66 協力と貴賓室
ジルは自室で自己回復をして、食事をとった。
ナリトから貰った箱のなかには、初めてみる菓子が入っていた。甘い香りを漂わせた茶色の粒は、指でしっかりと摘まめる。なのに、舌の上にのせると途端に消えてしまった。
甘い刺激がとろりと染みこむ。口福な余韻に、ジルの頬はゆるみっぱなしだった。
――危ないものとか、入ってないよね?
エディの分は残してあるけれど、気が付けばジル一人で半分以上食べていた。甘い粒を一つ食べるたびに、これで最後にしようと思った。けれど、手が止まらなかったのだ。
中毒性のある材料が使われているのではないか。そう心配してしまうのも仕方がない。とはいえ、タルブデレクの領主から頂いた菓子だ。ジルは安全なものだろうと結論づけた。
――何かお礼がしたいな。
菓子折りを貰うとき、ナリトはいつも教会領にいなかった。けれど今はリシネロ大聖堂にいるのだ。さらに今日の講義は免除になったため、時間は余っていた。
せっかくならナリトが喜ぶものを返したい。そう考えたジルは頭を捻った。ゲームの知識を総動員して、導き出した答えは。
――カライト様に訊いてみよう!
ナリトが喜ぶような、好きなものは思い出せなかった。
新しい聖女はナリトの好きなものに違いない。とはいえ、ヒロインを捕まえてくるわけにもいかない。ここには兄弟のようにして育った側付きもいるのだ。ユウリに訊けば間違いはないだろうと、ジルは聖堂棟に向かった。
◇
「喜ぶものですか?」
ナリトの従者であるユウリは、聖堂棟三階の控室にいた。謁見の終了予定時刻が近いとのことで、ちょうど部屋から出てきたところだった。
控室にはファジュルの付人もいた。護衛も兼ねているであろう偉丈夫は、ジルを一瞥して歩いて行った。扉のそばで主人を待つのだろう。ジルとユウリは今、控室の前で話していた。
「ご存じないでしょうか」
「ハワード神官見習い様なら……いえ、」
ユウリは途中で言葉を止め何やら考えている。自分ならの続きは何だろうか。ジルが窺っていると、藍色の目がにこりと微笑んだ。
「それでしたら、褒めてあげてください」
「褒め、る?」
主は日々の睡眠時間を削り魔物の対応、政務にあたっているとユウリは話した。
それは領主として当然の行いであるため、褒める者などいない。主も当たり前のこととして務めている。けれど、精神は確実に消耗しているのだ。と、ナリトの側付きにジルは切々と語られた。
今のユウリは、弟の体調を心配する兄の顔をしている。ユウリは弟を愛する同志だ。ジルとしても役に立てるなら協力したい。
「でも、神官見習いが領主様を褒めるなんて……不敬ではありませんか?」
「そんなことで怒るほど、狭量ではありません。それはハワード神官見習い様も御存じでしょう」
ユウリの言葉には説得力があった。
一年前、ジルはタルブデレク大公の行いに物申している。けれど今日まで、なにもお咎めはなかった。それどころか美味なるお菓子を頂戴する始末だ。
ユウリを助けたとはいえ、それは三年も前のことで。自分は貰い過ぎではないだろうかという懸念が拭えない。
「それでお礼になるのでしょうか」
「私が請け合います。主の貴賓室にご案内しましょう。そちらでお待ち下さい」
「今からですか?! 疲れていらっしゃるのでは」
「だからこそです」
◇
二階の貴賓室に、ジルは一人でいた。ユウリはジルを案内すると、主を迎えるため三階に戻って行った。
聖堂棟に宿泊施設はない。貴賓室は身支度を整えたり、休憩をするために設けられた部屋だ。その室内に置かれたソファでジルは、身を小さくしていた。貴人を持て成すためのソファはやわらかで、体を包むようにゆっくりと沈み込んだ。
――落ち着かない。
座っているソファもそうだけれど、備え付けられたテーブル、鏡台、クローゼットなど調度品はどれも上等で、隅々まで磨き上げられている。
キャビネットに飾られた花瓶には怖くて近づけなかった。誤って壊したとなれば、ジルには弁償のしようもない。足元に敷かれた絨毯はふかふかで、靴底をつけている今でも踏むのが勿体ないと思っていた。
所在なくそんなことを考えていると、扉が叩かれた。ジルは部屋の主ではないけれど、ここには一人しかいない。ソファから立ち上がり、控えめにどうぞと答える。
「待たせてしまったかな」
開いた扉から光が差したように、視界が明るくなった。




