第58話 私のリベンジ
「急がなきゃ! イルーシャも水魔法を!」
「はい!」
フェルを補助すべく、イルーシャが水魔法を使った。
魔法の水流が船を推して、船体が次第に加速し始める。
よし、これなら何とか間に合いそうだ。
前方に大きな船影をはっきりと捉えたところで、急に海面が泡立ち始める。
「来ます! 右です!」
「フェル、左へ!」
「わん!」
すぐさま左に進路を取るフェル。
それと同時に、右前方の海面を割って触手が姿を現した。
私はすぐさま炎を放ち、触手の動きを牽制する。
「こちらからも来ます!!」
「おい、どうする!」
一本の触手の動きを抑えているうちに、もう一本の触手が現れた。
まずい、この距離だと迎撃が間に合わない!
「フェル、このまま突っ込んで!」
「お、おい!」
「しっかりつかまって!」
そう言って皆が船縁にしがみついたのを確認すると、私は船のすぐ近くの海面に炎をぶつけた。
――ドォンッ!!
耳を貫く豪快な爆音。
それと同時に船尾が大きく浮き上がり、船が空を飛ぶ。
「うわぁっ!」
お腹の中の物が浮くような、嫌な感覚。
それにやや遅れて、ドスンッと衝撃が襲ってきた。
同時に、船の後ろからザブンッと大きな水音が聞こえてくる。
危ない、あと少し遅かったら触手に押しつぶされてたね!
「よし、ギリギリ回避できた!」
「あ、危ねえ……!」
「一息ついてる暇ないよ!」
触手攻撃はこれで収まったわけではない。
私は船首から伸びている縄を軽く引き、フェルにすぐさま泳ぐように促した。
イルーシャもまた風魔法を使い、船を力強く進ませる。
黒い海原を突っ切り、ぐんぐんと加速していく船体。
こうしてガレオン船が間近に迫ったところで、いよいよ真打が姿を見せる。
「うわ、出た!!」
「ここであったが百年目だね!」
水面から現れたテイオウイカの頭。
それと同時に、無数の触手がガレオン船に向かって伸びる。
まずい、一気に海中へ引きずり込む気だ!
ガレオン船の側もとっさに舵を切って難を逃れようとするが、間に合わない。
触手が甲板へと到達し、たちまち悲鳴が聞こえてくる。
「離れろっ! はあああっ!」
炎を放ち、イカの後頭部へとぶつける。
――ドゴオォンッ!!
魔力のたっぷりと練り込まれた炎の球は、たちまち強烈な爆発を引き起こす。
夜空が一瞬白くなり、それにやや遅れて爆音が響いた。
その強烈な威力に、テイオウイカの巨体が押されてガレオン船に向かって前のめりになる。
「すっげえ!! やったか!?」
「あれぐらいでやられるわけないよ」
私がそう言うと同時に、テイオウイカはゆっくりとこちらへ振り返った。
海洋生物独特の大きくて表情のない不気味な瞳。
それが容赦なく私たちを睨みつける。
「グオオオオォッ!!」
「うわっ!? なんだ!?」
「うぅ、臭い……!」
私たちに向かって、テイオウイカは猛烈な勢いで息を吐いた。
腐った干物のような匂いが漂い、私たちはたちまち顔をしかめる。
このイカ、こんな攻撃もあったのか……!
こりゃ、あとで身体を洗わないとしばらくご飯が食べられなくなっちゃうな。
そう思っていると、イカの巨体がぬるりと水中に潜る。
「ラ、ララート様……来ますよ!」
「わかってる!」
「どうする? もう唐辛子を撒くか?」
「ダメ、まだ早い!」
いくら強烈な辛さを持つ唐辛子と言えども、海で薄まっては威力が弱まる。
出来るだけ引き付けて、敵が水を吸い込み始めたタイミングで投下しなくては。
タイミングを間違えれば、あの猛烈な水鉄砲を撃たれてしまう。
「……来たぞ!」
黒々とした影が、いよいよ船の真下へとやってきた。
さあ、来るなら来い!
私は魔力を高めると、いつでも炎が撃てるように構えを取った。
すると次の瞬間、周囲の海面がわずかに凹む。
「しまった! 海中からでも撃てるんだ!!」
「フェルーー!!」
「わうぅっ!!」
叫ぶイルーシャ。
それに応じて、フェルが全力で動き出す。
精霊獣ならではの圧倒的なパワーと俊敏さ。
それらをいかんなく発揮して、瞬きするほどの間にわずかながらも船を動かす。
直後、海が盛り上がって爆発した。
巨大な水柱が高々と天を貫き、危うく船が呑まれそうになる。
「し、沈む!!」
「任せろ!」
ここで、リュートがオールを手にしてどうにか船のバランスを取った。
流石は漁師見習い、こういう時は頼りになるね!
フェルも精一杯船を引っ張り、どうにかこうにかバランスが保たれる。
「また水を吸ってます!」
「ええい、キリがないなぁ!」
どうやら、イカはひたすら海中から水鉄砲を撃ってこちらを沈めるつもりらしい。
参ったな、これだと手出しのしようがない!
持ち込んだ唐辛子も、流石に海の上からばら撒いたのでは届かないだろう。
ここは一体どうしたものかな……。
私が唸っていると、ここでリュートが唐辛子の入った樽に鎖を巻き始める。
その鎖の先端には、船の錨の代わりとなる重しがついていた。
「よし、後はこれを沈めて……」
「ちょっとちょっと、どうするのさ?」
「俺がこいつを、イカの口の近くまで持っていく」
「危険すぎます! 吸い込まれたらどうするんですか!」
たまらず、イルーシャが叫んだ。
彼女の言うとおりだ、あのテイオウイカの口元へ近づくなんて正気じゃない。
吸い込まれてしまったら、イカの中で潰されちゃうのは目に見えている。
「大丈夫だ。海流を見てれば、危ない場所は分かるから」
「そうは言っても――」
「やばいっ! 来るぞ!」
ここで、再びテイオウイカが水鉄砲を放った。
ギリギリのところでフェルの移動が間に合い、船のすぐそばで水柱が上がる。
たちまち船が揺れて、私は危うく外に放り出されそうになった。
「行くぞ!」
「あ、ちょっと!」
ここで、リュートが重しを付けた樽を海に放り込んだ。
それに続いて、自身もまた海へと飛び込んでいく。
何という思い切りの良さ!
突然の行動に、イルーシャの制止も間に合わなかった。
「ラ、ララート様! どうしましょう!?」
「待って、よく見て!」
私は慌てて光魔法を使うと、海中を照らし出した。
すると、群青色の海の中をすいすいと泳いでいくリュートの背中が見える。
……驚いた、あんなに泳げるんだ。
唐辛子の入った樽を背負いながらも、それを全く感じさせない魚のような動き。
魔法もなしに成し遂げているとは、にわかには信じがたいほどの泳力だ。
リュートにこんな特技があったとは、正直ちょっと驚いた。
「あっ! 動き出しましたよ!!」
「リュート、危ない!」
遥か海底付近に沈んでいたテイオウイカ。
その金色に輝く目が、不意にこちらを睨んだ。
リュートの動きに気付いたようである。
テイオウイカはそのまま口を上に向けると、勢いよく水を吸い込み始める。
海上からでも、海流が渦巻くのが見えた。
まずい、このままだと吸い込まれちゃう!
私たちがそう思った瞬間、リュートが背負っていた樽を投げる。
すると水と一緒に樽がテイオウイカの口へと吸い込まれていった。
――ゴボゴボゴボッ!!
樽が口の中に入った瞬間、テイオウイカがもがき始めた。
口から激しく空気を噴き出し、海面が噴水のように泡立つ。
よし、完璧!
こうして一仕事終えたところで、リュートが一目散に船へと戻ってくる。
「これでいいはずだ!」
「やるじゃん、あとは……!」
もがき苦しみながら、徐々に海底から昇ってくるテイオウイカ。
やがてその頭が、ザバッと水面から顔を出した。
もう、辛くて辛くて仕方がないのだろう。
触手をくねらせながら、タコ踊りならぬイカ踊りをしている。
「この間は良くもやってくれたね。思いっきりやってやるよ!」
杖の先に炎を浮かべ、魔力を込めていく。
この間の恨みも込めて、限界ギリギリのフルチャージだ。
赤々と燃える炎が夜の大海原を照らし出し、灯台よりも明るくなる。
だがここで、危険を察知したテイオウイカが最後の抵抗を見せる。
「ヤバい、撃ってくるぞ!」
「させません! とりゃああああっ!!」
「すげえ!」
どうにか水鉄砲を放とうとしたテイオウイカに向かって、イルーシャが樽を投げた。
身体強化魔法の為せる業である。
放物線を描いた樽は見事にテイオウイカの口元にぶつかり、唐辛子がさながら煙幕のように周囲に漂う。
「ブグオオオオゥッ!!」
たちまちテイオウイカの口から、声にならない絶叫が響いた。
よっし、今しかない!
「燃えろっ!!」
一直線に放たれた炎。
それは着弾と同時に、猛烈な爆発を引き起こした。
爆炎が夜空を焼き、轟音が静寂を貫く。
テイオウイカの白い巨体がたちまち真っ赤な魔力の炎に包まれた。
あまりの熱にテイオウイカは慌てて海中へ避難するが、炎は消えることなく燃え続ける。
魔力によって燃える炎は、たとえ水中であろうと関係ないのだ。
「私の炎を舐めないでよ。水ぐらいじゃ消えないんだから」
「うわー、えっぐいですね」
燃え続けるテイオウイカを見て、溜まらず顔をしかめるイルーシャ。
なまじ大きいがゆえに生命力があり、簡単には死なないことが災いした。
炎に包まれながら苦しむその様子は、見ていてちょっと残酷である。
「武士の情けだよ。そりゃっ!」
ダメ押しでもう一発攻撃を放ち、テイオウイカの頭にぶつけた。
焼け焦げたことで防御力を失っていた頭に、たちまち風穴があく。
それと同時に、触手の動きが止まって炎が収まった。
テイオウイカの生命が、完全に失われた証拠だ。
――ザバンッ!!
救いを求めるように宙を彷徨っていた触手が、海に崩れ落ちる。
やれやれ、長かったけどこれで完全勝利だね!
「……やったぁ!!」
「勝ちましたね!」
「うん、リベンジ成功だよ!」
私は大きく背伸びをすると、イルーシャとハイタッチをした。
……イルーシャの方はハイというか、ロータッチだけど。
とにかく、この私を撤退に追い込んだにっくきイカ退治は無事に終了である。
いやー、勝てて本当に良かった!
あとは、イカさんが立派な辛子漬けになってくれれば言うことなしだね!
こうして私たちの戦いは、ひとまず終わったのだった。
読んでくださってありがとうございます!
おもしろかった、続きが気になると思ってくださった方はブックマーク登録や評価を下さると執筆の励みになります!
下の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にしていただけるととても嬉しいです!




