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16.

「エレオノーラ様、お手を」


 シエルに手を差し出され、おずおずと手を伸ばせば、彼は私の手を優しく握ってくれながら、私を馬車の中に導いてくれる。


「緊張していらっしゃいますね」


 シエルに指摘され、私は小さく頷く。


「えぇ。だって、お務めとはいえ、お城の外に行くのは初めてだから……」


 お務め。それは、私の“妖精の愛し子”としての仕事を指す。

 以前、シエルの力になりたいと言った時に、彼から頼まれた朝の祈りともう一つ、“国の水資源となる場所に祈りを捧げてほしい”という願いを叶えるため、今こうして馬車で向かおうとしているのだけど……。


「確かに、そうですよね」


 私の後に乗り込み、向かいの席に着いたシエルが顎に手を当て窓の外を一度見やってから、私に目を向けて言った。


「それならば、新しい世界を探検しに行く、と考えてみてはいかがでしょう?」

「探検?」

「はい。この国に来て、雪もまたお目にしたのは初めてだと目を輝かせておっしゃっていましたよね?

 でしたら、今から向かう場所のことも、書物でお読みになっていた世界を実際に目にすることが出来る……と想像しながら道中も楽しまれてみてはいかがでしょう?」

「!」


 シエルからの思いがけない提案に、私は少し考えてから言葉を発した。


「……なるほど、そういう考え方があるのね……。

 凄いわ、シエル。確かにそう考えると、胸の内が軽くなって心が踊るような気がしてきたわ」

「それは良かったです」


 シエルに微笑まれ、今度はドクンと心臓が高鳴るのを感じた私は、取り繕うように言葉を発した。


「では、これから向かっている場所のことをできるだけ詳しく教えてくれるかしら?

 祈りを捧げるためには、その土地のことをよく知るべきだと思うの」


 シエルは私の言葉に目を見開いた後、苦笑交じりに言う。


「エレオノーラ様、それではやはり仕事をしていることと変わりはありません。どうしても説明をしてほしいと仰るのであれば、着いてからでもよろしいのではないでしょうか」

「……ありがとう、シエル。けれど、私にはかつてのように特別な力など何もないけれど、この国のことをもっとよく知りたい。

 知った上で、私に出来ることが何か模索していきたいの」


 それに、と困ったように苦笑しているシエルを見て思う。


(貴方が治めてきたこの国のことを知りたい。

 貴方が何を考え、その目にどう映っているのか……)


 私は大丈夫、という意味を込めてじっとシエルを見つめれば、彼は少し目を彷徨わせた後、はーっと長く息を吐いた。


「……本当、エレオノーラ様は変わりませんね。

 人一倍責任感が強く真面目すぎるところも、そのせいで体調を崩されてしまうことがよくあったのも」

「む、昔の話は良いから!」

「はは、かしこまりました」


 シエルは無邪気に笑ってから、どこから話そうかと思案し始める。

 その姿を見て、彼の先ほどの言葉を思い返す。


『人一倍責任感が強く真面目すぎる』


(……いえ、違うわ。責任感が強かったら、妖精女王というお役目を放棄なんてしない。

 私は、そのお役目に相応しくあれなかった……、その重荷を背負いきれずに途中で投げ出した、失格者よ)


 そんなことを考え、後ろ向きになってしまう自分を叱咤するように一度目を瞑ると、再度瞼を開ける。

 今度こそ責務を全うし、シエルの役に立つんだと。

 そう言い聞かせて私は、シエルの口から語られるこの国の在り方に耳を傾けた。





 馬車から降り、数分程歩いた場所で、シエルは立ち止まり言った。


「本日はこちらで祈りを捧げていただきたいと思います」


 シエルの言葉に視線を向ければ、そこには小さな水の溜まり場である泉が出来ていた。


(これが、水源となる泉……)


 ラーゴ王国は山から多くの河川が流れ、湖や池も複数存在しており、地下水も豊富なため水資源に困ることはない。

 また、冬には積雪があるほどの雪が降ることから、春にかけて雪が解けて出来た“雪解け水”も、飲み水や生活用水となるのだとシエルが教えてくれた。

 私は服の裾が濡れないように気を付けながらしゃがむと、湧き出ている水に目を凝らして言った。


「凄く澄んでいて綺麗……」

「そうですね。ですが、このまま飲むことで体調不良を起こした者がいたという事例があったことと、主な生活用水となる河川の水が上流域から汚染されないよう、この山は王家直轄の地と私が定めました」

「そうだったのね……」


 シエルの言葉に、もう一度澄んだ水が流れていく様に目を向けながら思う。


(シエルは人間に転生して、この国の王となり民のために尽くしているのだわ……)


「エレオノーラ様にお願いさせていただきたいことは、湧き水や地下水といった水に有害物質が含まれることがないよう、祈りを捧げて欲しいのです」


 “民の生活のために祈りを捧げて欲しい”。

 それが、他ならないシエルからの願いであり、私もその仕事内容を頭の中では理解していた。

 なぜなら、ファータ王国でも飲み水を確保するため、妖精の愛し子が同様の祈りを捧げていたから。


 妖精の愛し子が祈りを捧げることで、妖精達がその願いに呼応して、水の浄化の手助けをしてくれる。

 特に妖精は、泉や湖を好んで住処とする習性があり、妖精女王だった時の私も、髪色が『空を映した水辺の色』だと妖精達に好まれていた。

 けれど。


「……髪色はたとえ妖精女王だった時と同じになったとしても、今の私には力がないから、祈りを捧げても意味はないと思うわ」


 それは、シエルに依頼されてからずっとシエルに伝え続けている言葉。

 シエルの力になりたいという気持ちは変わらないし、他の願いならまだしも、妖精女王だった時とは何もかもが違いすぎる。

 それも、自分でその役目を捨てたのだからなおのこと。


 ポツリと呟いたのと同時に、ひんやりとした森林の風が頬を撫でていく。

 その風が止んだ後、シエルもまた決まって同じ言葉を返した。


「良いのです。私が、エレオノーラ様がお祈りされているお姿を拝見したいのです」


 期待していない。

 捉えようによってはそう聞こえるけれど、その言葉を口にするたびシエルはいつも真剣な表情をしていた。

 だからこそ、今の私には出来ないことだと分かっていても、断ることなど出来ずにここまで来てしまった。

 私は深呼吸をすると、立ち上がって言った。


「……貴方がそう言うのなら、やってみるわ」

「っ、はい」


 私の言葉ひとつで、シエルが目を輝かせる。

 普段だったらシエルが喜んでくれると嬉しいと思う自分がいるけれど、今はそれとは裏腹に、私の心は冴えないままだった。


 今ここで祈りを捧げたとして、やはり何の意味もないと分かった時、シエルはどんな反応をするだろうか。やはり失望するだろうか、などとこの期に及んでそんなことを考えてしまう自分がいることに自嘲してから。

 手を組み目を瞑ると、妖精女王だった頃の自分を思い出すように、感覚を研ぎ澄ませた。

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