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傾界の聖女  作者: たま露
【教会領 編】
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74 見守りと見返り

視点:ルーファス◇クレイグ

 ルーファスは宿泊棟の一室にいた。


 聖女との謁見後、挨拶に訪れた礼拝堂で馴染みの司教と話し込んでしまった。話題の大半は民の救済に関してだったけれど、司教補を辞退したことに話が及ぶとは思っていなかった。


 難民のことを憂うなら司教補を受けるべきだと諭された。ルーファスは風の大神官であるため、発言力は大司教と同程度だ。しかしそれは外部からの意見、浄化能力の監査といった面が強い。そこに教会内での地位を加えれば、大規模な救済措置も進めやすくなるだろう、と馴染みの司教は言った。


 ――それもいいかもしれない。


 去り際に見上げた彼女の瞳には動揺が浮かび、肌は青ざめていた。


 追いすがり想いを重ねたかった。しかしあの様子では恐怖を与えるだけで、聞き入れては貰えないだろうと諦めた。この状態が続くなら宿屋の手伝い、その先の女主人など頷いてくれるはずもない。


 ならばこのままソルトゥリス教会に所属し、神官となる彼女を見守り続けるのもいいと思えた。宿屋の仕事は好きだ。けれどルーファスのなかで彼女の存在は、なによりも大きくなっていた。


 三年前、洗濯場で商人と対峙していた彼女は幼くも凛々しかった。一年前、演習場で大神官や騎士達をたしなめる姿には、抗いがたい魅力を感じた。


 そして、今日の大神官総会だ。火の大神官に毅然と立ち向かい、自分が傷ついても構わず受け入れた彼女には、救いの何たるかを教わった気がした。


 ルーファスの背を押し、導いてくれる女神のような存在。そんな彼女が悲しんでいる。人に嫌われるのは怖いと話すのに、嫌われてもいいとルーファスを案じ、厳しい言葉を紡いでいる。


 ――堪えられなかった。


 自分はなにがあろうと彼女を嫌ったりしない。傍にいたい。彼女に対する想いが溢れ、気が付けば我が君と呼んでいた。


 疑う彼女に想いを示すため跪いた。許されるなら靴の上からではなく、直接その身に誓いたかった。


 ――たとえあの場で蹴られたとしても、厭うなんてありえない。


 次に逢ったとき、彼女からどんな目や言葉を向けられるのだろうか。東屋で外套を分け合った時のように、微笑んでくれるだろうか。猜疑や軽蔑、あるいは取り合ってすら貰えないかもしれない。


 それでもルーファスは構わなかった。彼女の教えに従い、行動を起こしたのだから。


 ルーファスは西棟の方へ一度視線を向けたあと、寝台に入った。予定がずれ込んでしまったけれど、転移陣を使えば風の聖堂にはすぐに着く。


 教会領で眠るか、リングーシー領で眠るかの違いだ。明朝、礼拝堂に行けば彼女に逢えるだろうか。そんなことを想いながら、ルーファスは瞼を閉じた。


 ◇


 意地になって帰ると宣言したあと、クレイグは転移陣で土の聖堂に戻っていた。


 転移陣は大神官より上の役職しか利用できない遺失魔法だ。一方通行のため、他領からリシネロ大聖堂へ転移することはできない。聖女と一緒であれば双方向も可能らしいが、考えても仕方のないことだ。ここに聖女はいないのだから。


 土の聖堂に設けられた大神官の居室で、クレイグは不貞腐れていた。窓際に置かれた椅子に肘をつき、どこともなく睨みつける。


 義父に膝枕を怒られたと言っていたから、少しは変化があったかと期待していた。なのに神官見習いは、何も変わっていなかった。


 まだ満足はしていないが、身長は神官見習いよりも高くなった。体をさらえるだけの腕力もある。


 大神官総会での苛立ちも手伝って押し倒してみたら、神官見習いはこれまでと同じ。警戒心の欠片もなくクレイグに微笑んできた。


 貰ったという菓子を大事そうに持っていたから、手ごと食べてやった。それでも神官見習いは笑うばかりで、顔色ひとつ変えない。ムキになっている自分の方が馬鹿みたいだと思った。


 そんな時にクレイグは、不意を突かれてしまった。


 ――なんでこっちが赤くなってるんだ。


 拗ねているのかと問われ、子供のような態度をとっている自分に恥ずかしくなった。これではいつまで経っても、弟の枠から抜け出せない。


 だからクレイグは考えた。聖女を支えろと言うなら支えてやろう。ただし、見返りもなく神官見習いの言うことを聞く必要はない。自分が帰ると言った時に、引き留めなかったのも気に入らなかった。


 ――弟だと思ってるならそれでもいい。


 自分は大神官で相手は見習い。試験に合格しても神官どまりだ。立場も利用すれば優位に立ち回れる。クレイグは目を細め、ひとつ鼻を鳴らした。


 窓の外には、神官見習いの髪色に似た月が皓々と浮かんでいた。

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