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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
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95 修復と寝言

 馬車の一件で、セレナはラシードに苦手意識を持ってしまったのではないか、と推察した。


 それは双方にとって悲しい結果にしかならない。ヒロインの戦闘熟練度が上がれば、護衛騎士の好感度も上がる。嫌いな人が追いかけてくるのは恐怖でしかなく、好きな人に逃げられるのは悲痛だ。


 そうなる前に、ジルは二人に関係を修復して欲しかった。


「ダメでしょう、か?」


 隣に座る朱殷色の瞳を見上げれば、無表情が動いた。わずかに鈍色の眉根が寄っている。ここで引くわけにはいかない。ジルは黙って護衛騎士を見詰め続けた。


「バクリー様は護衛がありますから、やはり僕が」

「構いません。ただしエディ、お前も手伝え」

「え」

「月に一度手合わせを行う。セレナ神官様にはそこで、実地を積んでいただきます」


 宜しいですかとヒロインに確認をとる護衛騎士の顔は、無表情に戻っていた。


 聖魔法を民に使ってはいけないと、教皇の近侍から言われている。そうなれば回復対象は教会関係者に絞られた。


 ルーファスには弓を、ラシードには魔力の訓練をお願いしておきながら、自分はなにも手伝いません、とは言えない。ジルに否の選択肢は無かった。無いものは選べない。


 ――ああああ、どうしよう。


 気を付けたから顔には出ていないと思うけれど、胸中は大いに動揺していた。


 ジルは他者の聖魔法を受け付けない。セレナが魔法をかけるのに合わせて自己回復を行えば、表面上は誤魔化せるだろう。


 けれど術者には気付かれてしまう。となれば、入れ替わりを疑われるのは時間の問題だ。ジルに残された道は一つだった。


 ――ケガをしないように、もっと鍛えるしかない。


「分かりました。よろしくお願いします」


 ジルが対策を決めたとき、セレナも心を決めたようだった。唇を引き結び、正面のラシードに頷いている。各訓練は風の聖堂に着いてから行うとルーファスから方針が示され、話は一区切りついた。それから言いづらそうに続けて口を開く。


「今晩のお部屋なのですけれど……三部屋しか、空きがありませんでした」

「僕は別の宿。馬繋場や外でも、構いません」

「「それはダメです」だよ」


 従者とはいえ、ジルも護衛役の一人だ。戦力低下を懸念してか、提案はルーファスとセレナに即却下されてしまった。


 ではどこで眠ればいいのだろうか。そう首を傾げてみれば、ルーファスは緑色の瞳を揺らして言葉を詰まらせた。


「騎士宿舎は相部屋です。エディはこちらで引き取ります」


 ヒロインは女性だから従者との同室はありえない。風の大神官が申し出ない以上、残るは護衛騎士しかいなかった。


 淡々と告げたラシードの言葉に、ルーファスは曖昧な表情を浮かべている。迷っているような、安心しているような。けれど反論はでなかったため、部屋割りは確定した。


 ◇


「あの、もし僕が寝言とか言ってても……気にしないでください」


 大剣を壁に立て、騎士服に手をかけていたラシードの手が止まった。客室に入った二人は今、装備品を解いていた。


 華やかだった食堂に比べて、客室は落ち着いた内装となっている。けれども調度品はどれも一等品で、あまり寛げない。やわらかな寝台に長剣を置いたジルは、腰の短剣を枕の下に入れつつ言葉を続けた。


「姉に、指摘されたことがあって……癖みたいなものなので」

「分かった」


 ラシードの簡潔な答えには、何の感情もみえなかった。そのことにジルは安心した。もしかしたら寝言は言わないかもしれない。あるいは気付かれない可能性もあった。だから言わなくても良かったのだけれど。


 ――夜中にびっくりさせるのも、申し訳ないし。


 この宿屋は教会領の宿泊棟と同じように、客室内に浴室が設けられていた。先に使うだろうとジルがラシードに問えば、後でいいと返事があった。


 それならと、ジルは遠慮なく先に湯浴みした。サッパリほかほか気分で浴室から出ると、ラシードは備え付けの椅子に座り大剣の手入れをしていた。


「大きいと……時間がかかりそうです、ね」


 大剣の手入れをするウォーガンを、ジルは見たことがなかった。長剣と何か違ったりするのだろうか。興味の湧いたジルは、ラシードの手元を覗き込む。研ぎ作業は終わっていたようで、手には羊毛が握られていた。


 ――基本は同じなんだ。


 違うのは刃の長さくらいだった。ジルの扱う長剣は根元付近に刃が無い。けれどラシードの大剣は、根元から三分の二ほど刃が無かった。つまり刃が付いているのは、先端三分の一だけだ。


「顔を近づけるな。水滴が落ちる」

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