88 馬車と魔物
煉瓦で舗装された道が、遠く伸びている。石のすき間、道の端から草が萌え出で、境をあいまいにしていた。
教会領を出発した聖女一行は、ひとつ目の宿場へと続く街道を進んでいる。馬車の中では風の大神官がヒロインに、これからの流れを説明しているはずだ。
ジルは馭者台に座り、夢でみた情報を思い出す。
現在、生界の魔素を浄化しているのはヒロインではない。当代の聖女だ。
次代の聖女へと移行するためには、各領地にある神殿を巡る必要があった。四つの神殿で聖女が力を示すことで情報が上書きされ、世代交代となる。
四つある神殿のうち、なぜリングーシー領から始めているのかと言えば、今の時季にしか扉は開かれていないからだ。
リングーシー領には風の神殿があり、春の季節である三ノ月、弦ノ月、五ノ月のうち、五ノ月末日のみ訪れることができる。それ以外の季節では、神殿を護るためか暴風が吹き荒れており近づけないのだ。
他の神殿も同様で、ガットア領は夏、タルブデレク領は秋、ローナンシェ領は冬に訪れることとなる。各領地を順に巡るため、その気があれば四人の大神官と親密になるのは容易だった。
注意が必要なのは護衛騎士だ。儀式の道中、どんなに好感度をあげる行動をとっていたとしても、戦闘熟練度が低ければ親密な関係にはなれない。ゲームでは熟練度がレベルという数値で見えていたため、進度が把握できたのだけれど。
――レベルは三十が目安だったかな。
ゲーム開始時、ヒロインのレベルは一だ。護衛騎士は三十。風の大神官は十だった。エディは従者、わき役で戦闘には参加していないためレベル表記はない。
そして夢でみたゲームは攻略対象との恋愛が主たる内容で、戦闘は物語に緩急をつける為のものでしかなかった。だからヒロインは無理にレベルを上げなくても、儀式を完遂できる。護衛騎士と大神官一人がいれば、すべての戦闘で勝てるという難易度だ。
夢でみた女性はそれを詰まらないと感じたようで、戦闘メンバーから護衛騎士を外し、ヒロインと大神官の二人出撃で戦っていた。
ヒロインは基本的に聖魔法での回復役だ。扱える武器は弓だったけれど、攻撃力は高くない。手番で何もすることがない時に矢を射る、といった具合だった。
「注意を怠るな」
前方から聞き覚えのある言葉が流れてきた。その声でジルは状況を理解する。ラシードは馬を早駆けさせ馬車と距離をとっていた。
「おじさん、馬車を止めてください。ゆっくりで、大丈夫です」
ジルが馭者に声をかけたと同時に前方から狼の群れが現れた。馬から降り迎撃の構えをみせていたラシードは、一振りで三体の狼を薙ぎ払った。斬られた狼は赤い液体ではなく、黒い靄を噴き出す。
「ま、まま、魔物だ……!!」
「魔物はすべて倒します。だからおじさんは、馬を宥めてください」
教会領と宿場の往復しかしていない馬車だ。魔物は見慣れていないのだろう。
馭者は手綱を引き、慌てて速度を落としはじめた。この揺れでルーファスとセレナも異変に気が付いたはずだ。
ジルは馭者を落ち着かせるため、手綱を掴む手に自分の手を添える。一段声を低めて、ゆっくりと話した。馬がいなくなれば逃げる手段もなくなると伝えれば、馭者は何度も頷いてくれた。
「お、おい坊主」
「僕は、後ろを受け持ちます」
前方は護衛騎士が簡単に殲滅してくれるだろう。馬車には風の大神官が乗っている。
ジルは馭者台に立つと長剣を手に、走る馬車から飛び降りた。
放物線の先にいた狼の魔物を突き刺し着地の衝撃を緩和させる。剣を引き抜けばやはり黒い靄が噴出した。
魔物の体には血液ではなく、魔素が流れている。
溢れ出た黒い靄は空気中に溶け、次第に見えなくなった。ジルは遺骸を一瞥して次の魔物へと剣を向ける。狼の魔物は街道の横に広がった林から出現していた。前方に比べればこちらの数は少ない。手間取ることもなく魔物は殲滅できた。
ジルが倒した魔物は六体。黒い靄は消えてなくなったけれど、遺骸はすぐには消えない。水分を失ったように干乾びたあと、砂となって崩れ落ちた。
――ゲームの通りならセレナ神官様は。
馬車の状況を確認するため、ジルは前方へと目を遣った。そして頭を抱えた。弓を手にしたルーファスが、無傷で立っている。
――おかしい。強すぎる。
ジルが視線を向けた先では、風の大神官が狼二体を同時撃破していた。弓から放たれた二本の矢は、駆ける狼を正確に貫いている。別方向から迫っていた残る一体も今、事切れた。
――仲良くなる第一歩が、消えた!




