第十七章 -Accoss the universe- 噂話
事務所へと入ったエリオは素早く人払いを済ませ、懐から例の金属プレートを取り出す。
確か宿の結界なんかを操作する為の術具だったはずだ。
一瞬だけ部屋の内壁に青白い光が通り渡ると、エリオは「さて」と一言だけ漏らしてから僕にソファを勧めてくれた。
「何かお飲み物でもいかがですか?」
「じゃあコーヒーをお願いしてもいいですか? 何かわざわざすいません」
「いえ、私も丁度飲みたいと思っていたところだったので、どうかお気になさらず」
相変わらず二人きりになると、いつもより少しだけ砕けた調子になるエリオ。
それも信頼の証だと思えば、ちょっと嬉しかったりもする。
それにしてもコーヒーを入れる動作一つを取っても、淀みない流れるように洗練された動き。
その姿は宿屋の主人と言うよりは、熟練の執事とでも言った方がよほどしっくりとくる。
「ブラックで宜しかったですよね」
「はい、ありがとうございます」
エリオは同じくブラックのコーヒーが注がれたカップとソーサーを手にソファに腰を降ろすと、少しだけ香りを楽しんでから静かに喉を潤した。
そんな仕草もやたらと様になっていて、しかも嫌味やキザといった印象も与えない。
「ムース様の事ですね」
カップをソーサーに戻したエリオは、まるで今日の天気について語るかの様な口調で、表情一つ変えずに核心に触れてきたのだった。
「……やっぱり知ってたんですね」
「いえ、正直に白状しますと、今のは半分は単なる私の予想です」
「……もう半分は?」
「実はレリュート号の船長とは、昔から懇意にしてもらってまして。船長の名誉の為に申し上げれば、あの方は何も語ってはくれませんでした」
(「何も見なかった。何も聞かなかった」と言ったあの時の約束をちゃんと守ってくれた訳だ……。もし今度また会う事があれば、改めてお礼を言わなきゃな……)
「乗客や船員達のこま切れの情報を繋ぎ合わせた結果、恐らくはそういう事なのだろうな、と結論付けたに過ぎません。それにあのセイレーンの一件は、全てを隠し通すには話が大きくなりすぎていたのも事実ですしね」
繋ぎ合わせたと軽く言っているが、実際そんな断片的な情報からあのムースが件のセイレーンだという答えに辿り着くのは、決して容易ではないはずだ。
情報収集能力も桁外れだが、推察力も然りという事なのだろう。
「……それで……、実際の所、どう思いますか?」
「? どう思うとは……、どういった意味でですか?」
「いえ……、結果的に僕の独断でムースの面倒を見る事に決めてしまったんですが、……その~、エリオさんも言った通り大事だった訳じゃないですか」
皆が背中を押してくれた事もあって迷いは吹っ切れたし、もちろん微塵の後悔もない。
ただそれでもこの世界のルール的に、『本当にこれで良かったのかな』という逡巡が全く無いと言えば嘘になる。
「そんな事でしたか。何も問題は無いのでは?」
ところがエリオから返ってきた答えは、さっきの天気について語る様な言葉よりも更にあっさりとした物だった。
「問題、無いんですか?」
「今や聖光の楽士イッチー様と言えば、救国の英雄とまでは言いませんが、演奏の事まで含めればそれに近い存在であるのは間違いないかと。そんな方が事件を解決し、あまつさえそのセイレーンの子供すらも救ってみせた。称賛こそすれ、文句を言い出す人間なんてまず現れないでしょう」
さも当然といった様子でそれだけを告げると、エリオは再びカップに口を付けた。
セツカにも似た様な事を言われたけど、結局僕の考えすぎなんだろうか。
この世界の人達は僕が思ってる以上に、良い意味でもっと刹那的に生きているのかもしれない。
「ですが、恐らくイッチー様の本題はそれではありませんよね?」
全く本当に、この人は一体どこまで知っているのかと時々怖くなる。
「えっと……、僕らがモルド島へ行った事は知ってるんでしたよね?」
「はい、存じております」
「実はその後、ムースが育ったっていう場所に立ち寄ったんですけど、そこでムースの両親が残して行ったっていうクラヴィコード……、鍵楽台を持ち帰って来まして」
「ほお……、それは興味深い……」
一瞬エリオの目つきが変わったのが分かった。
それでもあからさまに態度に出す様な真似はせず、今は何も言わずに先を促してくれる。
「それでここに戻る前に親方の店に寄った訳なんですけど、驚いた事にその鍵楽台を作ったのが親方でして……」
「偶然と言うべきか、運命と言うべきか、益々興味深いですね……」
「はい。……で、親方が言うには、その楽器を売ったのは10年以上前って話なんですけど……」
そこまで聞いたエリオは突然腕を組んで目を閉じると、今度は無言のまま何やら思索に耽っている様だった。
30秒か1分か、決して長くはない時間そうしていたエリオは目を開けると
「なるほど……。とすると、その楽器を売った先を私に調べて欲しい……、いえ違いますね。その売った相手というのが貴族か王族……、買い付けに来たのが使用人といった所でしょうか」
「あ~……、その通りです……」
(この人の頭の中はどうなってるんだろう……。切れるとか鋭いなんて次元じゃないんだけど……)
「ふむ……、私自身今言われるまで忘れていましたが、そのお話を伺って思い出した事が一つございます」
「えっ、何か知ってるんですか?」
「果たして知っていると言って良いものなのか……。ですがその前にお断りしておきたいのですが、これから私がお話する事は、あくまで単なる噂話程度の物として聞いて頂きたいのです」
そう告げるエリオの顔は真剣そのもので、恐らくは『決して誤解の無いように』と言外に釘を刺しているのだろう。
僕が頷くのを確認してから、エリオはその話の続きをゆっくりと語り始めた。
「得てして貴族や王族のマダム達という生き物は、自分を着飾る事と、噂話にはとにかく目がないものです。特にその噂話が恋愛絡みともなれば尚の事で、更に言えば悲恋をより好まれる傾向が強い様にも思われます」
エリオが語る内容は、正直に言って僕の質問とどう繋がるのか全く見当も付かない話だった。
けれど今はとにかく黙って続きを聞くしかない。
「当時私もまだ社交界に飛び込んだばかりでして、その噂話の裏付けは何一つ取っておりません。今の今まで忘れていたのも、きっと私自身それは単なる噂話と聞き流していたからなのでしょう」
一度だけコーヒーで口を湿らせてから足を組み、その頃の事を思い出す様にしてエリオは続ける。
「封建的な、悪く言えば古い風習に縛られた、とある領主の一人息子が、それはそれは愛らしいセイレーンの娘と恋に落ちたと言います。
セイレーンの特徴である変わらない容姿に加えて、そのセイレーンの娘は伝説とは似ても似つかない素晴らしい歌声を持っていたそうです。
ですが事実はどうあれ、セイレーンを快く思わない頭の固い人間は未だに存在しています。
立場と面子を重んじる時代錯誤の貴族社会で、大切な跡継ぎである一人息子とセイレーンとの恋愛など許されるはずもありませんでした。
ですが障害が大きければ大きい程、余計に燃え上がってしまう恋心というものも、きっと世の常なのでしょうか。
最終的に二人が選んだ道は駆け落ちという、ある意味最悪の選択だったとも言えます。
そのまま二人は人目を忍んで隠れる様にして暮らし、いつか子をなし慎ましいながらも幸せに過ごしたという話もありますし、どこか誰とも知れない場所でひっそりと寂しく野垂れ死んだという話もあります。
どちらにせよここで話が終わっていれば、まだ無数にある昔話か、もしくは伝承神話の類の一つで済んでいたのかもしれません。
しかし事実というものは時に、より残酷であったり、より過酷であったりするのは神々の悪ふざけなのでしょうか。
そこに不躾にも割り込んで来たのは、『お家騒動』『家督争い』という、神話などとは程遠い身も蓋もない現実でした。
どこからともなく現れる妾、隠し子、相続権を主張する兄弟、口汚く罵り合うその妻達。
それはもう酷い有様だったと言います。
そしてこれ以上無い程の泥沼と化した一族を襲った更なる悲劇は、イルミドナ教団に目を付けられた事でした。
藁にもすがる思いだった領主の妻は、最終的にその悪魔の囁きに乗ってしまいます。
一人、また一人と姿を消していく、親族とも呼べない親族達。
気が付けば、お家騒動はいつの間にか終息しているかに見えました。
ですがそれは裏を返せば、争う相手がいなくなってしまっただけの事。
それでももう既に正気を失っていた妻にとっては、毎日毎日お互いを貶める為だけに屋敷に響く怒声や叫声を聞き続けるよりは、静寂の方がまだマシだったのかもしれません。
ところがこの話には続きがあります。
イルミドナ教団の本当の狙い。
連中がわざわざ慈善事業で、お家騒動を解決してくれるはずがないのですから。
奴らの真の目的は、本来の家督相続権を持つ人間に取り入り、意のままに操る事。
つまるところ、領土を丸ごと乗っ取って教団の拠点にと企んでいたのでしょう。
ここから先の話は本当にあやふやでして、一人息子とセイレーンはもう既にこの世になく、結局イルミドナの計画すら全て無駄足に終わった。
ありとあらゆる手を尽くして二人を見つけ出し、傀儡として次期領主に仕立て上げられた。
もしくは乗っ取りに成功した後、二人は幽閉された、殺された。
この辺りからは、ただの噂話にしてもまとまりがなくどれも信憑性に欠けています。
私がそれ以上この噂話について追求しようとしなかったのもこの為です」
長い昔話を終えたエリオは一度足を組みかえると、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口だけ口にすると
「淹れ直しましょう」
そう言って席を立った。
一気に押し寄せた様々な情報に暫く頭が混乱する。
気持ちを落ち着ける意味でも熱いコーヒーは有難かった。
受け取った新しいコーヒーを飲みながら、聞くべき優先順位を整理する。
「という事は、その駆け落ちした一人息子とセイレーンっていうのが――」
「いえ、最初にも申し上げた通り、この噂話には何の信憑性もありません」
僕の質問を遮ると、エリオはキッパリとそう言い切った。
「……ですが」
そして今度はそのまま黙り込み、ジッと僕の目を見つめてくる。
「もし仮にこの噂話が本当だったとして、イッチー様は何か気付きませんか?」
「え? ……何か……、気付く……?」
正直そう言われても、まだ入ってきた情報すら散らばっている状態でうまく考えがまとまらない。
そんな僕から視線を逸らさずに、変わらず見つめてくるエリオの瞳は、どこか僕を試している様にも思えた。
「駆け落ち、子供、お家騒動、イルミドナ、……そして姿を消したムース様の御両親」
エリオが淡々と紡ぐ言葉が、僕の中で徐々に意味を成し始める。
頭をフル回転させて、エリオが言わんとしている真意を探る。
バラバラだった思考はやがて一つの物語を形作り、霞掛かった胸の内に光が差し込んだ。
「まさか……、ムースの両親は、自分達がどうなるのか分かっていながら、ムースを巻き込まない為に?」
「さすがはイッチー様。私はそう考えます」
だとしても『めでたしめでたし』で終わる話では決してないし、その後両親がどうなったのかも全く分からない。
それでも身勝手な感情ではあるが、せめてムースが捨てられた訳じゃないと思える事は僕にとって本当に救いだった。
ずっと胸にわだかまっていたつかえが、ほんの少しだけ取れた気がする。
「もちろん私の方でも改めて調べてみます。ですがなにぶん十年近くも前の事ですので、あまり期待はしないで下さい」
「それでも助かります。お願いします」
何にせよ僕に頼れるのはエリオしかいない。
それに例え空振りに終わったとしても、僕がムースと一緒にいると決めた事には何も変わりがないのだから。
「さて、それでは……」
足を組み直し表情を緩めたエリオは、やや前屈みになって改めて僕の瞳を覗き込んでくる。
「次は、私のお願いを聞いて頂く番ですね」
「……はい?」
その顔に浮かんでいたのは、いつもの見慣れた営業スマイルではなく、出会ってから初めて目にするどこか含みのあるニヤリとした笑顔だった……。





