64 厄日と大神官
――厄日だ。
ジルを呼びに来たユウリは扉を開けると室内へ一礼し、流れるように去って行った。
ユウリにはナリトの遣いで来たとしか言われていない。ジルは室内の顔触れを見て、すぐに引き返したくなった。
部屋の前から動かずにいると、近づいて来た水の大神官に誘導され扉を閉められた。円卓の近くへと促されたけれど、少しでも離れていたいジルは恐れ多いと固辞した。
「講義中だったのに来てくれてありがとう」
「本日の講義は免除となりましたので、お気になさらないでください」
ジルは先ほどまで教養の講義に出席していた。午後からはお茶の作法を習う。そのとき、お菓子が饗される予定だった。ナリトへ返す言葉が、少々冷たくなってしまうのも仕方がない。
「夕刻に訪ねようと思っていたんだけど、確認したい事ができてしまってね」
まさかクレイグが失礼な事をしてしまったのだろうか。ジルは円卓に座った土の大神官へ顔を向ける。するとクレイグは目が合うや否や、不満げにジルから顔を逸らした。
「ジル嬢はクレイグ大神官と顔見知りなのかな?」
「ひと時ですけれど、聖典を読むお手伝いをしていました」
「ではファジュル大神官とは?」
「先日、初めてお会いいたしました」
「その時、騒ぎがあったと聴いたけど違いない?」
「はい?」
なぜ大神官総会でそんな話が出るのか、理解できなかった。
生界の現状に関して、もっと有意義な話し合いが行われているとばかり思っていた。ジルは二の句が継げなかった。クレイグはまだ顔を背けている。ならばとジルは、足を組んで傍観者を決め込んでいた火の大神官をじっと見た。
「アタシは事実しか言ってないよ。それに、取引内容は話せない」
「こんな調子でね。ジル嬢に確認をしたかったんだ」
「商談中、驚くことがあり……。それを心配して、土の大神官様がいらしてくださいました」
「どうして驚いたのかな?」
「取引に抵触するため、ご容赦ください」
ルーファスは三年前におきた、商人とのいざこざを知っている。ここに居るのが風の大神官だけならば、話す選択肢もあった。けれどそうすると、相談内容を話すことになってしまう。本当になぜあんな事を口走ってしまったのか。ジルは胸中でため息をついた。
「クレイグ大神官からは何かあるかな?」
「見習いがそう言うんなら、そうなんだろ。オレとは大違いのアンタ等には嘘をつかないさ」
「ははあん、他の男を褒めたから拗ねてるんだね」
ファジュルはくつくつと喉を鳴らしている。ジルは、自分が呼ばれる前の流れを垣間見た気がした。
「ジル、なんて褒めたんだい?」
「尊敬する方々だと申し上げました」
「「それは本当?」ですか?」
二重奏が聞こえた。青と緑、二対の瞳がジルを見ている。嘘偽りのない本心だ。ジルはナリトとルーファスに頷いた。そのとき、円卓の方から鼻を鳴らす音が聞こえた。手のかかる子ほど可愛いとは、こういうことだろうか。
「土の大神官様も、尊敬申し上げておりますよ」
橙色の瞳がジトり、とこちらを見た。まだ怒っているようだ。
クレイグが周囲の期待に応えようと努力していることを、ジルはゲームの知識から知っている。なのに昨日は感情的になってしまい、失念していた。
「大神官様、そして自警団の一員として、民を護ってくださっているのですから」
ジルは初めて扉の前から移動した。円卓に近づき、土の大神官に頭を下げる。
「昨日は私が言い過ぎました。申し訳ございません」
「女に謝らせるなんて、まだまだ子供だね」
クレイグが言葉を発する前に、ファジュルから茶々が入った。ジルは、これが混乱の元なのだと理解した。姿勢を戻したジルは、自分に非があったのだとクレイグに微笑んだ。気にしないでくださいと付け加え、ファジュルに足を向ける。
「火の大神官様こそ、子供のようですよ」
「へぇ、面白いことを言うね」
ファジュルの口角は上がっているけれど、赤い瞳は笑っていなかった。止めようと近づいて来たナリトを尻目に、ジルはファジュルの前に決然と立つ。
「自分に構って欲しいから、揶揄ったりするのでしょう? お腹が空いたと泣く赤子と、何が違うのでしょうか」
ジルが言い切るが早いか、ファジュルの手が大きく振り上げられた。




