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コース:ご指名ありがとうございます!3


 陽が落ちた賑やかな飲み屋街。


 仕事帰りの会社員に紛れて、お店の看板を持って客引きのために立つ複数の若い男女。露骨な客引きは条例違反のため、脚を止めたグループにそれとなく声をかけるだけ。後は時間を潰すように、同じ客引きと駄弁っている。


 だが、仕事を終えた結芽は目もくれない。


(ヤバい。ヤバい! ヤバい!! 予約した時間とっくに過ぎてるッ!!)


 とはいえ、遅れるという旨は二度連絡を入れている。


 原因は一つ、持て余していた時間を見誤ったため。


 一定の仕事量はこなし、特に問題なく帰宅できる見込みだった。


 そんな時、急に仕事を回されてしまった。


 それは明日にでも片づけられる書類整理だったが、予約した時間まで余裕がある。そのため引き受けてしまった故の、ちょっとした残業。


 ただでさえ残業時間を減らせと、耳に胼胝ができるくらい言われ続けている。


 だからといって仕事量が減るわけでもなく、可能な限り勤務時間内に終わらせないといけない。


 後は、家に持ち替えるなりのサービス残業。


 多少は許容の範囲内だと思いきや、所々目立つミスの多さ。それらを修正していたら時間が過ぎていて、一度目の遅れているという連絡を入れた。


 その場で切り上げるべきだったのだが、急に鳴り出した社内電話。


 内容は、来年度に行われる新入社員研修資料について。


 もうそんな時期かと思いながら対応したが、生憎と担当していた社員は退勤していた。


 結芽自身もどうもできないと突っぱねるも、電話越しのグチグチとした不平不満。仕方なく担当に連絡をしてみると、提出期間を勘違いしてしまっていたらしい。


 そこで慌てて戻ってきたのはいいが、手伝いを申し込まれた。


 面識や接点のない相手ではない。


 部署は違うが、多少のミスやフォローはし合う空気はあった。


 それもこれも上司同士が同期で仲が良く、そういった仕事スタイルだから。


 それが自然と部下である結芽にも身についていて、気づけば首を縦に振っていた。


 今度お昼ご飯を奢ってくれる約束を取り付け、気づけば再び来店時間を過ぎてしまっていた。


 さすがにこれ以上はと思い、手伝いを途中で切りあげて今に至る。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 結芽は肩で息をするように、手にしたスマホの地図アプリと周囲を見渡す。


「確か、この辺りだったと思うけど……」


 だが、右や左を見比べても外見は同じビルばかり。


 多少の差は有れ、結芽には同じにしか映っていない。


 すると、スマホが鳴った。


『も、もしも……境乃結芽のお電話でよろしいでしょうか』


 どこか不安げで自身のない女性の声音。


 だけど相手は、トークアプリからかけてきている。


 だからすぐに誰かとわかり、スマホを耳にあてていた。


「あ、はい。ごめんなさい、ちょっと迷って――」


「『あっ』」


 すると、近くから似たような声が聞こえてきた。


「『結芽さん』」


「ん?」


 同じ声が、二つの方向から聞こえてくる。


 一つはスマホからだが、もう一つがわからない。


 周囲を見渡した結芽は、視界の先に手をあげている女性を捉えた。


「ごめんなさい、遅れてしまって」


 ほぼ振り返るような形で、とあるビルの入り口に立っていた純寧。


 人波を縫うように駆け寄り、結芽は頭を下げた。


「事前にお仕事で遅れると連絡をいただいでますから、大丈夫ですよ」


「……?」


 ふとした違和感に、結芽は目を丸くさせた。


(……あの時の、娘だよね)


 見間違えるほどのない、羽織った上着からでもその存在を主張する胸。それに綺麗な金色のショートボブに、染められたインナーの朱色が見え隠れする。


(あ、これ……怒ってる?)


 表情は微笑みながらも、どこか怪しげな紫紺色の瞳からは感情が読み取れない。


(どうしよ、どうしよ! どうしようッ!! そうだよね、社会人としてあるまじき行為だよねッ!? 実際にあの仕事だって途中で切りあげられたし、そうしておけばあの電話に出ることも……)


 頭の中でグルグルと、後悔の念が渦巻き続ける。


「……結芽さん?」


「あ、はい。今行きます」


 純寧が立っていたのはビルの入り口、癒し処【リリートリア】がある場所だった。


 それは偶然か、それとも必然か。


 奥へと進んでいた純寧に声をかけられ、結芽は慌てたように追いかけた。


(……き、気まずい)


 二人が乗れてようやくくらいの手狭なエレベーター。密着するほどでもないが、その窮屈感にどこか重たい空気が漂う。


「こちらです」


 だがそれも時間にして十数秒、四階に到着してエレベーターの扉が開いた。


 先を行くように降りた純寧。


 続くように結芽も降りた。


 そこは都心のオフィスというよりも、落ち着ける空間を造るために手を加えられている。


 各部屋をパーティションにはレンガ造りの壁紙を張り、天井からは人工的な蔦がぶら下がっていた。どこからか水の流れる音や鳥のさえずりも聞こえてくるが、都心のオフィス内であることを考えるとあり得ない。明らかに癒しを与えるためのチルいBGMが流れている。


 それにどこからか、嗅ぎ慣れない良い匂いも漂っていた。


(……変わらないな)


 例え二度目とはいえ、そう思えてしまう空間。


 ついさっきまでの居心地の悪さすら忘れてしまう程に、その空間が癒しを与えてくれる。


「お荷物はこちらのカゴに入れてください」


 パーテンションで仕切られた数部屋の奥、案内されるままに歩みを進める。


 降ろされたカーテンを潜ると二脚の椅子。


 片方は背凭れに肘掛けがあり、ゆったりと両脚を伸ばせるタイプ。


 もう片方は、持ち運びに便利な丸い椅子。


 羽織っていた薄手の上着をハンガーにぶら下げ、結芽は普段の生活では座る事のない前者の椅子に腰かけた。


「ふへぇ~」


 自然と出てしまった、気の抜けた溜息。


 リクライニング付きの背凭れは、体重をかけただけでどこまでも沈み、それでいて柔らかいクッション性。さらに履き潰した靴を脱いでフットレスに、両肘掛けに腕を乗せて全身をリラックスした体勢になっていく。


 たったそれだけで、結芽の疲れを癒してくれる。


「それでは用意がありますので、少々お待ちください」


「あ、はい」


 だが、純寧の声音に気が強張ってしまう。


(そうだった、勝手に浮かれちゃってたよ……)


 内心で反省しながら、結芽はその場を後にした純寧の後ろ姿を見送った。


 それからすぐ戻ってきた純寧の手もとには小さな箱と、薄手の膝掛けが。


「こちら、失礼します」


 そういってかけられた膝掛けが、結芽の全身を温めていく。


(あ~このまま眠れそう)


 まだ施術が始まっていないにもかかわらず、既にウトウトしている結芽。


「お疲れのようですね」


「え、あ~ちょっとは?」


 自覚はなく、曖昧に返事をしてしまう。


 結芽からすれば朝起きて、会社に向かう。それから仕事で、定時に退社できればいいが、そううまくいく日が少ない。今回のように残業して、帰りは終電間際になってしまう。


 それが当たり前の日常で、疲れていないと言えばウソになる。


 けど、身に染みてしまった生活サイクル。


 だからといって、疲れていることに胸を張って宣言するのも可笑しな話。


「あまり頑張り過ぎないで下さいね」


「……気をつけます」


 予約していた時間に遅れてしまった事を、遠巻きに指摘されたのか。


 もしくは、業務的な文言なのか。


 どちらにしても曖昧な笑みを浮かべてしまう。


「右手、失礼します」


 半透明なボトルを手に、純寧は施術を始めていく。


 アロマを掌に伸ばしていき、結芽の右手に触れる。


「ッ」


 純寧の手が、結芽の人差し指に触れただけで無意識に強張ってしまった。


「……少し肩に力が入ってますね。ゆっくり鼻から息を吸って、口からゆっくり吐いてください。それから肩、肘と力を抜いて、リラックスしていきます」


 どこか微笑むように、落ち着かせるための優しい声音。


 だから言われた通りに、全身をリラックスさせるように力を抜いていく。


 それから結芽の右手を包むようにアロマが塗り広げられていくが、純寧の手が本当に触れているのか定かじゃない妙な感覚。


「ここに初めて来たときのこと覚えてます?」


「えっと、セロト……幸せホルモンでしたっけ?」


 ぼんやりした意識の中、聞き慣れない単語ばかりだったので自信がない。


「そうです。あの後、どうでしたか。体調の方とか、お仕事とか順調でしたか」


 小首を傾げた結芽に、純寧は変わらず落ち着いた声音で問うてくる。


「施術後は不思議な感覚でしたけど、その後は特に……ああ、でも実家には帰ってみましたね」


 微睡みながら、結芽はほんの数か月前の事を思い返す。


「最初は帰る気じゃなかったんですけど、そんな時に純寧さんが声をかけてくれて、何だろう、たまには帰ってもいいのかなって思うようになって、それから……」


 滔々とそれからの事を語り始める結芽。


 普段の当たり障りもなければ、面白みの欠片もない内容ばかり。


 だけど、自然と口が動いてしまう。


(って、何話してるんだろう……)


 それらを語り終える事はなく、結芽の意識は遠のいていった。



「ッ!?」


 次に目が覚めた時には、純寧は左側に座っていた。


 高い所から落ちる夢を見た時のような目覚めに、全身が無意識に飛びあがってしまう。


 だがそれも一瞬で、再び意識が、瞼が重くなっていく。


(……あれ、気のせい? ……翼? ……尻尾?)


 その束の間、変わらず施術を続けていた純寧の方を見ていた。


 それでもまだ夢を見ているのか、フワッとした疑問が脳裏を過る。


 けど、そんな疑問を解決する余裕もなく眠りに就いていく。



「……ん」


「起きましたか」


「あ~はい……」


 そして気づけば、純寧が結芽の顔を覗き込むように見つめていた。


(……どのくらい経ったんだろう)


 施術を受けてから、結芽の体感としては十分程度。


 けど前回と同じ施術通りであれば、純寧が右から左に移動している。


「起きあがれますか? 次はこちらに座ってもらって、背中の施術に移ります」


 そして最後は背中だった。


「あの、どれくらい経ちました」


 純寧に支えられる形でフットレスに腰を下ろし、さっきまで座っていた椅子の背凭れに抱き着くように両腕を回して凭れかかる。


「……四十分くらいですかね」


「はへ?」


 起き抜けの、間の抜けた声音で首を傾げてしまう。


「よっぽどお疲れだったのか、よく眠られてましたよ」


 揶揄うわけでもなく、事実を淡々と告げてくる純寧。


「そ、そうですか」


 それがあまりにも恥ずかしく、純寧の顔を直視できない。


 結芽は背凭れに顔を埋める形で施術を受け続ける。


(この時間、もうすぐ終わるのか)


 誰かの前で、短時間とはいえ熟睡してしまった。


 寝顔を見られたことへの羞恥よりも、貴重な時間を寝て過ごしてしまった後悔。


「……どうかしましたか?」


 すると、結芽の心を見透かしたようなタイミングで純寧が声をかけてくる。


 背中に触れる両手をゆっくりと動かしながら、急かすような事はしてこない。


 そんな静かな時間、結芽は上手い言葉を探した。


 だけど、頭が働いていない。


「今日はごめんなさい」


 だから、率直で素直な気持ち。


「……どうして謝るんですか、結芽さん」


 施術の手を止めず、純寧は結芽の言葉に耳を傾ける。


「だって予約した時間に二回も遅れたし――」


「事前にお仕事だと連絡いただいてますよ」


「あげく、時間もギリギリで――」


「気にしなくて大丈夫です」


「だけどッ!」


 堰を切ったように、結芽自身に憤る感情が高ぶっていく。


「結芽さん、一度深呼吸です」


「ッ!?」


 そんな結芽を、純寧は後ろから抱き締める。


「せっかくリラックスできていたんですから、気持ちを落ち着かせてください」


「……は、はい」


 背中に柔らかな感触が二つと、包み込むほっそりとした両腕がお腹に回される。


「ゆっくりです。ゆっくりと鼻から吸って口から吐いてください」


「すぅ~はぁ~すぅ~はぁ~」


 結芽の深呼吸を確かめるように添えられた、純寧の両手。


(はぁ……情けないな、私……)


 しばらくそうしていたかったが、結芽は上体を起こした。


「ありがとうございます、落ち着いて来ました」


「それなら良かったです」


 そういって微笑む純寧に、結芽は気恥ずかしく顔を俯かせた。


「何か飲まれますか?」


「温かいヤツで」


 抱き着いていた背凭れから離れて、結芽は改めてリクライニング付きの椅子に腰を落ち着かせた。


 ほんのわずかな時間、一人になった結芽。


 店内に流れている鳥の囀りに、川の流れるような潺に耳を傾ける。


 たったそれだけでも気持ちが落ち着いていくも、純寧の施術には敵わない。


「お熱いので気をつけてくださいね」


「いただきます」


 小さなトレーに一人分のカップを乗せて戻ってきた純寧に、結芽はホッとしたような表情を向けた。


「なんか、純寧さんは変わらないですね」


「……何がですか?」


 両手でカップを包み込むようにして飲む結芽は、不思議そうな表情を浮かべた純寧に口角をあげた。


「最初に声をかけられた時は驚いたというか、この娘大丈夫なのかなって不安があったんです。施術の時もでしたけど、こうして改めて仕事をしている姿は真剣で」


「……た、確かに人と話すのは苦手です」


 当時の事を話題にされ、純寧は苦笑いを浮かべるしかできなかった。


 それは今でも変わらないし、事実でしかない。


「今日だって雰囲気が違うから怒らせたかなって」


「えっ」


「あれだけ挙動不審気味だったのに、今日はどこかしっかりというか、言葉を詰まらせたりしないから。……少し、緊張してました」


「それは……」


 純寧は眉根を微かに寄せて、肩を少し落とす。


 そんな反応に結芽は気づかず、一息吐くようにカップに口をつけた。


「だけどさっき、私の事を落ち着かせようとしてくれた時に気のせいだったのかなって」


 結芽は一度言葉を区切り、純寧を真っすぐと見つめる。


「誰かを癒そうっていう気持ちは変わってないから」


「そう、思っていただけているなら嬉しいです」


 全体的に光量が押さえられた店内、未だに純寧の表情は晴れることはない。


「だからさっき見えたのも錯覚なのかな……」


「ッ!?」


 独り言のような結芽の呟きに、純寧は弾かれたように顔をあげた。


「何か、変なモノでも見えたんですか?」


「え、あ、いや……それは……」


 聞かれていたとは露知らず、純寧の食い気味な姿勢にたじろいでしまう。


 両手で包み込むカップを弄ぶように、結芽は言葉を探した。


「わ、笑わないで下さいね」


「そんなに変なモノが見えたんですか」


 前置きをしてくる結芽に、純寧の不信感は増していく。


 だが結芽は、覚悟を決めたように短く息を吐いた。


「翼と尻尾が……」


 バツが悪そうな苦笑いの結芽。


 逆に純寧は自身の背中を確認するように首を動かした。


「だ、だから本気にしないで下さいってば」


「そ、そうですよね……」


 神妙な面持ちの純寧だったが、不意にタイマーが鳴った。


「もう、終わりですね」


「……今、お会計の伝票お持ちしますね」


 反応が遅れたように純寧は立ちあがり、そそくさとその場を後にした。


 それに倣うように結芽も上体を起こして、手を伸ばせば届くカゴから鞄を掴んだ。


「はぁ~すっごい軽い感じ」


 感嘆してしまう程に声が出てしまい、レジから戻ってきた純寧に不思議がられてしまう。


「……大丈夫そうですか?」


「だ、大丈夫、大丈夫。ただ施術の効果に驚いてただけです」


 伝票を受け取り、結芽はお会計を済ませて椅子から立ちあがった。


 そして、来店した時と同じようにエレベーターの方へ。純寧に案内されるようにビルの外まで並んで歩いた。


「今日はありがとうございます、すっごく楽になりました」


「それは良かったです、またいらしてくださいね」


 外はすっかり夜が深まりながらも、目の前に広がる片側三車線の道路には車が往来。そのヘッドライトが夜の街を照らして、昼間と勘違いしてしまう程に明るい。


 そんな見慣れた光景を前に、結芽は大きく背筋を伸ばした。


(明日も頑張れそうだな)


 どこか晴れた表情で駅へと歩きだす。


「あの、結芽さん!」


「……はい?」


 呼ばれて足を止めた結芽は、正直耳を疑った。


 最初はどこかオドオドとした、不安感の拭えない女性。同性として特に胸の部分が異様に発達し、敗北感を抱かせる程だ。


 異性からすれば魅力的で、そっち方面で働けば人気が出てもおかしくない。


 だけど当の本人は人見知り。


 ぜいたくな悩みではあるものの、そのせいで異性を危惧している節もある。


 だから大きな声を発することも苦手かと思っていたが、そうじゃなかった。


「もしお時間あるようでしたら、今からご飯でも行きませんか」


 振り返ると、ついさっき別れたはずの純寧が大きな声を張っていた。


 その脇を通り過ぎる人々からの視線を向けられながらも、結芽の事だけを見つめている。


「それはいいですけど、お仕事の方は……」


「あ、その辺は大丈夫です。本来であれば退勤時間ですから」


「うっ」


 サラリと結芽は胸に針を刺されてしまった。


(うう、そうだよね。あれだけ予約時間延ばしてもらってたんだ。本来だったら別の日とかにすれば良かったんだよね)


 どうしても今日じゃないといけないわけでもなかったが、初めて予約を入れたのもあって急なキャンセルを言いだしづらかった。


 だがそれが裏目にでてしまい、純寧の事を待たせてしまっている。


「わかりました、お詫びの意味も込めて奢ります」


「お詫びだなんて、本当に今日の事は気にしなくても――」


「いえ、気にします」


 急に誘っておいた純寧側からすると申し訳なくなりながらも、ここぞというチャンスを前に意気込む結芽に首を縦に振るしかなかった。


「すぐ準備してきます、ここで待っててください」


 踵を返してビルの方へと戻っていく純寧を見送り、結芽は急いでスマホを鞄から取りだした。


「明日仕事だけど、そんなに飲まなければ大丈夫。どこか近くて安い居酒屋、居酒屋……」


 検索エンジンにワードを打ち込むと、これでもかと近隣の飲食店がスマホの画面に表示されていく。


 そこからさらに価格で絞り、目ぼしい場所をピックアップ。


「いや待てよ。純寧さんは飲むのか? それともただの食事?」


 結芽の事務仕事で鍛えられた指さばきが止まり、翻然とした表情で都内の空を見あげる。


「……外で誰かと食べる時、どんなお店が喜ばれるんだろう?」


 過去を振り返り、何度か会社の上司と昼食を摂ることはある。


 その時は連れて行かれるまま、有名なチェーン店から個人のお店。時にはキッチンカーの移動販売など、和洋中とご馳走されたり、したり。


 連れて行かれる場所はどこも美味しく、結芽自身も雑多でこだわりがなかった。


 だからこうして誰かを、結芽から誘うという経験が少ない。


「……」


 一周回った結芽の思考はフリーズし、春先の朝晩と冷え込む路上で立ち尽くす。


「お待たせしました、結芽さん」


「あ、いえ、大丈――」


 呼ばれて振り返り、結芽は目を丸くさせた。

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