94 忠告と魔力制御
振り返れば、申し訳ないと眉尻を下げた顔があった。ルーファスはジルを庇うように青年の前へと進み出る。
「この者の主人は僕です。ご用件があればお伺い致しましょう」
風の大神官の毅然とした態度は、宿泊棟でジルを助けてくれた姿と同じだった。
いや、違う。あれから四年が経っている。ふわふわと柔らかな飴色の髪は変わっていないけれど、もう幼い雰囲気は残っていなかった。
神官の法衣をまとったルーファスの登場に、青年はたじろいだ。けれどもそれは一瞬で、今はもう気を取り直している。浅縹色の裾を見て、自分よりも格下だと判断したのだろう。居丈高に口を開く。
「身の程を知れと忠告していただけだよ。彼はここにいるべき人間ではないだろう?」
青年の意見にジルも同感だ。
やはり従者が主人と食事を共にするのはおかしい。外で控えていると伝えるため、ジルは背後から法衣の袖を掴んだ。その行動を、ルーファスは怯えていると勘違いしたのだろうか。
「ごもっともです。僕の傍から離したのは間違いでした」
「なっ」
「お騒がせ致しました。行きましょうか」
真逆の意見を述べたルーファスは他の利用客に一礼すると、ジルの手を引いて歩き出した。振り返れば、青年は頭に血を昇らせてわなないている。追いかけようと大股に踏み出し、そこで動きを止めた。
「分を弁えなさい。あの方は風の大神官様だ」
近くの円卓に座っていた初老の男性が、そう言っているのが聞こえた。
◇
「何かあったんですか?」
席に着いていたセレナは、二人を見て小首を傾げている。結局ジルは、使用人が言っていた奥の間という部屋に入った。ルーファスに手を繋がれたまま。
「広間を通りづらそうにしていらっしゃったので」
「分かります。こんな場所はじめてで、私も気後れしちゃいました」
「ここには僕達しかいませんから、どうぞお寛ぎください」
ジルはセレナの斜め向かい側に案内された。正面にはルーファスが着席している。ジルの隣、扉に一番近い席にはラシードが座った。
「僕はここで、いいのでしょうか」
「警護を兼ねている」
この宿屋には警備兵がいた。だから護衛はお休みなのかと思っていたけれど、違ったようだ。侵入者があれば扉から現れる、ということだろう。
ジルは広間に劣らぬ華やかな個室を改めて確認する。すると、入口とは異なるもう一つの扉が目に入った。
「あちらの通路は改修中だそうです」
ジルの視線に気付いたルーファスが答えてくれた。お忍びや訳ありの貴人は本来、もう一つの扉から入るそうだ。知っていたら、と飴色の眉尻を下げていた。
そうこう話していると、給仕係が料理を運んできた。どれもスプーンひとつで事足りる、食べやすい物ばかりだった。市井にいたヒロインを配慮しての品書きだろう。
セレナが不思議そうに口を開いたのは、食後の紅茶を飲んでいるときだった。
「どうして魔物に襲われたんでしょうか。ここよりも遠い私の町でも見なかったのに」
「……御力が、弱まっているのでしょう」
「そうなんですね」
ルーファスの歯切れが悪い。セレナはその答えに納得したのか、神妙な面持ちで頷いていた。今代聖女の浄化能力が衰えているのは本当だ。そして理由は、もう一つあった。
――新しい聖女様だってこと、魔物は知ってるんだよね。
魔物の原動力は魔素だ。それを浄化する聖女は邪魔な存在でしかない。だから排除しようと、魔物はセレナを狙ってくる。
けれど、わざわざそれを教えて怯えさせる必要はない。風の大神官はそう考えたのだろう。だからジルも口を噤んでいた。代わりに考えていた訓練を提案する。
「セレナ神官様、魔力制御の特訓を……してみませんか?」
「魔力制御?」
馬車の中で魔法を使った時に手が弾かれたのは、過剰に魔力を注いでいたからだとジルは説明した。
「詳しいですね。エディ君も魔法を?」
「僕は……使えません。姉からの受け売りです」
「そうですか。では、僕がお教えしましょう」
「魔力制御は、バクリー騎士様のほうが適任だと……思います」
ルーファスはパチパチと目を瞬かせ、隣のラシードからは何か刺々しい気配を感じた。けれどジルは構わず続ける。
「それに、風の大神官様は弓の稽古があるので……大変ではないかと」
ルーファスも強化魔法を使う。けれど得意なのは矢の軌道を変える操作系や、風での攻撃魔法だ。
対して騎士のラシードは身体を強化する魔法が得意だ。最小限の魔力で強化し、効果が消えたら掛け直す。それを常用しているラシードのほうが、魔力の制御に長けているだろうとジルは判断した。
――接する機会が多いほど為人も知れて、怖くなくなるはず。自信もついて一石二鳥!




