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鮮血の公爵閣下の深愛は触癒の乙女にのみ捧げられる~虐げられた令嬢は魔力回復係になりました~  作者: 束原ミヤコ


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アリーチェが逃げた理由



 雷将と呼ばれたジルバは、二十年前に起きたルクスアリア戦役の勇将である。


 ルクスアリア戦役とは、王家に反旗を翻したロイド・ルクスアリア公爵を中心としたルクスアリア領の平定戦だ。

 

 これは国を二分する戦いになった。ロイドは当時の王の兄だったが、側妃の子だった。そのため王位継承権を持たなかった。しかし、強い魔力を有しており、己こそが王に相応しいと考えた。

 また、彼の周囲にも彼の魅力にひかれ集まる貴族たちが多くいたのだという。


 不遇の王。光輝の王と、皆は彼を呼んだのだと。


 その時、ヴァルドール家やジルバもまた王についた。そしてルクスアリア戦役で戦い、功績をあげた。

 獅子奮闘の働きを見せたジルバは『雷将』と呼ばれた。ヴァルドール家については、古くから『血のヴァルドール』と呼ばれていたために、その名がそこでついたわけではなかった。


 己の武名を、ジルバは驕っていたのだという。

 家族を顧みずに戦ばかりにかまけていた。家に帰った時には、病弱だった先妻はアリーチェを残して亡くなっていた。

 当時五歳そこそこだったアリーチェは、ひとりきりで母を弔うことになった。


 ジルバが帰還したのは、妻が亡くなってから半年以上経ってからのことだった。


 家から、妻の危篤を知らせる手紙が何通も届いていたのだという。その中には、アリーチェからのつたない文字で綴られた手紙もあった。

 しかしそれを、ジルバは見なかった。手紙などを開いて読んでしまえば、目の前の戦いに集中できなくなると、ジルバは考えたのである。


 全てが終わったあとに手紙を読み、それでもジルバはアリーチェに謝罪をすることもなければ、優しく抱きしめることもしなかった。

 その時ジルバは、長らく家を離れ過ぎていたせいで、元々の性格も相まってどうアリーチェに接していいのかわからなくなっていた。


 ただ──泣いてばかりいるアリーチェに、伯爵令嬢として立派な人間になれと、厳しく言った。

 泣くなどとはなさけない。戦場では多くの人間が死んだのだ。母の死などでいつまでも落ち込んでいては、死んだ者たちに顔向けできないだろうと。


 アリーチェはその日から、ジルバの前では泣かなくなった。


 ジルバは後妻を娶った。これは、伯爵家の血筋を繋ぐためである。男児が欲しかった。

 それにアリーチェは、雷の魔法を受け継いではいるが、ジルバほどの魔力はない。女であるので、戦うこともできない。


 ジルバは、侯爵家の三女を後妻に向かえた。彼女はすぐに妊娠し、男児を産んだ。

 ジルバはそれを喜んだ。跡継ぎができたと喜ぶジルバを、アリーチェは遠くから見ていた。

 こちらに来いと呼んだが、弟に触れようともしなかった。


 後妻はアリーチェを、気味の悪い子だと言った。ジルバはアリーチェを叱咤した。新しい家族と仲良くしろと言って。

 ジルバには何も見えていなかったのだ。後妻はアリーチェを疎んでいた。

 彼女はジルバの見ていないところで、アリーチェを虐めていた。だがジルバはそれに気づくことができなかった。


 貴族学校を卒業後、アリーチェはケンリッドの元に嫁いだ。

 これは、ジルバが決めた結婚である。アリーチェには拒否権などはなかった。

 娘のために縁談をまとめたいい父だと、ジルバは思い込んでいた。

 アリーチェはどうやら後妻とも弟や妹ともうまくいっていない。家にいるのが辛いのだろうと考えて、早々に嫁がせた。


 その後、孫娘が生まれて、アリーチェは一度家に戻ってきた。

 その時彼女は悲しそうに「スヴォルフ様は浮気をなさっています。私は、とても彼の妻ではいられません」と言った。

 思えば、アリーチェが心の内を話してくれたのは、これがはじめてだった。


 しかしジルバはそれにも気づかずに、「浮気など男の性だ。ケンリッド侯はまだ若い。そのうち落ち着くだろう。娘のためにも我慢をしろ」と言った。


 アリーチェは──さぞ、ジルバに失望をしたのだろう。

 アリーチェとロザリアがいなくなったとケンリッドから知らせを受けてからはじめて、使用人たちから「アリーチェ様はジェーン様に邪険にされて、嫁ぎ先でも居場所を亡くし、お可哀想です」という訴えがあがった。


 今までもそのような話は出ていたのかもしれない。だが、ジルバは聞いていなかったのだ。

 聞く耳を、持っていなかった。


 その時の後悔は、筆舌にしがたいものだった。


 全ては己が招いたことだ。己のせいで、アリーチェとロザリアはケンリッド家から出奔した。

 貴族女性が行き場を亡くし、一人で幼い少女をかかえて生きていくなど、とても難しい。


 もしかしたら二人はもう、死んでいるかもしれない。

 方々探したが、見つからず。後悔と焦燥は全てケンリッドに対する怒りに変わった。


 ジルバも、理解していたのだ。


 罪は──己にもあることを。




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