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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
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93 宿場と食堂

 馬車は予定から一刻を過ぎて、リングーシー領一つ目の宿場に到着した。陽はすっかり沈み、揺れる窓の外では魔石ランプの外灯がともっている。


 ここは教会領から一番近いということもあり、上宿から安宿まで揃っていた。


「ここの礼拝堂に宿泊施設はありません。ですから本日は、こちらに一泊します」


 そう説明したルーファスの後ろには、石造りの重厚な屋舎が鎮座していた。白い石柱が正面玄関まで伸び、壁のない通路の屋根を支えている。等間隔につるされた魔石ランプが眩い。


 ――こんなに立派なところに泊まってたんだ。


 馬車から降りたジルは驚きに小さく口を開け、宿屋を眺めていた。


 ゲームでも宿屋に泊まっていたけれど、それは体力回復や攻略対象との交流に焦点が当てられていた。そのため知らないことも多い。


 ◇


 宿場に入る時も感心した出来事があった。


 夜になって到着したため、宿場の門は閉じられていたのだ。魔物が出ないため簡易な鉄柵が建っているだけだったけれど、よじ登ったり破壊するわけにもいかない。


 どうするのだろうとジルが心配していたところ、ラシードが門番を連れてきた。その時点で衛兵は警戒を解いていたけれど、形式上必要なのだろう。ルーファスが両の掌をみせて無事開門となった。


 大神官と聖女にしか現れない両手の文様が、なによりの身分証明という訳だ。


 ◇


 リシネロ大聖堂や宿泊棟も立派な建造物だけれど、華美ではない。静謐や荘厳といった雰囲気だ。


 教会領で暮らしていたジルでも物珍しいのだから、セレナは更に驚いたことだろう。隣を窺えば、桃色の瞳を大きく開いて見上げていた。


「バクリー様、馬はこちらの方にお預けください。馬繋場へ連れて行きます」

「僕も行きます。場所を、確認しておきたいので」


 出迎えた使用人と慣れた様子で話していたルーファスが、こちらを振り返った。


 馬車はすでに所属する組合に帰っている。ここから先は速度が出せる馬だけで移動するのだ。教会の手配により、馬繋場に新しい馬がいるとのことだった。


「確認後は食堂にお越しください。案内、よろしくお願いしますね」


 前半はジルに、後半は使用人に向け、ルーファスは困ったように微笑んだ。護衛騎士から手綱を預かったジルは、そこで三人と別れた。


 馬繋場は宿屋の左面にあった。上流階級向けの宿ということもあり、他にも何頭かの馬が繋がれている。


 件の馬は一番端にいた。ジルは隣の空いた囲いに連れていた馬を入れ労った。それから新しい仲間となる馬に挨拶をする。下あごを撫でてあげれば、気持ち良さそうにつぶらな目を細めた。


 ――ん?


「食堂に案内します」

「あ、はい。……お願いします」


 人か動物か判然としなかったけれど、ジルは馬繋場の陰に気配を感じた。


 何だろうと足を踏み出しかけたところで、使用人に声をかけられてしまった。勘違いだろうか。返事をした後には、一片の気も感じなかった。


 使用人は裏手の扉から入り、ジルを食堂まで案内した。


 磨き上げられた廊下を通り、円卓がゆったりと配置された広間に入る。ここが食堂だろう。花々が飾られた空間は華やかで、話し声や給仕係の足音は絨毯の床に吸い込まれていた。


 ヒロイン達はどこにいるのだろうと、ジルは周囲を窺う。すると、たまたま目の合った青年に顔を顰められてしまった。ジルの恰好から高位の者ではないと判断されたに違いない。確かにここは、従者が気軽に立ち入れる場所ではなかった。


 ――村にいたとき以来、かな。


 教会領では聖の神官見習いとして遇されていた。だから不出来とはいえ、ジルが軽んじられることはなかった。


 青年と事を構える気は一切ない。ジルは目礼して使用人の後を追った。けれど、いくらも進まないうちに足を止めることになってしまった。


「なぜ君のような者がここにいる」


 どこかの貴族の令息だろうか。近づいて来た青年は上等な服を着ている。同じ円卓についていた女性も青年と同意見のようで、澄ました顔で座っていた。ジルを案内していた使用人が青年に恭しく頭を下げる。


「申し訳ございません。奥の間へお連れするには、こちらを通るしかなく」

「奥の間だと?」


 使用人から説明を受けた青年は、怪訝な顔でジルを見下ろしてきた。場を速やかに収めるため、ここは自分も頭を下げた方が良さそうだ。ジルは視線を落として腰を曲げ、られなかった。


 肩に手を置かれている。


「これは僕の落ち度です」

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