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傾界の聖女  作者: たま露
【教会領 編】
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76 熟練度と好感度

視点:ウォーガン

 ジルとの話が終わったのは、時計が十時を過ぎたころだった。朝の早いエディは寝台に入っている頃合だろう。


 教会領の治安はすこぶる良い。いつもなら寄宿舎までジル一人で帰しているが、今日は一人歩きさせる気にはなれなかった。


 常夜灯をたどり、闇夜から浮き上がった並木道を進む。ウォーガンの隣を歩くジルの様子は落ち着いている。恐れていた事態にはならないと分かり安心したのだろう。


「ジル、このまま稽古を続けていいのか?」

「私はまだ大剣をいなせません」

「護衛騎士の条件は、戦闘熟練度なんだろう?」

「そうですけれど……何か問題でも?」


 なまじ知識があるからこそ、自分は対象外だとジルは考えているのだろう。好意を寄せられる可能性など、微塵も考えていない顔で聞き返してきた。


「今後は都合がつく限り稽古してやる」

「本当ですか!?」

「ああ、覚悟しておけ」

「はい!」


 ジルを鍛えなければラシードに斬られ、ジルを鍛えればラシードの好感度が上がる。


 親の心など知らぬとばかりに義娘は嬉しそうに笑んでいる。仮にジルの熟練度を二十とするなら、ラシードは三十だ。大剣の一振りをさばくには、あと五つは上げておきたい。


 ――熟練度と好感度の我慢比べか。難儀な。


 ラシードがジルの存在を認識しているのは間違いない。倒れたジルを介抱したのがラシードだと聞いたとき、ウォーガンは驚いた。


 相手が民間人なら当然助ける。だが、今日のジルはエディの外套を着ていた。待命中とはいえ従卒だ。常なら鍛練不足として捨て置き、手当は夜番の騎士に投げただろう。


「ウォーガン様、今日はありがとうございました」

「ああ、気にせずいつでも来い。しっかり休めよ」

「はい。おやすみなさい」


 寄宿舎の前に着き、就寝の挨拶をして二人は分かれた。扉が閉まるのを確認し、ウォーガンは踵を返す。復路でもやはり、今後のことが気になった。


 次代の聖女と親密になる相手だからと、ジルは大神官達から向けられる欲心に気が付いていない。


 ファジュルは情報が少なく、まだ判断できない。忠誠を捧げたルーファスが、ジルに危害を加える可能性は低いだろう。ナリトは外堀を埋めるまで手は出さないと思っていたが。それでも従者が目を光らせているなら間違いは起きまい。


 ――問題は、土の大神官様だ。


 ジルから状況を聴いたとき、ウォーガンは頭痛を覚えた。


 クレイグの意図に反して笑い続けていたからこそ躱せたのだろう。あそこでジルが恥じらう素振りのひとつでも浮かべていたなら、手を食べられるだけでは済まなかったはずだ。


 故にウォーガンは、義娘に何も言わなかった。心理を説き下手に意識させるよりも、気が付かぬままにしておく方が安全ではないかと考えたのだ。


 ――無意識に煽ってくるのは……どうにもならんだろうな。


 肺腑の底から息が出た。ジルに危機感を持たせようと組み敷いたというのに、切なげに手を伸ばされては堪ったものではない。親であることを誓ったウォーガンでこれなのだから、年若い者なら欲に吞まれても不思議はない。


 しかし当人にその気はないのだ。大神官に対して、少々同情心が湧いた。


 ◇


「やった……できました!!」


 演習場の外れで快哉が上がる。


 大剣を弾いたジルの手には、しっかりと長剣が握られていた。強化魔法こそかけてはいないが、手心は加えていない。


 成長ぶりにウォーガンは舌を巻いた。大神官総会の一件から二ヶ月しか経っていない。


 ジルはこれまで正面から受けていた剣戟を半身に切った。そこから体幹の使い方、重心移動が格段に上手くなった。


 今のジルは副隊長、聖魔法を解放したなら隊長格にも匹敵するだろう。どこまで強くなるのか試したい武人と、これ以上鍛えていいものかと悩む親心が押し合う。


「上出来だ。これ以降は気の制御に集中しろ」


 身体技能は一区切りとし、ウォーガンは精神力の向上に重きを置くことにした。頑張ったなと、達成感に頬を緩ませたジルの肩を軽くたたく。


「私の気配、まだ読み易いですか?」

「顔がな。エディはそんなに出さないだろう」


 先ほどにしてもそうだ。ジルの表情はくるくるとよく変わる。弟の恰好をしている時は抑えているようだが、時折剥がれる。


「稽古中は俺の前でもエディとして振舞え」


 儀式随行中に入れ替わりが露見するのは、多方面にわたって致命的だ。併せて、無意識の煽りがこれで少しでも改善されれば、ウォーガンにはそんな思いもあった。

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