77 ジル<17歳>
視点:ジル◇エディ
朔ノ月一日、今年も女神の降臨祭は恙無く終わった。聖女は健在で、魔物は増加の一途をたどっている。
ジルは十七回目の誕生日を迎えた。
二回目の神官試験を一週間後に控えた日、エディ宛に一通の書簡が届いた。そこには三ノ月一日付けで、デリック・ヘイヴン第五部隊副隊長の専属従卒に任命すると記されていた。
「厩舎、新しい人みつかったんだね」
「うん」
「嬉しくないの?」
一通目の辞令書が届いてから、一年以上が経っていた。ジルは浮かない顔をした弟を覗き込む。紙片に落ちていた紫の瞳がジルに向いた。
「どうして、ウォーガン様との稽古が増えたの?」
「前にも言ったでしょ。大神官総会の件で、心配になったんだって」
エディにルーファスの件は伝えていない。聞かなかったことにするのなら、伝える必要はないと判断したためだ。
ファジュルに平手打ちをされたこと、ナリトとクレイグに上を取られてしまったことは話している。その時のエディは疲れた様子でこめかみを抑え、義父と同じ反応をしていた。
――ちょっとウォーガン様に似てきた?
「私は大丈夫だから。ほら、騎士宿舎に移る準備をしよう!」
なおも納得していない弟を安心させるため、ジルは笑んでみせた。この寄宿舎は主に神官見習いや小姓、下働きの者が居住している。従卒となったエディは所属が変わるため、部屋を出なければならなかった。
「騎士宿舎に入れるのは、一日前からだよ」
「そうなの? それじゃあ、まだ一緒にいられるんだね」
「……姉さん、神官試験忘れてない?」
試験を受ける前から、今年もジルの不合格は決定している。二度続けて試験に落ちる者は滅多にいない。悪目立ちしてしまい兼ねないけれど、ジルは優秀な生徒とはいえない。それほど不審に思われないだろうと考えていた。
「もちろん覚えてるよ。でも、今はエディの方が大事!」
「っわ……もう……」
ジルはエディに抱きついた。いつものように、二人して寝台に倒れ込む。一緒に暮らせる日が残り少ないからか、今日は自分の寝台で寝てとは言われなかった。
おめでとう、頑張ってねとひとしきり弟の頭を撫でてから、ジルは部屋の魔石ランプを消した。
――ごめんね。
エディが従卒に就いた六日後、ジルは弟に成り代わる。
◇
月影で染めたような姉の髪は、夜目にもはっきりと見える。それは自分の髪にも言えることだけれど、ただの銀色にしか映らず、これといって感じるものはない。
エディはかすかな呻き声で目を覚ました。隣を見れば、姉がはらはらと泣いていた。
また、悪い夢をみているのだろう。
昔、驚いて揺り起こしたことがあるけれど、忘れたと言って内容は教えてくれなかった。泣きやませる方法は知っている。エディは苦しそうに握られた姉の手を取り、自分の頬に添わせた。
「僕は、ここにいるよ」
「……よかった」
伏せられたまつ毛に留まっていた涙が、ひとつ落ちた。固かった姉の手はゆるんだ。今は存在を確かめるように、エディの頬を撫でている。姉は夢のなかでいつも、弟の自分を探しているようだった。
――僕が、姉さんを置いていくはずなんてないのに。
姉が成人を迎えた日、エディは弟離れさせようと考えていた。これからは自分の寝台で寝るようにと注意した。けれど無駄だった。むしろ姉は、これまで以上にくっついてきた。
これでは、いつまで経っても自分は姉離れができない。
従卒になったのは失敗だっただろうか。魔法の使えないエディが、神殿騎士団に居続けるのは難しいと分かっている。だから少しでも力をつけ、時期をみて姉と同じ任地への転属願いを出すつもりだった。
――ひとりで、大丈夫かな。
苦しそうだった姉の息遣いは、穏やかなものに変わっていた。涙で濡れて顔に張り付いていたひとすじの髪を、指先で払う。強くこすらないように目元を拭ったら、エディはやわらかな姉の手を握り、再び瞼を閉じた。




