57 自信と弱点
「ご苦労。今日はもういいぞ」
扉前で控えた騎士に変わったことは無いかと訊ねたウォーガンは、夜番を下がらせた。
声が漏れづらいとはいえ、執務室は完全防音ではない。念を入れて人払いしたのだろう。敬礼し辞去する夜番に、ジルは会釈をして見送った。
執務室に入ったウォーガンは壁に大剣を立てかけ、応接用のソファに腰を下ろした。ジルもならい対面側に座る。
「精神の安定だったな。が、その前に遅刻の理由を聞こうか」
「寝過ごしました。ごめんなさい」
「……昼寝にしちゃ遅い時間だな」
ジルは土の大神官とデリックについて話した。クレイグのことは当初、迷子少年に聖典を教えているという認識だったため、ウォーガンには伝えていなかった。その後、土の大神官だと判ったので、今日の稽古で話すつもりだった。
ジルが話を進めるにつれてウォーガンの顔は渋くなり、今は目をつむって両腕を組んでいる。
「すまん。書庫にいるとデリックに話したのは俺だ」
深いため息が吐きだされた。副隊長への昇格日が決定したと伝達したとき、デリックはあの日のことをジルに謝りたいとウォーガンに訴えたそうだ。寄宿舎へ行かせる訳にもいかず、書庫を伝えたとのことだった。
「気にしないでください。それに、お応えできませんでしたし……」
「それだ。あいつは俺に謝罪したいとしか言わなかった」
ウォーガンは口の端を上げて笑っていた。けれど、安心感やあたたかみを覚える焦茶の瞳が、今は棘のように鋭く尖っている。
ジルは思わず両手を握った。デリックの昇格がまた延期になってしまうのだろうか。心配の目をウォーガンに向ける。自分が関わらなければ、今頃はもう副隊長だったのに。そんなジルの胸中を察したのか、ウォーガンの空気が緩んだ。
「昇格の再延期はない。だが副隊長になるんだ、それなりの鍛錬は積んでもらう」
ほっとしたのも束の間、続いた言葉にジルは何も返せなかった。神殿騎士団内のことに口を挟むことはできず、心の中でデリックに応援を送る。
「土の大神官様については」
そこでウォーガンは言葉を切った。探るような、呆れたような視線がジルに刺さる。何を言いたいのか分かった気がしたジルは、口を尖らせながら先に答えた。
「迷子を保護するのは人として当然です」
「それは同意しよう。だが、膝枕は不適切だ。講義に淑女教育は含まれてないのか?」
「ぅ……お、弟みたいで」
「何歳であろうと他人だ。今後は控えろ」
「はい」
ジルは自分の軽率さを恥じて項垂れた。ウォーガンの眼差しは真剣で、心配ゆえの言葉であるとよく分かった。
「土の大神官様は弟のようだと言ったな。他の大神官様はどうだ?」
「水の大神官様はお菓子をくれる良い人で、風の大神官様は真面目で優しい人です」
「ラシードは?」
「警戒対象。越えるべき壁です」
「そこだ」
どこだろうか。話の流れがみえずジルは首を傾げた。ウォーガンはソファから立ち上がり、壁に立て掛けていた大剣へ近づいた。柄に手を置き、ジルに示す。
「力み過ぎだ。だから気配も読み易い」
ゲームでエディを斬ったラシードも大剣使いだ。ウォーガンとの稽古中も常に意識している。この大剣を捌けるようにならなくてはいけない、負けられない、と。
「気配の制御には平静を保つのが肝要だ。ジル、お前はなぜ鍛えている?」
「エディを死なせないためです」
「だが、望む結果を得られるとは限らん。鍛えて得られるのは己に対する自信だけだ」
剣を振り続けた、鍛練を怠らなかった、だから自分は大丈夫だ。自信があれば心に余裕ができる、物事に動じづらくなるとウォーガンは言った。ジルは手を握り込み、唇を噛む。
「私は、まだ弱いです」
「自信と慢心は違う。謙虚に自身を見詰め、鍛え続けられるのは才能だ」
頭の上に大きな手が置かれた。剣ダコで厚くなった手のひらはゴツゴツしている。ウォーガンはくしゃりとジルの頭を撫でたあと、対面に戻り腰を下ろした。
「常に呼吸を整えるのを忘れるな。気の同化訓練にもなる」
「はい」
「ラシードに対しては、……ゲームとやらの知識で弱点は分からないのか?」
それが分かれば心に余裕が生まれるだろうとウォーガンは続けた。身体的に敵わないなら、精神的優位を得ようという訳だ。
ジルは視線を落とし、ずいぶんと薄れてしまったゲームの記憶をさらう。
覚えているのはゲームの本筋や戦闘、エディに関することばかりだ。ラシードは聖女の護衛に選ばれるだけあって、戦闘方面に弱点らしい穴はない。ヒロインとの会話は、と視点を変えたところでジルは思い出した。
「キノコ! キノコが苦手だって言ってました!」
「だからあいつ、俺が分けてやるっつっても食わなかったのか」
――それは毒キノコだったからじゃないかな。
六年前、遠征帰りに誤って毒キノコを食べお腹を下したウォーガンに、ジルは胸中で突っ込みを入れた。




