第十八章 -Jump- 吉報
「そう言えば、イッチー様は何か他にもご要件があったのはございませんか?」
「おいおい、勘弁してくれ……、これ以上まだ何かあんのかよ……。俺ぁもう頭がパンクしそうだぜ……」
「これで本当に最後ですから。ちょっとこれ見てもらえますか?」
そう言って僕はローブのポケットから四つ折りの紙を何枚か取り出し、それをテーブルの上に順番に並べていく。
開発資金の話ももちろんいつか話さなければいけない重要案件ではあったけど、これこそが今日僕がここを訪れた本当の理由だった。
エリオが複合企業やスポンサーの話を内緒にしていた様に、実は僕もこの件に関しては何も詳しい話はしていない。
隠していたと言うよりは、これをエリオに話してもあまり意味が無いと思ったというのが正直なところだ。
「これは……、図面か……?」
旅の間の空き時間や、移動中の馬車の中で少しずつ描いていた図面。
ティアレに初めて見せてもらったあの羊皮紙の地図がたまたまだっただけで、幸いにも紙やペンが貴重品だったり高級品だったりという事はなかった。
紙やペンが貴重なのではなく、地図が貴重だったという訳だ。
さすがにボールペンとまではいかないが、ある程度の規模の街なら紙もペンもインクも割と気軽に買える庶民的な消耗品だった。
ただ唯一インクだけは未だに謎が多い。
『ガンボル』とかいうモンスターの体液を原料にしているらしいのだけど、その話をすると決まって皆嫌そうな顔をするのであまり深く突っ込んだ事がないのだ。
世の中にはきっと知らない方が幸せな事もあるのだろう……。
「こっちのは……、箱? いや、あんちゃんがわざわざ俺にただの箱を作らせる訳がねぇな……。こっちは金属、か……? 最後のこれだけは随分複雑だな……」
「もう勘弁してくれ」と言っていた割に、親方は身を乗り出して食い入るように図面を睨んでいる。
指で図面をなぞりながら、難しい顔で何やらブツブツと独り言を零している様子からすると、親方の頭の中では既に素材や工程が複雑に進行しているのかもしれない。
「その最後のだけは、将来的な事を考えると欲しいってだけで、別に急ぎではないんですけど」
「……ってこたぁ、逆に言やぁ他のは急ぎってこったな……」
「はい。親方に隠してもしょうがないので正直に言うと、早ければ早いほど助かります」
無茶を言ってるのは分かっているが、当然何の根拠も無しに無理強いをしている訳じゃない。
親方なら出来るというのはもちろんの事、一応僕にもそれなりの考えがあった。
「これは……、一体何なんですか……?」
それまで黙って成り行きを見守っていたエリオも、さすがに気になり始めたのか親方の隣に移動して一緒に図面を眺めている。
「そう、ですね……。これは……」
わざと勿体付ける様にひと呼吸置くと、二人が揃って顔を上げた。
僕はそこで精一杯エリオの営業スマイルを真似て、ニッコリと微笑んでからこう告げる。
「秘密兵器ですよ」
と。
......................................................
忙しい毎日を送っていると時間の流れは本当に早いもので、それからひと月余りの時間が瞬く間に過ぎていった。
僕はあれ以来ほぼ毎日の様に親方の工房へと足を運んでいる。
素材選びから始まり、試作品、調整、再調整を繰り返す日々。
それでもめげずに通いつめていたのは、きっと苦労の中にも充実した時間を過ごしていたからなのだろう。
あれからエリオも頻繁に工房に顔を出す様になり、相互扶助組織の正式な発足の為の書類作成やら根回しやらで頭を悩ませていた。
元よりあてにされているとは思わないが、僕も親方もその手の事に関しては全くと言っていい程役には立たない。
せいぜい「いつも美味しいコーヒーが飲めて助かるなぁ」程度の役立たずっぷりだった。
それ以外の空いた時間は、可能な限りスズとムースの練習に付き合っている。
エリオの計らいで、僕らが使っている部屋には『完全防音、完全防震』の結界術が新たに施される事となった。
エリオ曰く「例え室内で爆発が起きたとしても、隣の部屋のお客様もお気付きにはなられないでしょう」という意味不明なお墨付きだった。
(室内で爆発が起きた時点で僕らが無事じゃないとは思うが……)
親方の宣言通り、二日で調整と弦の張り替えを終わらせてくれたムースのクラヴィコードも、今はリビングに運び込まれている。
いくら無駄に広いリビングとは言え、そこにスズの6連ドンゴや僕のギター、新たに書き起した楽譜などが山の様に溢れ返り、元々の家具などはすっかり部屋の隅に追いやられている。
そして最近僕らの中で起こった大きな変化がもう一つ。
それはティアレがギターを始めた事だ。
ティアレの性格的にずっと言い出せなかったのかもしれないが、教えて欲しいという気持ちは以前からあったらしい。
言ってくれればいつでも教えてあげただろうけど、一番の大きなきっかけは親方のギターだった。
この世界に初めて誕生したこの世界のギター。
今の完成度で十二分に売り物として通用するとは何度も説明したが、「試作品はあくまで試作品。売り物には出来ねぇ」と親方は頑として首を縦に振ろうとはしなかった。
その代わりに「工房の飾りにしておいてもしょうがねぇ」という理由で、ポンと気前良く貸し出してくれた。
それからティアレは取り憑かれた様に毎日ギターを引き続け、今ではコードで曲に合わせられるレベルにまで上達している。
魔術の話を聞いた時にも感じていた事だが、きっとティアレは才能以上にこうした地道な努力を積み重ねていくタイプなのだろう。
何よりも演奏や音楽を純粋に楽しむその姿は、かつての自分自身を思い起こさせてくれるものだった。
――そしていつも通り、全員揃って部屋で練習に集中していたある日の午後。
たまたま休憩していたタイミングで聞こえてきたノックに気付いてドアを開けると、そこに立っていたのは珍しく直接部屋までやって来たエリオだった。
ここ暫くは工房で顔を合わせる機会は多いものの、エリオが僕らの部屋を訪れる事は滅多にない。
「練習中に申し訳ございません」
「いえ、丁度休憩してたところですから。珍しいですね?」
「はい、親方からお呼び出しが掛かりました。完成されたそうです」
「本当ですか!?」
心底嬉しそうに笑うエリオから発せられた吉報に、思わず声が大きくなってしまう。
確かに二日前に行った時完成間近だとは聞かされていたが、実際に知らせを聞いて思わずガッツポーズが出てしまう。
「イッチーさん、どうしたんですか?」
「完成って一体何が出来たのニャ?」
「そう言えばイッチー殿はルベルスに戻って来てから、毎日の様に親方殿の所に顔を出していたでござるな」
急にガヤガヤと騒がしくなる中で、ムースだけは状況がサッパリ分からずに皆の顔をキョロキョロと見回している。
「ちょっと親方に頼んでた事があってね。せっかくだから今から皆で行こうか」
「皆でって私達も行っていいんですか?」
「全員で押しかけたら迷惑ではござらぬか?」
「大丈夫大丈夫、問題ないよ。特にスズには一緒に来てもらわないとね」
僕は含みを持たせてそう言うと、エリオと顔を合わせてニヤリと笑う。
「アタシなのかニャ……? ま、ま、まさかとうとう婚約指輪ニャ!?」
「いや、してないから」
果たして意味が分かっているのかどうかも怪しいが、なぜかムースが一人で「こんやくなの~、こんやくなの~」とはしゃいでいる。
「まぁ、とにかく行けば分かるから」
「それでは私は宿の引き継ぎを済ませてきますので、準備が出来ましたらホールへいらして下さい。表に馬車を回しておきます」
「すいません、ありがとうございます。エリオさんも行くんですよね?」
「もちろんでございます」
優雅な一礼を残してエリオがドアを閉じると同時に、女の子達がにわかに活気立つ。
考えてみればここ最近は練習ばかりで、あまり皆で揃って出掛けるという事もなかったので丁度良かったのかもしれない。
やがて賑やかに部屋から現れた、いつもよりほんの少しだけおめかしをした女の子達と、おろしたてのワンピースに身を包んだムース。
そこに僕とエリオを加えた6人は、一路親方が待つトッド・ムーシカへと馬車を走らせるのだった。
念の為に言っておくと鈍感でも難聴でもない僕は、女の子達一人一人にきちんと褒め言葉を掛ける事も当然忘れてはいなかったのである。





