安心と安全と信頼
アレクシスの長い指がラティアの銀の髪に触れて、するりと滑らかに撫でる。
そのまま骨の浮き出た背に触れられて、薄布の上から幼子をあやすように背を辿られると、そわりとした落ち着かなさが足先から這いあがってきた。
ぴくりと体を震わせて、ラティアはアレクシスの羽織っているガウンをぎゅっと握り締める。
突然体中に血が巡り始めたように、心臓がどくどくと高鳴る。
顔に熱が集まるのを感じるのを不思議に思いながら、ラティアはアレクシスから体を離した。
「ありがとうございます、旦那様。……お恥ずかしいところをお見せしました。ご迷惑を」
「余計なことは言うな。私は私のしたいようにしている。それだけのことだ」
「は、はい。……ありがとうございます」
こういうときは礼だけでいいのだと、アレクシスは言っているのだろう。
頭をさげて、気持ちを切り替えて顔をあげると、ラティアは微笑んだ。
もう大丈夫だという意味を込めて。
ぱちりとアレクシスと目が合い、視線が絡み合う。
何か言いたげな彼の真紅の瞳をじっと見つめていると、アレクシスは幾分か動揺しながらラティアから視線を逸らした。
「もう休め」
「はい。旦那様も」
「あぁ」
人が一人通れる程度の隙間をあけて、ベッドは隣あっている。
体が沈み込むようなふかふかなベッドにラティアは体を横たえた。
すでにルクエは眠っている。穏やかな寝息を立てるふわふわな体を撫でて、ラティアは「おやすみなさい」とルクエに伝えた。
アレクシスもまた、ラティアの隣のベッドに体を横たえる。
ラティアはアレクシスのほうを向いて、彼を見ていた。視線に気づいたアレクシスが、訝し気に眉を寄せる。
「何か話があるのか? 遠慮せず、言え」
「あ……あの、私、こうして夜に、寝るときに、誰かが傍にいるのは、お母様が亡くなって以来、です」
「そうか。……落ち着かないか? 私が、お前に何かをするようなことはない」
「それはわかっています。旦那様は私を、鞭で、打ちません」
「……あぁ」
アレクシスの低い声が一層低くなり、夜の空気を震わせる。
ラティアはその声を好ましく思う。まるで子守歌のようだ。聞いていると、穏やかな気持ちになる。
だがその奥底に、心が落ち着かなくなるような熱がある。
安心できるのに、今すぐ逃げ出したくなるような奇妙な感覚だ。そんな風に感じるのは、はじめてだった。
「暗闇は、苦手でした。そこは、光が届かなくて。物音だけがするのです。右も左も、わからなくて。朝になると僅かな光が、天井の隙間から零れます」
「……地下室の話か」
「どうして、わかるのですか」
「私にも経験がある。……地下室に入れられていたのか、ラティア」
「はい。旦那様も、暗闇は、嫌いですか」
アレクシスも地下室に入れられたことがあるのだろうか。
彼のような立派な人がどうしてと、ラティアは疑問に思う。
アレクシスはすぐには答えなかった。それはもしかしたら彼の触れられたくない過去なのかもしれないと考えて、ラティアは疑問を口にしなかった。
「……いや。……お前は私が考えている以上に、劣悪な環境に身を置いていたようだな。暗闇が怖いのか」
「……はい。少し。でも、大丈夫です。隣にあなたがいると、とても、安心できます。こんなことも、はじめてです。お母様が亡くなってから、こんなに幸せな日がくるなんて、思っていませんでした」
「こちらに来るか?」
「え……っ、あ、あの……いいのですか……?」
アレクシスが体を起こして、ラティアを呼ぶ。
隣にいるだけでこれほど安心できのだから、共にベッドで眠ったらどれほど安心できるだろうと思う。
「私は構わない」
その声に促されるようにラティアは起き上がると、ルクエに掛布をかけてあげた。
それから静かにアレクシスの元に行き、その隣に体を滑り込ませる。
抱き寄せられると、彼の体温の暖かさが全身を包み込むようだった。
彼にぴたりと体をくっつけて、ラティアは目を閉じる。
この場所は、怖くない。
きっともう、怖いことは何もない。
誰もラティアを貶めず、傷つけない。それは全て彼がくれたものだ。
「ありがとうございます、アレクシス様」
「……あ、あぁ」
敬愛を込めて名前を呼ぶと、アレクシスの低い声が皮膚を通して伝わってきて、ラティアは軽く身を震わせる。
湯上りの清潔なよい香りが鼻腔をくすぐる。アレクシスの手のひらがラティアの髪を撫でている。
ラティアは心地よさに目を細める。
その瞼が落ちていき、体温と暗闇と、甘やかな刺激が、優しい眠りをラティアに運んできた。




