63 政務と自戒
視点:ユウリ◇ルーファス
大神官総会の最中に呼び出しを受けたのは初めてだった。すわ有事かと主の許に侍ったユウリは、安堵と呆れに肩を落とした。
――また怒られるんじゃないかなあ。
タルブデレク大公の従者であるユウリは、少女がいるであろう講義室に向かいつつ、小さくため息を吐いた。
◇
「また見てるんですか」
「私には癒しが足りない」
少女と出逢った三年前から、主は寡婦や令嬢からの誘いを全て断っている。婚約者は今日までいない。幼少時の縁談はすべて第二夫人、実母に潰されていた。
「それでは、疲労に効く香草茶を淹れましょう」
政務机には、被災報告、嘆願、治水や修繕見積、予算編成、人事決裁などなど、様々な書類が積まれている。主は優先度の高いものから処理し、仕事を溜めたりはしない。だが持ち込まれる案件のほうが多いのだ。ここ一年は、睡眠時間も削って政務にあたっていた。
「来月の大神官総会ですが、二日前の到着に調整しましょうか?」
主の手元には、一枚のハンカチーフがあった。その贈り主に逢いたいだろうと推察し、ユウリは早めに出立するか問うた。
「早く出られるならそうしてくれ。だが到着は当日でいい。視察したい領地がある。迂回になるがそちらへ寄る」
「畏まりました」
ユウリは左手を腹部に右手を後ろに回し、タルブデレク大公へ頭を下げた。
あのハンカチーフは二年前、少女から贈られたものだ。菓子と長剣に対する謝辞に同封されていた。ハンカチーフには少女の名と、シャハナ家の刻印を模した刺繍が施されていた。巧とは言い難いできだったが、味のある仕上がりをしていた。
――世の倣い通りなら、試験の合否を待たずとも進められるが。
ハンカチーフに己の名を刺すのは、無事の祈願のほか、自分の代わりに連れて欲しいという意味合いがある。未婚の女性が刺繍入りのハンカチーフを渡すことは即ち、自分を傍に置いて欲しいという誘いだ。
しかし少女は、その倣いを正しくは理解していないだろう。それは主も気が付いている。そこに面倒な思惑がないからこそ、純粋に喜ぶことができたのだ。
――演習場で怒られたのも効いてるな。
ユウリはナリトの側付きだ。下がっていろと命じられたため、あの時は付かず離れずで控えていた。主が怒られる姿など、領主になってからは見たことが無かった。昔はユウリもナリトを叱ったものだが、知恵の働く弟分は年々立ち回りが上手くなっていった。
「何を笑っている」
「ハワード神官見習い様、ウチに来てくれるといいですね」
水の大神官は教会領に、任地聖堂への召致申請を出していた。それは、神官見習いの少女が合格するまで続けられるだろう。
少女がタルブデレク領を選んでくれたなら、ナリトが道を外すことは無いだろうとユウリは考えている。それに、肩の荷が少し軽くなる、とも。
◇
ルーファスは大神官総会の前日に教会領に入った。
護衛の衛兵と別れ、リシネロ大聖堂で祈りを捧げたあと、宿泊棟へ向かう。
今日も彼女は書庫に居るのだろうか。思わず西棟を振り返ったルーファスの視界に、火の大神官が飛び込んできた。声をかけるには距離が遠く、その姿はすぐに建物の中へ消えてしまった。
商会長として領内外を飛び回っているファジュルが、用もなく前入りするとは思えない。何か取引でもあるのだろうと推測した。
宿泊棟の一室で荷解きをしながら、ルーファスは道中の様子を思い返していた。教会領から離れるほど魔物の被害は大きい。土地を追われた民衆は、魔物から逃れるように少しでも教会領に近付こうと寄り集まっていた。ここから一番近い宿場も同様で、避難者と参詣者でごった返していた。
――僕は何かできているのだろうか。
リングーシー領に上級ランクの魔物が出たと報告を受ければ、自身も参加し神殿騎士団を援護した。中級や低級ランクは一人でも赴いて討伐を繰り返した。それでも魔物は一向に減らない。
一年前に神殿騎士団の演習場で彼女から言われた言葉は、自戒となっていた。
生界の不安定は増すばかりだ。今は私情を優先するべきではない。そう決意したルーファスは、今年は彼女と逢わずに帰領しようと考えていた。
◇
それなのに、今から議場に彼女を呼ぶという。
先ほどナリトの従者が出て行ったから、遠からずやって来るだろう。わざわざ大神官総会で話す内容ではない。総会は閉幕とし、自分は退出することもできた。
しかしルーファスは、それを選べなかった。
火、水、土。三人の大神官の中に、神官見習いという立場の低い彼女を残しておくのは、危ういと感じたのだ。
そして、扉から入室許可を求める規則正しい音が聞こえてきた。




