第十七章 -Accoss the universe- 聖光の楽士
「旅にトラブルはつきものと言いますが、今宵ここにお集まりの紳士淑女の皆様方は、きっとそんなトラブルさえも楽しんで受け入れてしまう、海よりも深い心の持ち主であると私は信じております」
全身黒の燕尾服に身を固め、身のこなし一つ一つも洗練されていて優雅そのもの。
流麗な前口上と共に、黒いシルクハットを脱いだ司会進行役の男は華麗に一礼する。
「さて、我らが搭乗する客船『レリュート号』は未明、悪天候によるトラブルに見舞われ、こうしてここモルド島への一時的な退避を余儀なくされました。しかしご安心下さい。船長以下船員達の迅速な対応によって、船への被害は一切無かった事が既に確認されております」
それを聞いて船上、埠頭を埋め尽くさんばかりに集まった人々は揃って胸を撫で下ろす。
あれからモルド島へと戻った僕らは事の顛末を船長に報告し、とりあえず他の乗客達には『悪天候によるトラブルが原因』という方向で誤魔化す事に話がまとまった。
もちろんそれはムースを守る為だったが、何かを得ようとすれば何かを差し出すのもまた世の常だ。
「天候もご覧の通り、今朝までの不吉な暗雲はすっかり姿を消し、今すぐにでも再びルベルスへと船を進める事は可能だそうです。……が……」
そこで司会の男は一旦言葉を切ると、勿体付ける様にゆっくりと一同を見回した。
「旅は道連れ、とも申します。今宵こうしてモルド島へと至ったのもきっと何かの縁。そしてそんな縁が結んでくれた一つの奇跡……。恐らくルベルス周辺でこの方を知らない人間はいないでしょう。かの悪名高きイルミドナを退け、バルハイドの姫君を救い出し、遠く西の大陸南の大陸ではあの神龍様さえも鎮めたと言われております……」
初めてその情報を耳にした一同から一瞬どよめぎが湧き上がる。
「そうです、音楽神イチハ様の生まれ変わりとも称される『聖光の楽士』、イッチー様です!」
瞬間、紹介の前口上に合わせて強烈なスポットライトがステージを照らし、埠頭は盛大な拍手喝采で満たされていく。
(いやいや……、『聖光の楽士』って……。そんな二つ名今初めて聞いたんだけど……)
――さて、一体なぜこんな事になってるのかと言うと、話は数時間前に遡る……。
ムースの里帰りを終えモルド島へと戻った時には既に日も傾き、照り返される水面が一面黄金色に染まる頃だった。
そんな僕らを待っていてくれた船長と共に、さっそく二度目の会議が開かれた。
実は船に問題が無い事はとうに確認済みで、出航しようと思えばいつでも可能だったらしい。
ただ『原因不明のトラブルです』、『そのせいで一日航行に遅れが出ました』ではあまりに体裁が悪い。
幸い乗客から一切苦情は挙がってないとは言え、出来る事なら全員に良い船旅だったと気持ちよく帰って欲しい、というのが船長の希望だった。
さすがこれだけの規模の船を預かる船長に相応しい考え方だと思うし、つまりはこれが僕らの出発前に船長が言い淀んでいた内容でもあった訳だ。
いつ戻って来るのか、万が一戻って来なかった時の可能性も考えて、余計なプレッシャーを掛けまいとあえて口には出さなかったらしい。
船長が考えたこの状況をひっくり返す一発逆転の秘策とは、要するに『船上ディナーショー』だった訳だ。
まぁここまでは正直いつもの事と言えばいつもの事なので、普段とあまり代わりはない。
スポットライトを浴びる僕の後ろで、6連のドンゴに囲まれ不敵な笑みを浮かべているスズも、もうある程度見慣れてきた光景とも言える。
今回これまでと大きく違う点はまず二つ。
今までモニタとPA、つまり音響は当然の事ながら僕自身が演奏と兼任していた訳だけど、それも演奏するのが僕一人なら大した問題はなかった。
ところが演奏する人数が増えたり、会場が大きくなってくると事情も変わってくる。
そこで思い付いたのが、僕のスキルであるモニタリングやイコライザー、アンプリファイアといった諸々の操作権限を一時的に譲渡出来ないかという物だ。
結果から言えば、これは可能だった。
そして誰にその操作を任せたのかと言うと、それは当然セツカだ。
音に関する全ての感覚という意味でのセツカの『音感』は、恐らく僕以上に優れている。
それにいくらモニタリングの位置を設定出来るとしても、ステージ上の僕自身より、実際に音を聴いている客席側にいる人間に任せた方がいいのも分かりきっていた事だった。
次に今僕に当たっているスポットライトだけど、実はこれはティアレがアレンジにアレンジを加えた照明魔術だ。
これまで何度もお世話になっていたティアレの術ではあるが、本人の弛まぬ研究と探究心によって、今ではその強さ、色、絞り、全てを自由に操れる様になっていた。
説明を聞いても僕には良く分からなかったが、分かりやすく説明すると、火の精霊の力を借りれば赤く、水の精霊の力を借りれば青くといった具合に変化させられる事が分かったそうだ。
さて、ここまではいくつか新たな試みも盛り込んでいるとは言え、いつも通りお馴染みのメンバーではある。
では他に何が違うのか?
ステージ上の僕らから見て右手の袖で、クラヴィコードを前にちょこんと可愛らしく椅子に座っている、海色の髪と空色の瞳を持つ少女。
そう、ステージ上にはムースもいるのだ。
船長から船上ディナーショーの話を持ち掛けられて、僕が真っ先にやった事はクラヴィコードの調整だった。
ずっとムースが弾き続けていたのが幸いして、鍵盤の機構部に関しては何の問題も見つからなかった。
これは当然ながら、元々このクラヴィコードが非常に高い職人の技術で作られていたお陰でもある。
問題は弦。
船長に頼んで船の工具の中から調律に使えそうな物を借りて、慎重に慎重に音を揃えていく作業。
切れてしまえばそこで終わりだ。
もちろんルベルスに戻ったらすぐに親方に頼むつもりではいたけど、それでは少なくとも今夜の演奏には間に合わない。
意図した結果ではないとしても、ムースの行動で大勢の人達に迷惑を掛けてしまったのは事実だ。
それは今回だけの話ではなく、これまで何度か耳にしたセイレーンによる航行の遅れと乱れ。
それらに対する贖罪の意味も含めて、ムース自身の手で返していって欲しいという気持ちがあった。
例えそれが単なる僕の独りよがりだとしても、だ。
ムースの音楽的センスは、とても僕の常識で推し量れる様な物ではなかった。
それは既にセンスなんていう言葉で表現出来るレベルではない。
コード進行もメロディーも、たった一度教えただけで完璧に再現してみせる。
それはもうスポンジが水を吸収するどころの話ではなく、鯨が貪欲に大海ごと呑み込もうとしているかの如きスピードだった。
ただ純粋に楽しい。
新しい音楽を聴ける事も、覚える事も、そして演奏する事も。
ただただひたすらに、どこまでもその想いだけでクラヴィコードに向かう小さなその姿は、まるでいつかの自分自身を思い起こさせてくれる。
観客のざわめきが収まるのに合わせて、ティアレが照明をゆっくりと落としていく。
「ワンツースリーフォー!」
数秒暗闇と静寂が支配した船上に、スズのカウントが高らかに響き渡る。
次の瞬間――
ステージ上に花火が上がったの如く極彩色の光が乱れ咲く。
まるで精霊の様な光の乱舞を、たった一人で操っているのはもちろんティアレだ。
僕のギターに合わせて、複雑に飛び回る中高音がスーパーアダマスの野太い音に彩りを添えてくれる。
卓越した技術と類稀な才能に支えられながらも、決して前に出過ぎる事はない、それでいて無ければどこか不安になってしまう様な存在感と安心感。
(これは……、この感覚はマサのキーボードだ……)
一瞬胸を掠めたそんな懐かしい記憶も、すぐに演奏の波に揉まれて流されていく。
クラヴィコードの最大の弱点である音量不足も、僕のスキルを操るセツカによって客席には完璧なバランスで届けられている。
『like a bird, way of dodo』
直訳すれば『時代遅れの鳥のように』。
僕が初めてアーリーバードの為に書いたオリジナル曲。
子供らしいひたむきで真っ直ぐな、悪く言えば青臭く気恥ずかしい、何の気負いも衒いも無いストレートなエイトビートロックナンバー。
けれどそんな不器用で拙い曲が、実はアーリーバードの持ち曲の中で一番人気だったりもする。
スズが作ってくれた揺るぎないリズムに乗り、ムースが紡ぎ出す多彩なクラヴィコードの調に助けられながら、僕は今夜もまたギターをかき鳴らし思いの丈を歌声に乗せる。
ふと右側に目をやれば、そこには今までで一番の、最高の笑顔を浮かべるムースの姿があった。
音楽馬鹿がまた一人。
そんな失礼な事を考えながらも、胸の中は暖かい喜びで満たされていく。
音と光の洪水に呑まれた埠頭は、瞬く間に最高潮へと駆け上がる。
夜空には距離感さえ見失いそうな程の満天の星星。
そんな星々にまで届けと、僕らの旋律はどこまでも遠く、どこまでも高くと鳴り響くのだった。
そう、だって長い夜は、騒がしい夜は、まだ始まったばかりなのだから。
――このステージに立つ前のやり取りを思い返す。
正直僕はこの先ムースに対してどうするべきなのか、自分はどうしたいのかで葛藤していた。
どうするべきなのかは考えるまでもない。
人一人の人生が掛かっているのだ。
同情や哀れみだけで、安易な行動に出ていいはずがないのも分かりきっている。
それでも僕は音楽が繋いでくれた、このか細い奇跡の様な縁を守りたいと思った。
「それで……、この一件に関しちゃあいいとしても、この先嬢ちゃんの事はどうするんですかい? やっぱりルベルスで然るべき施設に預けやすかい?」
「……」
僕は何も返せずにいた。
それが正しい事だと分かっていながら、本当にそれでいいのかと自問する声が聞こえてくる。
そんな葛藤を感じ取ってか、膝上のムースが空色の瞳で心配そうに僕を見上げている。
後一歩が踏み出せない僕の背中を、力強く押してくれたのはやっぱり仲間達だった。
「イッチーさん、イッチーさんが思ってるように行動すればいいと思いますよ」
隣に座るティアレが、そっと僕に手を重ねてそう呟いた。
「そうニャ。思い悩んでるのなんてイッチーらしくないのニャ~」
スズがいつもの調子でからかう様に笑う。
「あまり見くびらないで欲しいでござるな。拙者達がなぜイッチー殿に同行しているのか、それを忘れてもらっては困るでござるよ」
厳しい口調とは裏腹に、柔らかい笑みを湛えたセツカがハッキリと告げる。
(そうか……。答えは出てたのか……)
今更だった。
僕がやっている事なんて、常に周りを巻き込み続けているんだから。
「ムース」
「……なぁに、お兄ちゃん?」
子供こそこういった空気には聡い。
何か重要な話だと悟ったのか、今にも泣き出しそうな顔で僕を見つめる。
もしかしたら、いつかムースに約束だけを残して去って行った両親の事を思い出したのかもしれない。
「もしムースさえ良かったら、僕らと一緒に旅をしないかい?」
「……え?」
「まずはルベルスに戻ったら親方達を紹介しないと。それにその後はアンクーロにある魔術学校を目指さなきゃいけない。色々大変な旅になると思うけど、どう? ムースは一緒に行きたい?」
「でも……、……いいの?」
今にも涙が溢れ出しそうだった瞳が、別の理由で揺れ動き始める。
「良いも悪いも、誘ってるのは僕の方だよ?」
「うん! ムースもお兄ちゃん達と一緒に旅したいの! 音楽もイッパイ、イッパイ教えて欲しいの!」
「それじゃあ決まりだね」
そう言ってポンと頭に手を乗せると、一気に堰を切った様に泣き始めるムース。
「ムースはホントに泣き虫だなぁ」
「……だって……、エグっ、だってぇ~」
顔をグシャグシャにして涙を零しながらも、ムースはやっぱりどこか澄み渡った海の様な笑顔を咲かせた。
そしてそんなムースを見守る皆もまた、同じ様な泣き笑いの笑顔を浮かべているのだった。





