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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
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92 回復と暴発

 聖魔法でケガは回復できるけれど、失った生命は治せない。


「リッサの町に行って……そのまま風の神殿へ向かうのでは、ダメでしょうか」


 たとえ魔物のことがなくても、儀式後は年に一度、朔ノ月にしか聖女は外出できない。この機会を逃せばセレナはもう、故郷の花は観られないのだ。


 そのことはルーファスも分かっているはずだ。ジルが真剣な面持ちで見詰めれば、緑色の瞳はついと横に逸れた。


「分かりました。そのようにしましょう」

「本当ですか! ありがとうエディ君、ルーファス様」


 リンゴの花が観られること、なによりも家族に逢えることが嬉しいのだろう。セレナは桃色の瞳を輝かせて、花のような笑顔を咲かせた。


「ありがとうございます。風の大神官様」


 ――ヒロインの家族や、町の人を助けることができる。


 安堵と、ルーファスの変わらない優しさにジルは目を細める。直後、馬車の揺れと共に何かぶつかったような音がした。なんだろうかと音の出所へ視線を向ければ、ルーファスが馬車の内装に肘をぶつけていた。


「あの、」

「大丈夫です。先ほどの揺れで、少し当たってしまっただけですので」


 ルーファスは若葉色の瞳を揺らして、顔を赤くしていた。ぶつけた肘を反対の手でぐっと抑えていることから、強打したのかもしれない。


 患部を確認した方がよいのでは、とジルが覗き込もうと身を乗り出せば、ルーファスは身を引いてしまった。とはいえ、馬車の中だから下がれる距離などたかが知れている。ジルは同じ姿勢のままルーファスを見上げた。


「ケガを隠しても……益はありませんよ?」

「いえ、本当に大したことは」

「私に回復させてください!」

「「え」」

「簡単に使っちゃいけないのは、分かってるんです。でも、まだ上手く魔法が使えなくて」


 練習させて欲しい、と恥ずかしそうにお願いするセレナはとても可愛らしかった。


 これはヒロインの戦闘熟練度を上げるいい機会だ。そう思ったジルは、セレナの提案に賛同した。二対一で分が悪いとみたのか、それともやはりヒロインのお願いには弱いのか。


「それでは、お願いいたします」


 観念した様子で、風の大神官は法衣の袖をまくってくれた。肘は赤くなっている程度で出血はない。本人の申告通り、大きなケガではないようだ。


 座面の端に軽く腰掛けたセレナが、患部に両手をかざした。掌から淡い光が生まれ、ルーファスの肘を包み込むように大きくなり。


 ――まずい。


「きゃっ!!」

「セレナ神官!」


 向かい側の席にジルが身を滑らせると、セレナの体がぶつかってきた。


 ケガに対して消費する魔力量が多く、行き場のない力がヒロインの手を弾き飛ばしたのだ。魔力の講義で同じ現象を何度も見ていたジルは、すぐに反応することができた。


 セレナの背を抱きとめながら、ほっと息をつく。聖女であっても自身のケガは癒せない。座席に体を打ち付けていたら大変だった。


「大丈夫ですか?」

「失礼致します」


 緩衝材になったジルがセレナに声をかける。同時に、馬車の扉が開いた。


 聖女の悲鳴が聞こえたなら、馬車を止めるのは当然だ。状況確認にきた護衛騎士の視線が、一点で止まった。少々不自然な体勢とはいえ、背後からセレナに腕を回しているジルは不埒者として映ったに違いない。朱殷色の瞳がすっと細められた。


「何をしている」


 聖女様の魔法が暴発したので、と正直に答えて良いものだろうか。こういう時は主人を立てるものなのでは。ジルが言葉を探していると、慌ててセレナが身を起こした。


「エディ君は私を庇ってくれたんです! 私が魔法に失敗してしまって……」

「もとを正せばケガをした僕が悪いんです。ご心配をお掛けいたしました」


 護衛騎士に向かって風の大神官は頭を下げ、聖女は肩を落としていた。もう、誰が一番上の立場なのか分からない状態だ。姿勢を正したジルはそんな二人に倣って頭を下げた。


「御身がご無事で何よりです。しかし移動中の使用はお控え下さい。行程に支障が出ます」

「……ごめんなさい」


 感情を窺わせない低音な声が、ラシードの苛立ちを一層引き立てていた。萎縮したヒロインは水蜜の瞳を下げ、すっかりしょげてしまっている。これは好感度うんぬん以前の問題だ。


 ――まずは魔力制御の訓練をして、自信を持ってもらおう。

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