アリーチェとロザリア
ジルバは飛び出してきたラティアを何も言わずに切り捨てるような人物ではないことに、ラティアは安堵した。
彼は娘を亡くしたことに怒っているだけだ。話せばきっと、伝わる。
このままではアレクシスは容赦なくジルバを殺めるだろう。
意味のない戦いだ。だって、アリーチェは──。
「お願いです、ジルバ様。アリーチェ様とロザリア様の容姿を教えていただけませんか。もしかしたら私、その方々を存じあげているかもしれません……!」
「なに!? 小娘……お前は誰だ、それは本当か!?」
「はい。私は、旦那様……アレクシス様にお世話になっております、ラティアと申します。フィオーレ伯爵とシャルリアの娘です」
シャルリアの名にジルバは目を見開いて、それから槍を降ろした。
彼の周囲に浮かんでいた雷球は消え失せ、槍を包むようにしていた雷も消失をした。
ジルバは馬上から軽快な仕草でひらりと降りる。重たい鎧を着ているとは思えないほどに彼は身軽だ。
槍を部下に預けると、ラティアの前に進み出る。
アレクシスも馬から降りてラティアの元にやってくる。それから、ラティアを自分の腕で隠すようにしながら前に出た。
ラティアは大丈夫だと、アレクシスの腕をやんわりと掴む。アレクシスはそれでもラティアを庇うことをやめようとはしなかった。
「シャルリア様というと、祭祀の巫女だった方だな。おぉ、確かに面影がある。とても美しい方だったが、ラティア殿もシャルリア様によく似ている」
「お母様をご存じなのですか?」
「遠目に見ていただけだがな。シャルリア様とは神秘の存在であった。まさしく女神リーニエの生き写しであると皆で噂をしていたものよ。魔力を失ったとは聞いたが、フィオーレ伯爵家に嫁いだのだったな。確かに今は亡きフィオーレ伯爵は、熱心なリーニエ教の信徒だった」
「そうなのですね。私が生まれた時にはお爺様は亡くなっていましたので、存じあげませんでした」
「先程は、小娘などと言って悪かった。ラティア殿。……娘を知っているのか」
ラティアは頷いた。「かもしれない、というだけですが」と付け加える。
名前が同じだというだけで、もしかしたら違うかもしれない。
けれどあの時──王都に魔竜の襲撃があった時、ラティアが助けた少女の母は、その名を名乗っていた。
『どうか、お礼をさせてください。娘を守っていただいたこと、本当にありがとうございます』
『お姉さん、ありがとう!』
彼女は上質な服を着た、貴婦人だった。
癖のある金の髪を一つにまとめて、珍しい灰色の瞳をしていた。
その娘もまた金の髪に灰色の瞳をした、愛らしい少女だった。
『わたくしは、アリーチェ・マルドゥークともうします。マルドゥークの名は今は飾りで……あなたにお渡しできる謝礼金さえ持っていません。けれどいつか必ずお礼をさせてください』
『お礼なんて……ごめんなさい、私、行かないと』
この時、ラティアは倒れるアレクシスの元に行かなければいけないという使命感にかられていた。
だが、アリーチェはまさかラティアがアレクシスの元に行くとは思っていなかったのだろう。
なおも言葉を続けようとする彼女を、ラティアは遮ってしまった。
アリーチェは少し困ったように微笑んだあと『ごめんなさい、急いでいるのに引き留めてしまって。わたくしは王都の学園で働いています。あなたは』と言った。
ラティアは自分の身分を名乗ることができなかった。
何と言うべきか、わからなかったのだ。この時のラティアは、フィオーレ伯爵の娘とはとても口にできない姿をしていた。それを少しだけ、恥と、思ってしまった。
同時に早くアレクシスの元に行かなければと、そればかり考えていた。
ラティアは礼をすると、アレクシスの元に駆けた。そんなラティアを見送って、アリーチェは深く礼をし続けてくれていた。
彼女がマルドゥーク伯爵が探しているアリーチェと同一人物だという確証はない。
だが、娘を連れている同姓同名の貴婦人なのだから、その可能性はかなり高いだろう。
「ジルバ様。お願いです、お教えください。アリーチェ様とロザリア様はどのような見た目をしていますか?」
「アリーチェは俺と同じ。マルドゥーク家特有の金の髪に灰の瞳をしている。今は二十六。二十歳でロザリアを産んでいるため、ロザリアは六歳。同じ金の髪に灰の瞳をした、可愛い女の子だ」
「それならば、間違いありません。数日前、王都に魔竜の大群の襲撃がありました。その時、魔竜に襲われそうになっていたロザリア様を、私は庇いました」
「なんと! ロザリアを救ってくれたのか、貴殿は」
厳めしい顔をしているジルバの表情が、喜色に緩む。
更にラティアに近寄ろうとしてくるのを、アレクシスは胡乱なものを見下げるように睨みつけた。
それから「そんなことをしていたのか、お前は」と、小さな声で呟いた。
「私が救ったわけではありません。私は庇っただけで……アレクシス様が、魔竜たちを打ち倒してくださいました。それでも、アリーチェ様は私に礼をしたいと、名乗ってくださいました。アリーチェ・マルドゥーク。今はその名は飾りだと。それから、王都の学園で働いていると』
もしかしたら、アリーチェはジルバから姿を隠しているのかもしれない。
だがアリーチェは優しそうな女性だった。
己のために父が戦を起こすことなど、彼女は求めていないだろう。
「それは本当か! そうか、アリーチェは王都に……!」
「ですが、ジルバ様。アリーチェ様があなたの元に帰らなかったことには、何か理由があるのではないでしょうか。私には、彼女の居場所をあなたに教えてしまった以上、責任があります。アリーチェ様が傷つくようなことになるのは、私の本意ではありません」
「……そうか。それもそうだな。俺は確かに、酷い父親だったのだ」
ジルバは叱られた犬のように、どことなく小さくなって俯いた。




