97 乗馬と香り
――上職より先に寝てしまった。
ジルは薄暗い客室で身支度を整えながら軽く反省をしていた。
出発した日は朝が早く、慣れない馬車移動に魔物討伐。どうやら自分が思っていたよりも、疲れが溜まっていたらしい。
護衛騎士が床に就いたのを確認してから寝ようと思っていたのに、剣の手入れを終えた後の記憶がジルには無かった。
――それでも早起きはできたから、差し引きゼロにしておこう。
謎の理論で自分を納得させたジルは剣を手に取った。
ラシードを起こさないよう静かに扉を開けて、そっと閉じる。魔石ランプが並んだ絨毯敷きの通路は明るく、まるで昼間のようだ。二階の客室から一階に降り、馬繋場に足を進めた。
屋内の明るさに目が慣れていたからか、外は随分と暗く映った。
「おはよう」
馬はすでに起きており、囲いのなかで退屈そうにしていた。教会領から走り通しだった馬を観察する。背腰に疲れは溜まっていないようだったけれど、ジルは念のため軽くさすってほぐしておいた。
「何をしている」
「わっ!!」
自分しかいないと思っていたところへ唐突に声をかけられたら、誰だって驚くだろう。
それなのに、ジルが振り返った先で見た護衛騎士は眉根を寄せていた。肩越しに大剣が見える。朝の鍛錬に来たのだろうか。
「馬の様子を、みていました」
「そういえば厩舎にいたな」
「はい」
移動に使う馬は二頭しかいない。ジルとラシード、ルーファスの三人は乗馬ができる。セレナは乗れないから、誰かが手綱を握る必要があった。
体重でいえばヒロインが一番軽く、護衛騎士が一番重たい。順当にいけばこの組み合わせになるのだけれど、そこはゲームだ。
誰と一緒に乗るかの選択権はヒロインにある。
◇
ジルは馬繋場の近くで日課の素振りを行った。隣で大剣を振っていたラシードと共に客室へ戻ると、朝食が用意されていた。昨夜のこともあり、ルーファスが宿屋に指示をしていたらしい。
食事を終えた四人は出発のため馬繋場にいる、のだけれど。
「えっと、エディ君と一緒に」
「風の大神官様と、バクリー騎士様が一緒に乗ったら……馬が、可哀想です」
馬に乗る組み合わせはどうするかとなったとき、ヒロインから思わぬ希望が飛び出した。ルーファスは困ったように笑んでおり、ラシードは眉一つ動かない。
――恥ずかしいのかな?
二人乗りとなると、どうしても同乗者と距離が近くなる。だからセレナは、何かあっても命令で御せる従者を選んだのだとジルは推察した。
「休憩ごとに僕と、入れ替わりましょう」
セレナと一緒には乗れないけれど、同乗者が変われば気分も変わるはずだ。
初めは護衛騎士、休憩後は風の大神官と乗ってはどうかとジルは提案した。セレナは考えるように視線を三人に向けたあと、承諾してくれた。
備えられた踏み台を馬のそばに置く。ラシードの前方に座るようジルが促せば、セレナは恐る恐るといった様子で馬に乗った。慣れない座り心地や視界の高さに驚いているのだろう。桃色の瞳を丸くして周囲を見回している。
「失礼します」
セレナの様子が落ち着くのを待って、ジルも馬に乗る。ルーファスは弓を使う。魔物に遭遇したとき、ジルが前にいては邪魔になるため後ろ側を選んだ。
「休憩はとりますけれど、疲れた時は遠慮なく仰ってください」
セレナに声をかけたルーファスは馬を進めた。宿屋を出て表通りを進む。到着した時は夜で気が付かなかったけれど、宿場は多くの人で賑わっていた。
この先には教会領、リシネロ大聖堂しかない。身分関係なく、皆、女神ソルトゥリスに救いを求めているのだ。
宿場に入った時とは異なり検問は無かった。緑萌えた平原に、地均しされた街道が伸びている。
――初乗馬、大丈夫かな?
まだ馬の速度は出ていない。ジルが振り返れば、セレナはひらひらと手を振ってくれた。それに手を振り返して、ジルは姿勢を戻す。
――あれ、この香り。
前方、ルーファスから花のような甘い香りがした。ジルは二人の間に挟まっている矢筒に注意して、めいっぱい首を伸ばす。顔を近づけて確認してみれば予想通り。宿屋に置いてあった石鹸の香りだった。
「どうか、しましたか?」
「同じ香りだな、と思って」
馥郁とした花の香りは好ましく、自分も使用した。だから、ルーファスと香りが一緒なのだとジルは説明した。
「そうですか」
それきり、ルーファスは黙り込んでしまった。従者と同じ匂いなんて、と気分を悪くさせてしまったのだろうか。そんなことで怒るような人ではないと知っているけれど、手綱を握る手に力が入っているようだった。
道中、数回ほど魔物に襲われたけれど、一切苦戦しなかった。休憩や宿泊を挟んだ四日後、聖女一行は風の聖堂に到着した。




