ラティアの侍女としての日々
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寝衣を脱ぐと、たくましい体が現れる。
分厚い胸板に、ごつごつした腹。筋肉の浮き出た腕に、背筋。アレクシスというのは、立派な体つきをした男だ。
軍人として働いているのだから当然だろう。ラティアは自分の細い腕に視線を落とした。
アレクシスの腕とは倍ぐらい太さが違う。
「……どうした」
「いえ。どうしたら旦那様のようにたくましくなれるのかと思いまして」
「逞しい、か」
「はい。とても」
アレクシスはラティアから視線を逸らした。朝の彼は不機嫌だとファリナが言っていたことを思い出す。想像していたよりも不機嫌そうではないが、余計なことは口にするべきではないのだろう。
ラティアは白いシャツを着たアレクシスの腕のボタンをとめた。
ウェストコートを着せ、その上からフロックコートに袖を通す。トラウザーズや靴下、ベルトなどは着ることを手伝おうとしたが、それは断られてしまった。
「旦那様、お加減はいかがですか。私は、触癒の力を……幼いころに一度お母様に使った以外に、はじめて使いました。ですから、まだ不足していらっしゃるならおっしゃってくださいね。私の力は、あなたのためにあります」
「……あぁ」
「必要な時は、いつでも言ってください」
じっと、アレクシスの赤い瞳がラティアの唇を見つめた。
ラティアはそういえばアレクシスに強引に口づけをしてしまったことを思い出して、内心少し慌てた。
やはり──不愉快だっただろう。
身体の接触は深ければ深いほどに触癒の力が相手を癒やす。
だから口づけという方法を選んだが、本来ならば手を繋いだり抱きしめたりと、それぐらいで十分なものだ。
それはルクエに教えられたわけではないが、ラティア自身の力であるので、なんとなく理解できる。
「あの、旦那様。あの時旦那様はとても消耗していらっしゃいました。ですので、あのようなことをしてしまい、もうしわけありませんでした」
「……お前は、嫌ではなかったのか」
「何がでしょうか」
「見ず知らずの男に、口づけることが」
「私は、旦那様に助けていただきました。あの時、私は魔竜に襲われそうになっていました。旦那様が魔法で魔竜を倒してくださらなければきっと、死んでいました。あなたに感謝をしています。旦那様は私にとって、神様のような人です」
神様に口づけられるなんて名誉なことだ。二度としてはいけないとは、思うものの。
アレクシスは額に手を当てて、深く息をついた。
「私は神ではない。その真逆にいるような人間だ」
「どうしてでしょうか。旦那様はとても、優しい人なのに。私にとっては、神様です。そして多くの人にとってもそうではないでしょうか。旦那様がいらっしゃらなければ、王都は壊滅していたかもしれません。多くの血が流れたでしょう、きっと」
思わず声に力がこもる。
アレクシスは多くの人を救った。
王都の人々にとっても彼は、尊敬の対象になるだろう。
「もうしわけありません、私は、大きな声を」
「それぐらいのことを気にする必要はない。……ラティア、お前は私の傍にいろ。好きなように話せ」
「はい。ありがとうございます、旦那様」
「お前のおかげで、気分がいい。こんなに体が軽いのははじめてだ」
「それは、なによりです。お役に立てて嬉しいです」
すっかり身支度が終わり、アレクシスは威厳と美しさをたたえた公爵閣下の姿になった。
礼をして、着替えなどをのせていたカートを引いてさがろうとしたラティアの腕を、アレクシスは掴む。
「どこにいく?」
「片付けをします。それから、ファリナさんの手伝いをします」
「私の側仕えなのだろう、お前は。側仕えとは、主人の側にいるものだ」
「なにか、ご用事がありますか?」
「朝食のあと、領地に戻る支度をする。お前は私と共に馬に乗れ。馬を走らせれば三日程度の道のりだ」
「馬に、乗るのですか? 私は徒歩でかまいません。これでも足には自信があります」
「ラティア、ここはお前の生まれ育った伯爵家ではない。私の指示に従え」
「は、はい……ありがとうございます、旦那様」
馬に乗っていいのだろうか。
しかも、アレクシスと一緒に。
用意された朝食をアレクシスと共に食べ終わると、ラティアは急いでファリナの元に向かった。
卵とほうれん草のガレットや野菜スープ、大粒のチェリーやイチジクの盛り合わせなど、どれもこれも美味しく、ラティアは体の調子がとてもよくなっているのを感じた。
足に力が入る。体が軽い。
足取りも軽くファリナの元に辿り着くと、彼女は厩の前で兵士の男と話をしていた。
鮮やかな赤毛と鳶色の瞳の、背の高い男である。
ヴァルドゥール家の家紋──絡み合う黒い茨の中央に血のような雫型のルビーがあしらわれたメダリオンが胸に縫い付けられた、黒い軍服を着ている。
「ラティア様!」
ファリナはラティアにすぐに気づいて、声をかけてくれた。
「ファリナさん、お話中もうしわけありません」
「いいのですよ。閣下と二人きりにしてしまい、こちらこそすみません。大丈夫でしたか?」
「はい。朝食をいただいて、食器をさげて洗い物をしてからこちらにきました」
「なんだってラティア様がそんなことを? 伯爵家のご令嬢なんですよね」
訝しげに男が尋ねる。
ラティアが礼をして自己紹介をすると、慌てたように「ルドガー・ワイアット、ヴァルドゥール家の兵士長です」と名を教えてくれた。
「ルドガー君、さっき説明したわよね。ラティア様は閣下の側仕えの侍女になったのよ」
「聞いてはいたが、色々衝撃的で。ラティア様、アレクシス様は苛々していませんでしたか? ひどいことを言われたり、などは?」
「いいえ。とても優しいです、旦那様は」
「旦那様!」
ルドガーは目を丸くした。
ラティアはなにかおかしなことを言ったかと、首を傾げた。




