71 外套と声
二人は中庭に建てられた東屋にいた。円みを帯びた屋根は二年前と変わらず白く、色褪せていない。周囲の木々は夕陽に照らされ、影を落とし始めている。
「体が冷えてはいけませんから」
ジルの肩にルーファスの外套がかけられた。
二年前のお返しですと笑むルーファスにつられて、ジルも微笑む。それならと席を立ち、ジルはルーファスの隣に座った、肩にあった外套を下ろし、互いの膝にかける。
「これで一緒ですね」
くすくすと二つの笑いが零れた。やわらかな若葉色の瞳に、ジルは元気を貰った気がした。その瞳が不意に近くなる。ルーファスに顔を覗き込まれていた。
「頬は痛みませんか?」
「大丈夫です。ご心配をお掛けいたしました」
ジルの答えに、飴色の眉が開いた。ほっとした表情で姿勢を戻したのも束の間、ルーファスは再び眉尻を垂らしている。
「大神官総会ではご迷惑をお掛けしました」
「リンデン様が謝ることでは……」
「あの場は、僕が収めなければならなかったのです」
在任期間は火の大神官のほうが一年長いけれど、当事者だ。だから第三者で二番目に長く在任している自分が仲裁するべきだったと、ルーファスは話した。
「……人に嫌われるのが、怖いですか?」
ジルの唐突な質問に緑の瞳が揺れた。ルーファスはやさしい。だから相手を傷つけまいとして、厳しい言葉を言えないのだ。
でも、甘いとやさしいは似ているようで違う。同じような状況になったとき、ルーファスは行動を起こせるのだろうか。
「私は怖いです。先ほども、身に過ぎた発言をして嫌われてしまいました」
「それは」
「でもそれで構いません。何もしない後悔より、ずっといいから」
ウォーガンを信じて夢の話をしたことで、ジルの心はぐっと軽くなった。従者の入れ替わりが成功したとき、エディにはきっとすごく怒られるだろう。
先ほどのクレイグに対しても、後悔はしていない。聖女を支えることで生界は安定し、民は安寧を得ることができるのだ。自分に対する好感なんて取るに足らない。
――ヒロインにとっては最重要だけど。
治世を長く続けるには、心の安定が必要不可欠だ。攻略対象達にはぜひ、聖女を末永く支えて欲しいとジルは思っている。
「リンデン様、言葉で悔いるだけなら簡単です」
ルーファスは両目を閉じつらそうな表情を浮かべていた。苦しめたいわけではないのだけれど、ここで引いては説得力がなくなってしまう。ジルは背筋を正し、あえて厳しい口調を意識する。
「それをどう生かし行動するのかを、お考えください」
隣から息を呑む気配がした。口にした言葉は自分に返ってくる。ジルもルーファスに恥じない行動をとらなければと、心に刻む。
気が付けば空には星が瞬いていた。エディが心配しているかもしれない。ジルは膝にかけた外套を返そうと掴んだ。
そこで違和感を覚えた。
教会領にいるとき、いつもルーファスは法衣しか着用していない。では何故、今日は外套を着ていたのだろうか。背中に嫌な汗が滲む。
「……もしかして、帰領されるところだったでしょう、か?」
「声をかけたのは僕からです」
飴色の眉を垂らして、気にしないでくださいと笑んだルーファスの声は、弱々しかった。
偉そうなことを言っておきながら、迷惑をかけているのはジルの方だった。それにルーファスは、気落ちしていた自分を心配して声をかけてくれたのではなかったか。
――穴があったら入りたい。
ジルは東屋の椅子から飛び上がり頭を下げた。
「大変申し訳ございませんでした! 私は今日のことを生かし、今後は勝手に喋りません」
「嫌です」
――いやです?
ジルはルーファスに手を掴まれていた。包み込むように合わされた手のひらには、熱が籠っている。頭を下げたままそろりと腕の先を辿れば、濡れた緑葉の瞳がジルを見上げていた。
「もっと貴女の声を聴かせてください」
懇願するような眼差しに驚いて、ジルは身を引いてしまった。けれどルーファスの手は固く、離れない。
「僕は嫌ったりしません」
「リンデン様?」
「ルーファスとお呼びください、我が君」
風の大神官は穏やかに笑んでいる。それはジルも知っている顔だ。ふざけているようにはとても見えない。では、夢でもみているのだろうか。
「失礼ですけれど……お相手を、間違っていらっしゃるのでは?」
大神官総会や聖女との謁見があったから、きっと風の大神官も疲れているのだ。誰かと見間違えているに違いない、とジルは思いたかった。




