81 魔力と魔法
「いやです!!」
拒否感を露わにジルは立ち上がる。ウォーガンはジルを見据えたまま動かない。下げた両手をぐっと握り込み、ジルは震えそうになる声を抑え込む。
「やっと、自分以外の人を……回復できるようになったんです」
「ジル」
「それにダーフィ猊下、教会も私が他者回復できると把握しています」
「なら要請を受けた時だけにしろ」
諦めていた他者回復が使えるのだと歓喜した。自己回復しかできない自分に憤っていた。誰かの役に立てるのが楽しみだった。でもなにより義父に、家族に必要とされないことがジルは哀しかった。
「……受け入れるって、言ったのに」
二年前、ウォーガンは拒否しないと言ってくれた。でもそれは夢に関することで、今その言葉を出すのは卑怯だとジルも分かっている。
それでも、他者回復をするなというウォーガンの言葉には頷きたくなかった。これ以上何かを言われる前にジルは身を翻す。執務室の扉に手をかけ、られなかった。
「気付いてるんだろう」
「っ」
僅かな差でウォーガンに取っ手を抑えられてしまった。ジルの正面には扉、背面にはウォーガンが立っている。逃げの手は無くなってしまった。ジルを縫い止めるように、低く硬い声が頭上から降ってくる。
「魔力と魔法は等価交換だ」
「知ってます」
今日使った聖魔法を思い出し、ジルは口を尖らせた。教皇を治療したときは驚嘆が勝っていて、気が付かなかった。でも義父の時には、はっきりと感じた。
――魔力の消費量が多かった。
例えば聖神官が魔力を五つ消費して治療する場合、自己回復と他者回復を同時に行うジルは、その二倍の魔力を必要とした。保有する魔力量が少なければすぐに枯渇し、術者の生命を脅かす。ウォーガンはそれを心配したのだろう。
――でも、まだまだ一杯あるのに。
魔力量はゲームのように数値で見えるわけではない。それでも生命に関わることだからか、自分の危険水域はなんとなく分かる。
けれど他者回復なら、魔力の許す限り使ってもいいとジルは思っていた。
成人した日からずっと身に着けているペンダントを、法衣の上からぎゅっと握る。扉に向けていた体を反転させ、ジルは義父を見上げた。
「ウォーガン様も、魔石をくれました」
魔石への魔法封入には多くの魔力を必要とする。その作業中に魔力切れが起きたなら、命を落とす危険があった。それを行ったウォーガンと自分は何が違うのかとジルは主張した。
「私も手を尽くしたいんです。後悔は、したくないから」
膠着した上下の視線。それは焦茶色の瞳が揺れたことで解消された。扉にあった大きな手が離れる。ウォーガンはこめかみに手を当て、渋い顔をしていた。
「俺はその一回しかしていない」
「はい」
「……魔力切れを起こす前に止めろ」
「はい!」
つまり魔力が十分あるなら、何度でも他者回復を行っていい。ジルはそう解釈し、喜色満面で肯った。そんな思惑を知って知らでかウォーガンは忠言を続けた。
「従者の時は当然、魔法は使えないぞ」
「ぅ…………回復は、聖女様におまかせします」
「忘れるな」
「はい」
他者回復に浮かれ過ぎていたようだ。本気で忘れていたのかと、呆れたウォーガンの視線が痛い。
魔法の使えないエディが聖魔法を使えば、立ち所にジルだと発覚してしまう。ヒロインである聖女の回復力は絶大だ。実際、ジルの出る幕はないだろう。
それからジルはウォーガンに呼吸、気配の制御がまだまだ甘いと指摘された。どうしても心が波立つ時は、表情だけでも無を意識しろと助言を受けた。
一人の自室に帰りたくなかったとはいえ、随分と長居をしてしまった。夜も更け、そろそろ寄宿舎に帰ろうとジルはウォーガンに辞去の挨拶をする。
「エディには会わなくていいのか?」
「顔を見ると、……淋しくなってしまうので」
「そうか」
下がりそうになる眉をぐっと堪えてジルは微笑んだ。先ほど制御が甘いと言われたばかりだけれど、義父は何も言わなかった。
北方騎士棟を出ると、雨はすっかり止んでいた。雲のすき間から潤んだ月が見える。
◇
五日後にヒロイン、即ち新しい聖女が教会領入りする。




