ルクエの記憶
宿に戻り、アレクシスに湯あみをしろと言われてラティアは部屋に備え付けてある浴室に向かう。
猫足の陶器のバスタブに白乳色の湯がたっぷりと張られており、薔薇の花弁が浮かんでいる。
「だ、旦那様、お湯が、白い、です……!」
「……どうした、そんなに慌てて」
ラティアはルクエを抱いて、アレクシスに報告に行った。
白い湯というものは見たことがない。伯爵家でもラティアは浴室に湯を張る係もしていたが、火で沸かした湯というものは透明だ。それぐらいはラティアも知っている。
「お湯が、白くて……花びらが、浮かんでいます。あれは、ミルク……? 高貴な方は、ミルクを沸かして中に入るのでしょうか」
「違う。入浴剤だ」
「にゅうよく、ざい」
「体にいいハーブの類で作られたものだな。精神を落ち着けるなどの効果がある」
「そ、そうなのですね。すみません。驚いてしまい、私などが入ってもいいのかと思って……それに、旦那様が先にお入りください。私はお手伝いを」
「必要ない。湯あみをして休め、ラティア」
「ですが」
「命令だ、ラティア」
平坦な口調で言われて、ラティアは頷いた。
アレクシスは窓辺に座り、分厚い本を読んでいる。月明りとランプの炎が彼の姿を神秘的に照らしていた。
いつも不機嫌で冷徹な印象のある彼だが、今日は眉間に刻まれた深い皺がないせいか、幾分かは穏やかに見える。
「どうした?」
「いえ。……あの、旦那様の機嫌がよいように、見えるのです」
「そうか……そうかもしれんな。お前が私に癒やしを与えたために、体調がいい。本を読もうと思ったのも何年振りか。私は大抵の場合、眩暈と眠気、疲労感で気分が悪かった」
「よかった……! お役に立てているのなら、嬉しいです」
ぱっと花が咲いたように笑うラティアから、アレクシスは視線を逸らした。
それから「早く風呂にいけ」と言った。
ラティアは脱衣所で服を脱ぎ、体や髪を洗ってからバスタブに体を沈める。
大きなバスタブは、ラティアが足を伸ばしてもまだ余るぐらいで、湯からは香しい花の香が漂っている。
ルクエは不思議そうに目を真ん丸にしながら、ラティアの腕の中で大人しくしている。
『あたたかいね』
「はい。あたたかいです。……ルクエ、旦那様はずっとお辛かったと言っていました。魔力とは体を蝕むものなのでしょうか」
『例えば強すぎる魔力は、体を蝕む場合がある。人の器におさまらない魔力を身に宿した場合、体が衰弱をする。人は、魔法を使うときに何かを触媒にするだろう。魔力という身に余る力を使う時、何かの物体にそれを宿すことで、体に受けるだろう損傷をおさえているんだ』
「ルクエは旦那様と同じぐらいに物知りですね」
『知識には偏りがある。リーニエの知恵を授かり、自分の巫女を見てきた。全て覚えているわけじゃないけれど、いろいろあったよ』
「旦那様は、血を、触媒にします」
『特別な力だね。触媒と魔力の共鳴率が高いほどに、強力な魔法が使える。アレクシスはそれが自分自身なのだから、それほど強く、負担も大きい。ラティア、君の癒やしは魔力を与えるだけではない。魔力で蝕まれる体を治癒する力がある。昔は魔力持ちがもっと多かった。そのため、巫女たちは忙しかった』
湯の中で、ルクエのふわふわの毛がゆらゆらと泳いでいる。
だからこそ自分の出番があり、役目があるのだとラティアはやる気を新たにした。
アレクシスの役に立てることは、ラティアにとってとても喜ばしいことだ。
彼に先ほど言われた言葉が、ラティアの心を明るく照らしていた。
「歴代の巫女たちは、どうして不幸になったのですか……?」
『癒やしの巫女は、不安定な魔力を安定させる力がある。権力者に従って癒やしを与え続けて、力を失った。僕は巫女たちを見ていたけれど、彼女たちはどうしてか、巫女である間に心が壊れてしまったんだ』
「……どうしてでしょうか」
『僕にはわからない。僕は神殿の中で、大切に扱われていた。その間巫女たちは働いて、そして皆、壊れていった』
力を隠せと言った母。そして、やはり隠せと言って、触癒は自分にだけおこなえと言ったアレクシス。
二人がラティアを守ろうとしてくれていることが伝わってきて、ラティアは目を伏せた。




