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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
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90 休息と昼食

 街道を逸れ、馬車はなだらかな斜面を下った。草地から砂地へ、その先には川が広がっていた。澄んだ水は太陽の光を受け、ゆったりと流れている。


 馬車の引き具を外した二頭の馬は川辺で水を飲み、ルーファスとセレナは草地で休息をとっていた。


「バクリー騎士様、馬に水を与えてきます」


 ラシードは護衛対象から離れるわけにはいかない。従者のジルは代わりに水を飲ませてくると手綱を預かった。川辺まで馬を引く。喉が渇いていたのだろう、ジルが促さずとも馬は頭を下げて水を飲み始めた。


「おいしい?」


 ジルはその横にしゃがみ、熱心に水を飲む馬に首を傾げた。厩舎で仕事をしていた時は、なかなか水を飲んでくれない子がいて困ったことを思い出し、目元が緩んだ。しばらくその様子を眺めたあと、ジルは手袋を外した。


 ――全然、怖くなかった。


 初めての実戦にも関わらず、ジルは躊躇いなく剣を振り下ろすことができた。書庫での情報収集や、鍛練のお陰だと思いたい。けれど、ゲームの二作目で敵となった自分の姿が脳裏をかすめる。


 ――でも、そんな未来はこない。大丈夫!


 不安が起こす波紋をせき止めるように水を掬いとり顔にかけた。春とはいえ川の水は冷たい。頭がシャッキリしたところで戻ろうとジルは顔を上げた。そこで初めて、ルーファスが立っていたことに気が付いた。


「どうか、されましたか……?」

「い、いえ。昼食の用意が整いましたのでお呼びに」


 ジルが顔を洗い出したからだろうか。ルーファスはパチパチと目を瞬かせていた。


 戻りすがら、ラシードは護衛のため時間をずらして摂るのだと教えてくれた。馭者は自前の昼食があり、また、馬の世話もあるため別所で食べているらしい。


 護衛騎士に馬を返したジルは昼食の場についた。広げたシートの上には軽食が並んでいる。パンにベーコンや玉子、野菜を挟んだもの。焼き菓子や果物もあった。


 聖女に英気を養ってもらおうという教会の配慮だろう。宿場までは一日で着けるため、日持ちしない食料も馬車に積んでいたのだ。


 つまりこれはヒロインのために用意された物であり、お供が気軽に口にして良いものではない。末席についたジルは、セレナが食べ始めるまで待つことにした。のだけれど。


「ご気分が優れませんか?」

「……すみません」


 ルーファスの問いに答えたセレナは、一向に食べる気配が無かった。白皙の肌を更に白くして俯いている。


 空腹は体力だけでなく気力も削いでしまう。旅は始まったばかりだ。少しでも食べて貰わなければ。ジルは、小さな果物が入った器に手を伸ばす。


「セレナ神官様、こちらを向いていただいても、宜しいでしょうか?」

「!」

「甘くて、酸味があって……食べやすいですよ」


 ヒロインのそばに寄っていたジルは、素直に振り向いてくれた唇へイチゴを詰めた。


 警戒していなかったからだろう。赤い実は綺麗に口の中に入った。食べ物が放り込まれた反射か、セレナは目を丸くしながらも口を動かし、飲み込んでくれた。


「もう一つ、いかがでしょうか?」

「だ、大丈夫です……!」


 セレナの口元へイチゴを寄せると、身を引いて激しく首を振られてしまった。それは明確な拒否反応だった。頭を振り過ぎてしまったのだろう、顔は赤くなっている。


「食べて、少しでも元気になっていただきたくて……申し訳ございませんでした」


 ジルは無理やり食べさせたことに頭を下げた。セレナが食べてくれなければ、ここにいる全員が食事を摂れない。後悔はないけれど、不評を買ったかもしれない。最悪、従者を解雇されるのでは、と今更ながら冷や汗をかいていると、ジルの視界に白皙の手が映った。


「美味しかったので、自分で食べます」


 下げていた頭を上げると、イチゴを手にしたセレナが微笑んでいた。花をとかし込んだような淡紅の金髪に、水蜜をおもわせる桃色の瞳。そこに赤いイチゴが並んだなら、砂糖菓子もかくやの愛らしさだった。


 ――かわいい。妹がいたらこんな感じかなぁ。


 セレナの寛大な処置に胸を撫で下ろしたジルは、ほっと息をついた。ヒロインが食事を始めたことで昼食は再開された。末席に戻ったジルは無表情を維持しながら、内心ほくほく顔で焼き菓子へと手を伸ばす。


 ――でも、従者と主人が同じ席についても良かったのかな。


 二人を見れば食事はなごやかに進んでいた。ここは川原で、格式ばった食堂ではない。それに上職である風の大神官が勧めてくれたのだから、いいのだろう。ジルはそう結論付け、二つ目の焼き菓子を口に運んだ。

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