第51話 真夜中の船出
「こっちだ、こっち!」
その日の夜、八時過ぎ。
日もとっぷりと暮れたところで港へ向かうと、すぐにリュートが声をかけてきた。
黒い服に身を包み、明かりも持たずにいた彼はすっかり周囲の闇の中に溶け込んでいた。
おかげで、急に声を掛けられた私はちょっとばかりビクッとしてしまう。
「……脅かさないでよ。びっくりするじゃん」
「船長や他の漁師に見つかったらいろいろ面倒だからな、隠れてたんだよ」
「あー、協力するなとか言いそうだもんね」
そういう事情ならやむを得まい。
私たちはわずかな月明りを頼りに、リュートの後に続いて港の端にある小さな桟橋へと移動する。
「さ、乗ってくれ」
「はい」
さっと船に乗り込むイルーシャ。
一方、身体の小さい私には船と桟橋の間の微妙な隙間がなかなか超えられなかった。
手足が短いと、こういうとこが不便なんだよね。
「ほら、つかめ」
「ありがと」
リュートの手を借りて、どうにか船へと乗り込む。
そうしたところで、リュートはそっと桟橋と船とを繋ぐ縄をほどいた。
そしてオールを使って船体をゆっくりと押し出す。
――ギィィ……。
船体がわずかに軋みを上げ、黒々とした夜の大海原へと漕ぎ出した。
「……それで、そのテイオウイカのハズレを見つける当てはあるのか?」
「うん、昼間のうちにちゃんと準備しといたからね」
そう言うと、私はマジックバッグの中から釣りの道具を取り出した。
そして同じくマジックバッグから魔石を取り出すと、釣り糸の先に縛り付ける。
「これでよしと」
「なんだそれ。石で魚を釣るのか?」
「魔石だよ。モンスターを主食にしてるならこれでおびき寄せられるはず」
私はそう言うと、魔石を縛った釣り糸を投げ縄のようにブンブンと回した。
そしてそのまま手を放し、出来る限り遠くに魔石を投げ込む。
さーて、いったい何が出るかな。
いま投げ込んだ魔石は、以前に森で倒したジェノサイドベアという巨大な熊のもの。
流石にドラゴン種のものほどではないが、かなり強力な魔力を秘めた代物だ。
モンスターを捕食する存在なら、絶対に見逃せないご馳走だろう。
「後はじっくり待つだけっと。お腹空いてきちゃった」
「こんな時に腹減りかよ」
「腹ごしらえは重要だよ。イルーシャ、何か持ってきてない?」
「それなら、特製野菜ジュースがありますよ」
そう言うと、イルーシャはマジックバッグの中からガラスの瓶を取り出した。
その中には、かなり粘度の高いジュースというよりはスムージーのような見た目の液体が詰まっている。
「最近、夜中は基本的にこれだけにしてるんです」
「わー、意識高い系女子だ」
「イシキタカイ系? なんですか、それ」
「何でもないよ」
まぁ、スムージーは私も別に嫌いではない。
さっそく、瓶からコップに移して口に運ぶ。
すると――。
「んん!? 苦っ!!」
口いっぱいに広がる青臭さ。
ゴーヤと野草をすりつぶして、そこへさらに葉っぱでも足したかのようである。
どことなく、漢方薬のような感じの臭さもある。
イルーシャめ、私に変なの飲ませたな……!!
ひょっとして、この間こっそりおやつを食べた仕返しか?
それとも、フェルのブラッシングをサボったことを怒ってるのか?
私があれこれ考えていると、イルーシャ本人もこの謎のジュースを飲み始める。
「んん、苦い! もう一杯!」
そう言うと、イルーシャはすぐにジュースを追加した。
そして再びそれを飲み干し、んんーっと悶絶する。
……なるほど。
どうやらイルーシャは、この苦さとまずさが癖になってしまっているらしい。
何だか青汁みたいなノリだな。
「まったく。人にまで変なのを飲ませないでよね」
私はそう言うと、マジックバッグの中からはちみつを取り出した。
それをたっぷりとジュースに入れて、しっかりと混ぜる。
すると――。
「おっ! 飲みやすくなった、おいしい!」
流石ははちみつ、味を良くする効果が半端じゃない。
さっきまでの青臭さが嘘のように消え去り、抹茶系のスイーツみたいな味わいになった。
これならいくらでも飲めちゃうね!
私はすぐにジュースを追加すると、はちみつをドバドバ入れた。
だがしかし、ここでイルーシャが待ったをかけてくる。
「ダメですよ!! そんなにはちみつを入れたら!」
「なんで? こうした方が絶対に飲みやすいって!」
「せっかく身体にいいジュースなのに、糖分過多になっちゃいます!」
「大丈夫だって。んん、おいしい!!」
止めるイルーシャをよそに、私はこれでもかと蜂蜜を入れたジュースを飲んだ。
――ゴクゴク!
あー、うまい!
深夜に糖分をたっぷり取っちゃう背徳感もたまらないよ!
やっぱり食べ物はおいしくなきゃね!
身体にいいまずいものを食べて長生きするぐらいなら、私はおいしいものを食べて太く短く生きる!
…………まあ、既に人間基準だと果てしなくながーく生きてるわけだけども。
「あーあー、そんな糖の塊みたいなものを夜中に……! 太りますよ」
「太らないって」
「フェルには太るとか注意してたくせに」
「そんなことあったっけ?」
私は全然、記憶にございませんなぁ。
イルーシャのでっち上げじゃない?
そんなことを呑気に考えていた時だった。
不意に、船が大きく揺れる。
「わわっ!?」
「なんだ……?」
急いで周囲を見渡すが、海が荒れた様子は特にない。
私たちが変に思っていると、再び船が大きく揺れる。
下から突き上げる、さながら直下型地震みたいな揺れ方だった。
「これはもしかして……」
「げっ!!」
慌てて船の下を覗き込むと、とんでもなく大きな影が見えた。
この船なんかとは、まったく比較にならないほどである。
海が黒く染まるとは、まさしくこのことだろう。
「……いけない! すぐに船を動かして!」
「あ、ああ!!」
リュートはそう答えると、大慌てでオールを漕いで影の範囲から脱出を図った。
私もすぐさま彼に身体強化魔法をかけて補助をする。
さながらエンジンでもかかったかのように、船がグイッと速度を上げた。
だがしかし――。
「うわあああっ!?」
揺れる船体に、懸命につかまる私たち。
そうしていると、やがて目の前に巨大な白い三角形が現れた。
イカだ、とんでもなくでっかいイカの頭だ!
こうして私たちは、海を荒らす怪物と遭遇するのだった――。
読んでくださってありがとうございます!
おもしろかった、続きが気になると思ってくださった方はブックマーク登録や評価を下さると執筆の励みになります!
下の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にしていただけるととても嬉しいです!




