84 ヒロインと攻略対象
予定時刻の十分前に着いたジルは、百合の間近くで待機していた。
「もう来ていたのか。ちょうどいい、中に入りなさい」
ジルに声をかけたのは、六日前に書庫で遇った教皇の近侍だった。怜悧な顔をした近侍は扉を開けて百合の間に入る。その後ろをついて行く女性を見て、ジルは目を瞠った。
――ヒロインだ!!
口を引き結び心の中で叫んだ。もう少しで声が飛び出しそうだった。
淡紅の花びらを思わせるやわらかな金髪。白皙の肌に桃色の瞳はお菓子のように愛らしく、今にも甘く香ってきそうだ。
教会領に入って着替えたのだろう。神官を表す浅縹色の法衣をまとっている。すれ違いざま、ヒロインは会釈して百合の間に入って行った。
百合の間の壁は二色で構成されている。床側三分の一は黄色、残りは白百合色だ。深碧色のソファは上品な色合いで、明るくやわらかな雰囲気に仕上がっていた。
中に入れと言われたものの、ジルの立場は一番下だ。従者らしく扉付近で待機していると、近くへ来るようにと近侍から指示を受けた。
「本来、聖女様のお世話は侍女が致します」
ジルはソファに座っている近侍の後ろに立ち説明を聴いていた。
曰く、身分を隠して旅をするため多くの伴はつけられない。護衛騎士は警護を主とするため身辺の世話はできない。そこで、男ではあるけれど未成年で、多少剣を扱えるエディが従者として同行する運びとなった、ということだった。
「万が一を排除するため、聖女様にはこの者と従属の契約を結んでいただきます」
「従属?」
「ご安心ください。聖女様に不都合は一切ございません」
硬い表情で近侍の話を聴いていたヒロインは、終始不安そうだった。桃色の瞳がジルに向く。問題ないと微笑みたかったけれど、頷いておくだけに止めた。
従属の契約は遺失魔法に属する。その技術は文献にのみ記されており、正確に扱える者は殆どいない。
その稀少な魔法陣が描かれた羊皮紙は今、ジルの首元にあった。その上から聖女の魔力を注ぎ込むことで、従属の契約は完了した。
◇
跪いたジルがヒロインに挨拶を終えたところで、新たな入室者があった。
「風の大神官、ルーファス・リンデン。ただいま到着いたしました」
「第五神殿騎士団所属、ラシード・バクリー。命により参内致しました」
開始時刻の十八時ぴったりだ。
ルーファスは本当に到着したばかりなのだろう。旅の外套を羽織ったままだった。対してラシードは黒地に赤の差し色が入った騎士服を折り目正しく身に着けており、髪は綺麗に整えられていた。
――やっぱり初めはこの二人なんだ。
ヒロインが初めて攻略対象に逢う場面だ。
聖女の儀式はリングーシー領から始まるため、風の大神官が呼ばれたのだろう。まずは外套を脱いだルーファスが歩み出て聖女に挨拶をする。のだけれど。
――まあ、知ってる顔がいたら驚くよね。
弟がいると話したけれど、エディとルーファスは初対面だ。百合の間に入ってからルーファスは動こうとせず、ただ若葉色の瞳をパチパチと瞬かせてジルを見ていた。
「この者は聖女様の従者となったエディ・ハワードです。儀式に随行します」
「よろしく、お願いします」
近侍の紹介を受けてジルは二人に一礼した。そこでルーファスは合点がいったのだろう。いつもの穏かな笑みを浮かべていた。ラシードは相変わらずの無感動な瞳で静観している。
ゆっくりと歩み出たルーファスは、ヒロインの前に跪いた。
「風の大神官として、魔素浄化をお支えいたします」
――ん?
ルーファスの声は誠意に満ちていた。けれどジルは違和感を覚える。
ヒロインの前からルーファスが下がったのを合図に、ラシードが歩み出た。両の踵を合わせ、右手の甲を額に当て騎士の敬礼をする。
「如何なる脅威からも、聖女様をお護り致します」
ジルにとっては緊張をもたらす声だけれど、ラシードの低く落ち着いた声音はヒロインに安心感を与えたのだろう。白過ぎた顔色に、少し生気が戻ってきたようだった。
胸の前で両手を握り締め挨拶を受けていたヒロインは口を開き、また閉じる。聖女を急かす者は当然いない。様子を見守っていると、揺れていた瞳の焦点がぴたりと定まった。
「セレナ・クラメルです! ふ、不束者ですが……皆さんよろしくお願いします!」
花びらのような淡紅の金髪がぱさりと落ちる。深くお辞儀したヒロインの肩は、小さく震えていた。
――お助け役として、私も頑張ろう!




