ヴァルドール公爵邸
アレクシスはジルバを公爵邸に招いた。
それは和解の意味もあったのだろう。「王命以外で私は貴殿と戦う理由がない」と彼は言う。
ジルバは数名の護衛だけを残して、騎兵たちに領地に帰るようにと伝えた。
再びアレクシスと共に馬に乗ったラティアは、アレクシスと共に公爵邸に向かった。
王都にある公爵家のタウンハウスも広い敷地に建っている三階建ての邸宅で立派なものだったが、領地にあるヴァルドール邸は更に大きく荘厳で、その作りは館というよりは城である。
ヴァルドール家の栄華が一目でわかるような、繊細な彫刻が施された壁や窓枠。城の入り口まで続く石畳のアプローチには女神を模した石像が並んでいる。
よく手入れされた庭、礼拝堂や使用人用の建物。そのどれもがラティアが過ごした伯爵家とは比べ物にならないほどに立派だった。
使用人たちがずらりと並び、アレクシスの帰還を出迎える。
彼らはジルバたちの馬を手入れのために連れて行き、共に帰還した騎士たちを労い、そして──アレクシスが共に馬に乗せているラティアの存在に目を丸くした。
「こちら、アレクシス様の命の恩人であり、フィオーレ伯爵家長女のラティア様だ。アレクシス様の専属の侍女として雇い入れることになった」
ラティアについて、シュタルクが使用人たちに説明をする。
アレクシスは特に何も言わずに、馬から降ろしたラティアを抱きあげて城の中に入っていった。
「侍女……?」
「侍女ですか、妻ではなく?」
「閣下のあの態度で侍女だとは、どうなっているのですか、シュタルク様」
などとひそひそ話す声がラティアの耳に入ってくる。
それはそうだ。侍女を抱きあげて歩く主などいない。
ラティアはアレクシスの胸を軽く押した。
「旦那様、歩きます。これでは、恥ずかしい、です」
「大人しくしていろ」
「ですが」
「不満か?」
「そういうわけではありませんけれど……」
いつの間にかアレクシスの隣に並んだジルバが「ヴァルドール公もとうとう妻を娶ることにしたのか」と快活な声で言った。
「ヴァルドール公であれば、ケンリッドのように娘を不幸にしなかっただろうな。貴殿に嫁がせればよかった」
「ラティアは妻ではない」
「照れなくていい」
「貴公は話を聞かんな」
「そんなことはない。ここまで特別扱いしておいて、妻ではないと言い張るなど、かえってラティア殿に失礼なのでは? 妻ではなく恋人というべきだったか。年齢が違うからと照れているのか、ヴァルドール公。四十で二十歳の嫁を娶る者もいるのだから、そう気にすることはない」
「違うと言っている」
アレクシスは半眼でジルバを睨んだが、ジルバは特に気にした様子もなく笑っている。
朗らかな男性に見えるのだが、それでもアリーチェにとってはよくない父親だったのだろうかと、ラティアは不思議だった。
少なくともラティアの父とジルバは違う。
広い公爵邸の中をアレクシスは歩いて行く。ラティアは一先ず客室のソファに座らされた。
準備ができ次第呼びに来ると言って、アレクシスは出て行った。入れ替わりでファリナがルクエを連れてやってくる。
ルクエはラティアの隣にぴょんと飛び乗ると、ソファの上で丸くなった。
「ラティア様、さきほどは冷や冷やしました。どうなることかと」
「ごめんなさい。アリーチェ様を見た気がしたのですが、確証がなかったものですから。話を聞いて欲しく、戦いを止めたくて」
「危険です。貴族の方々の魔法は、簡単に人の命を奪うものです。まかり間違って閣下がラティア様の命を奪ってしまったら、きっと閣下は立ち直れません」
「……気をつけます」
アレクシスは優しい人だから、無益に人の命を奪うなどはしたくないだろう。
反省するラティアに、ファリナはすまなそうに目を伏せた。
「すみません、出過ぎたことを。でも、心配でした。私も、他の者たちも。……閣下が一度はじまった戦いをああして途中で止めるのはとても珍しいことです」
「そうなのですね」
「ええ。力を示さなければ嘲られ、閣下に歯向かおうとするものが増えますから。でも、戦いはないほうがいいに決まっています。ラティア様、ありがとうございました。王命で戦に駆り出されるせいで、閣下には敵が多いのです。また戦になるのかと、不安に思っていました」
ルクエがぱたぱたと尻尾を振りながら『人間は争いが好きだね』と言った。
そういうわけではないだろうと思いながら、ラティアはルクエの背を撫でる。
ファリナによって、旅の衣装から普段使い用のドレスに着替えさせてもらったラティアは、彼女に連れられて食堂へと向かった。
食堂にはジルバをもてなすための食事が用意されていた。
先に席についていたジルバは、鎧を脱いでいる。
鎧を脱ぐと筋肉の盛り上がりがよくわかる。大柄な男性で、顔や手に古傷がある。
金の髪にはところどころ白髪が混じっている。深い皺のある顔はそれでも生命力に満ちて溌剌としている。長い間戦場で生きてきたような、古将の姿をしていた。




