるが、バルハイドの演奏会とは訳が違うでござるよ……?」
「……? そうかニャ? アタシはこんなに沢山の人の前で演奏出来るなんて、もうワクワクが止まらニャいのだけどニャ~。ねっ、ムース?」
「うんっ! ムースもすっごくすっごく楽しみなの~! お兄ちゃんとスズお姉ちゃんと一緒に演奏するの、いつもドキドキなの~」
どうやらここにもこっち側の人間がいたらしい。
「ハァ~……、三人の肝の据わり方には敵わないでごじゃるよ……」
「ニャハハハハ!」
そしてそのごじゃるのセツカの方は、ティアレよりも更に視認が難しい。
ステージ真正面から遥か150メートル程離れた客席のど真ん中。
今日はそこでセツカに全てのPA【音響】を任せる事になっている。
セツカの更に後方には、例のエリオ自慢の術具である巨大スクリーンが聳え、今尚続々と増え続けている人達の為に一役買ってもらう手筈だ。
ルベルスからの送迎用の馬車、荷台、御者等はエリオの要請により、ルベルス商会が総出で全てを担ってくれた。
それでも人数が人数なので、一体どれだけの人員が投入されているのかは想像もつかない。
加えて客席の両サイドには、いつの間に用意したのか無数の移動式屋台が立ち並び、どこもかしこも大盛況といった有様だった。
舞台袖からティアレがいる簀の子を見上げる。
簀の子を客席側から覆い隠す様にして設置された巨大看板。
中央には『∞』をモチーフにした数字の8と、『Beat』の頭文字であるBを二つ並べた『8B』というエイトビートのロゴマーク。
右隣にはメアで初めて誕生したアコースティックギターの絵柄と、筆記体で重なる様に描かれた『Tod's Musica』の文字。こちらはトッド・ムーシカのロゴだ。
この両方は実は僕がデザインさせてもらった。
そして左隣には、白抜きのバックにあくびをしている猫の絵が描かれた猫亭のロゴマーク。これは全ての猫亭の入口に掲げられている看板と同じ物だ。
これ以外にもステージ手前の側面には様々な垂れ幕が並び、各商会や飲食店、宝飾店の名前、貴族の家紋などが所狭しとひしめいている。
中にはどさくさ紛れなのか『レリュート号』や『モルド漁業組合』なんて文字も見える。
これら全てが今日のこの日を支えてくれる協賛、つまりはスポンサーだった。
話を通しやすくする為に何度か同席させられた事はあったが、話をまとめたのは偏にエリオの手腕と言って間違い無いだろう。
その当のエリオが、今ゆっくりとステージに上がる。
いつも何ら変わらない様子でステージ中央まで歩みを進めると、いつもと何ら変わらない様子で優美な一礼を決めた。
一体どんな場数を踏んできているのか、僕らとはまた違った意味で緊張の欠片も見られない。
人々のざわめきが一瞬で静寂へと変わり、雄大な平原を吹き抜ける風の音だけが辺り一帯を支配する。
僕はリハーサル通り素早くスキルを発動させ、エリオの声を見通せぬ遥か向こう側にまで届ける。
「皆様、本日は私共エイトビート主催の演奏会、イッチー様のお言葉をお借りすれば『コンサート』、『ライヴ』等と呼ぶらしいのですが、ライヴへ足を運んでいただき誠にありがとうございます。
皆様が私の退屈な演説をお聞きにいらした訳ではないという事は重々承知しておりますので、可能な限り手短にご説明させて頂きたいと思います。
まず初めに本日のこのライヴですが、ご協力いただいております移動式屋台や貸し出し品などを除き、ライヴそのものに関しましては完全に無料となっております」
それまで静まり返っていた平原は、エリオのその一言で一気にざわめきを通り越してどよめきへと変化していく。
この世界の常識で考えれば、それだけ有り得ない事なのだろう。
「その代わりという訳ではございませんが……」
どよめきを断ち切る様にして続けられたエリオの言葉に、再び平原に静寂が満ちていく。
「本日のこのライヴ終了後、皆様には善意の募金という形でご協力を願いたいと考えております。
もちろんこれはあくまで皆様の御意思にお任せするものであって、決して何ら強制する事はございませんし、無料のままでも一向に構わないものであるという事はご理解下さい。
その上で、本日集められた募金、並びに今日という日を記念して作られた公式関連商品の売上等は、運営費諸費用などを差し引いた残りの全額を、各地の孤児やそれに関する施設、及び音楽復興支援資金として運用させていただきたいと考えております。
これらの資金運用に関する詳細は、今後全て逐一各街の商会掲示板に提示させていただく事をお約束致します。
つまり……」
エリオはそこで一度言葉を切ると、勿体付ける様に殊更ゆっくりと観客席を見回した。
「私共は全員タダ働き、という事でございます」
そしていつもの百点満点の営業スマイル。
客席は一瞬にして先程とは別種のどよめきに包まれ、すぐにあちこちから歓声や指笛が沸き立ち始める。
「いいぞ、エリオ~! 心配しなくてもたんまりと募金してやるからよ~!」
「その心意気買ったぜ! 応援してるぞ!」
「キャー、エリオ様~!」
ここから一番良く見える席、逆に言えば客席の中で最もステージに近い、アリーナとも呼べる正面最前列の一団。
親方やミンクは当然この席にいて然るべきなのだが、当の本人達が即答で辞退した。と言うよりむしろステージ設営や諸々に尽力し続けてくれている。
恐らく今もどこかでバタバタと走り回っている事だろう。
その一団の中に見える懐かしい顔ぶれ。
トーガ、フロッソ、二人の奥さん、ラントルム商会代表という事でエルフのお姉さん、助けてくれた衛兵さん、フューレンさん、ウルハさん、レリュート号の船長と娘さん、モルド島の弟さん、そして例の事件に巻き込まれたノーベンレーンの子供達。
全員僕がエリオに頼んで手配してもらった特別招待客。
僕らがここから遠く離れたアンクーロへと旅立つ前に、改めて感謝を伝えたかった大切な人達。
少しでも心の傷が早く癒える様に、何かを残していってあげたかった子供達。
思い返してみれば僅か半年も経たない内に、音楽を通じて様々な出会いや出来事があった。
もちろん良い事ばかりではなかったが、それを遥かに上回る素晴らしい記憶ばかりだ。
結局僕に出来る事、返せる物なんてこれしかない。
僕とエリオと親方、そして大切な仲間達と共に今日ここで創り上げたかった物。
そう、それは言ってみれば、
初めて産声を上げる
メアという名のこの世界で新たに始まる『ウッドストック』の伝説だった……。





