89 熟練度と耐性
ゲームの筋書きはこうだ。
街道で狼の魔物に襲われた聖女一行は、ラシードとルーファスの活躍により難を逃れる。
しかし、魔物に不意を突かれたルーファスは苦手な接近戦を行っており、ケガを負ってしまった。それを見たセレナは自分を護るために、と胸を痛め聖魔法を施す。
そして自分も戦闘で力になれないかと、ルーファスに弓の教えを乞うのだ。
――ケガが無いのは、良いことなのだけれど……どうしよう。
これではヒロインの戦闘熟練度が上がらない。熟練度を上げるためには聖魔法を使うか、弓の訓練をするくらいしか方法を知らなかった。
ジルが立ち尽くしていると、一頭の馬が駆けてきた。馬上の護衛騎士は周囲を確認している。魔物の気配を探っているのだろう。安全確認を終えたラシードは、馬の向きを変えた。
「乗れ」
「ありがとうございます」
伸ばされた手を掴み、ジルは前に座る。小姓をしている時に馬の乗り方を覚えたため、手間取ることはなかった。停まっていた馬車に近づくと、セレナとルーファスが迎えてくれた。ジルは馬から降りて二人の前に立つ。
「エディ君、ケガはない……?」
「はい」
「良かった。貴方に何かあれば、僕はジル嬢に顔向けできません」
どうして、ルーファスが申し訳なく思うのか分からない。ケガを負ったのなら原因は魔物で、要因は力不足の自分だ。
知らない名前が出たからだろう。不安な面持ちで様子を窺っていたヒロインは、淡紅の金髪を揺らして首を傾げていた。
「風の大神官様、続きは馬車の中で」
「失礼いたしました。宿場まで距離があります。進みましょう」
空はすっかり青くなり、太陽は高く昇っていた。いつまでも街道を塞いでいては、往来の邪魔になる。低く平坦な声音でラシードが先を促してきた。
ジルは西門と同じようにヒロインへ手を出しかけて、止めた。
「汚れているので……風の大神官様、お願いします」
ジルがエスコートを頼むと、ルーファスはいつもの困ったような笑みを浮かべ、引き受けてくれた。ヒロインが馬車に乗ったあと、再びルーファスに同席を勧められた。戦闘で疲れているだろうからと気遣いを受けたけれど、ジルは今回も辞退した。
馭者台に腰を落ち着ければ、馬車はゆっくりと動き出した。
「見かけによらず強いんだな。助かったよ」
「僕は、お手伝いしただけです。お礼でしたら……バクリー騎士様や、風の大神官様へ」
ラシードが布陣していた街道には、砂山ができていた。十数体は魔物がいたはずだ。
ジルが水を向けたその護衛騎士は、先ほどまで戦っていたことなど微塵も感じさせない涼しい顔で、馬車の警護に就いている。無感動な朱殷色の瞳は、常に周囲を警戒しているようだった。
「いやいや、声をかけてくれただろう。あれのお陰でオレは馬車が引けてるんだ」
「馬が逃げ出さなかったのは、おじさんの腕がいいからです」
ジルは指示を出しただけで、実際に行動したのは馭者だ。
馬は騎士を乗せて戦場を勇猛に駆け巡るけれど、本来は臆病な生き物だ。戦いに慣らされていないだろうこの馬達は、奔逸する可能性があった。それを留まらせることができたのは、馭者が宥め落ち着かせていたからに他ならない。
「存外強情だな」
「?」
「まあいい。ありがとな」
ジルは隣に座った馭者から、肩をぱんと叩かれた。弾みで体が揺れたけれど痛くはなかった。馭者との会話が一区切りついたところで、ラシードが馬を寄せてきた。
「じきに川原が見える。そこで休息をとると伝えろ」
「はい」
ジルは二人に伝えるため、背後にある連絡窓を振り返った。慣れない移動と、先ほどの戦闘で心労が重なったのだろう。ガラス窓の奥に見えるセレナの顔色が良くない。
――教会領から離れるほど、魔物が強くなるのだけれど。
リシネロ大聖堂にある転移陣を使えば、風の聖堂には一瞬で移動することができる。
まずは聖堂に転移し、そこから神殿を目指す経路もあった。にも関わらずこうして遠回りをしているのは、ヒロインに魔物や戦いの耐性をつけて貰うためだ。
「セレナ神官様、この先の川原で、休憩をするそうです」
連絡窓を開けてジルは伝言を伝えた。
――やっぱりヒロインには、弓を覚えて貰おう。




