54 土の大神官 クレイグ・ミューア
視点:クレイグ
神官見習いの手を引いて、いつもの長椅子に座らせた。
クレイグは今日、聖典を持ってきてはいない。法衣の再採寸に仮止めと、書庫に行く時間が遅くなったためだ。それにもう、聖典は読み終わりそうだった。
――オレのことは弟、下手したら妹くらいに思ってるくせに。
クレイグは周囲からの評価も含めて、自分の容姿を心得ていた。
神官見習いが弟だと思っているなら、今はそれでもいいと考えていた。それなのに、疎い神官見習いが騎士から言い寄られていて驚いた。いや、疎いからこそはっきり告げていたのか。
そして気になるのは、騎士がため息のように吐いた、また大神官か、の言葉だ。他の大神官もこの神官見習いに接触しているのかと推量すれば、後発の自分は不利だと感じた。
「寝る」
「聖典を読むのでは?」
「忘れた」
書庫から騎士の気配が無くなったことを確認したクレイグは、神官見習いの膝に頭を乗せた。
自分以外の大神官は皆、年上だ。恐らくこの行為が許されているのは自分だけだろう。優位性はある。クレイグは上がる口角を長い前髪で隠し、瞼を閉じる。
しばらく動かないでいると、しょうがないと諦めたようなため息が落ちてきた。膝の動きに合わせて頭が小さく揺れる。体に掛けられた羽織は、今日も心地良い。
就寝の挨拶とともに神官見習いに髪を撫でられれば、その手を掴んで引き込みたくなった。
手を繋がれたとき、クレイグは心細さを見抜かれていて恥ずかしかった。あれで弟認定されたのだと思えば苦々しい出来事だが、気安い距離感は嫌ではなかった。
だから大神官だと知った途端に、神官見習いが壁を作ったのが、クレイグは気に入らなかった。その前に会っていた聖女も影響しているかもしれない。
とても四十九歳にはみえない姿に、女神ソルトゥリスの加護を感じずにはいられなかった。太陽のごとき金色の瞳にも、近寄りがたいものを覚えた。
しかしあれは、神々しいというものではなかった。品定めをするような、どろりと絡みつく視線。聖女の様相を思い出し、クレイグの胸に不快感がよみがえった。
――あれなんかよりジルの方がよっぽど。
あの時クレイグは、寝入るつもりなどなかった。神官見習いを少し困らせてやろうと思い、横になっただけだった。なのに、不覚にも寝落ちしてしまった。覚めやらぬクレイグの瞳に差したのは、光明だった。
金から朱に移る夕陽が輪郭を染め上げ、銀髪は光を透かし輝いていた。逆光となった紫瞳は濃く深く吸い込まれそうで、その姿を一層神秘的なものに魅せた。頭上から声と共にそそがれた眼差しはやわらかで、とても心地が良かった。
――左目に何も反応しなかったし。
クレイグは左右で瞳の色が異なる。金の髪に橙の瞳を見た者は、女神に愛された子だと褒めそやす。しかし皆、左目を見てがっかりするのだ。
だから、焦茶色の瞳は前髪で隠すようになった。
眠る時も、人前で寝ないように気を付けていた。だのに神官見習いの前で眠っていた自分に驚いて、跳ね起きた。
ずっと独りで眠っていたから、淋しかったのかもしれない。それからクレイグは拒否されないのをいいことに、神官見習いの膝を枕に眠るようになった。
ふと、瞼から透かし見える光が弱くなった。もう陽が暮れてしまったのかとクレイグは寝返りをうち、目を瞠った。
目と鼻の先に、神官見習いの顔があった。
今日は手元に本がないため手持ち無沙汰だったのか、首を垂らして眠っていた。流れ落ちた銀の髪が、クレイグの顔に当たっている。眠ってしまうほど気を許しているのだと思えば嬉しく、それだけ自分は相手にされていないのだと分かれば、腹立たしかった。
――他のヤツ等には、どこまで許してんのかな。
クレイグは腕を上げて、手の甲に銀の髪をすべらせた。そのまま手を頬に添える。この様子なら本人の知らぬ間にということも。
そう憂慮していると、神官見習いの体がぴくりと動いた。どうやら目を覚ましたようだ。クレイグは神官見習いの顔から手を離す。
驚き反射で大きく開いた瞼から、紫水晶の瞳が現れた。視線が交わったのは一瞬で、神官見習いは身を逸らし口元をぬぐった。
「起こしてしまいました?」
ほっと息をつき、ばつの悪い顔で笑っている。クレイグが触れていたことに気付いた様子はおろか、警戒心の欠片もない。神官見習いはよだれの心配でもしていたのだろう。クレイグは膝を枕にしたまま、色の異なる双眸で見上げ続けた。
「オレ以外の大神官と会ったことある?」
「え、はい」
「誰」
「水と風の大神官様ですけれど、……どうしたんですか?」
先ほどの騎士を入れて最大三人。眉間に皺が寄った。クレイグが黙り込んでいると、首を傾げていた神官見習いの顔が突如明るくなった。
「おやさしい方々ですよ。大丈夫です。ミューア大神官様なら仲良くなれます!」
勘違いされていると分かった。クレイグは人付き合いの心配などしていない。しかし否定はせず、神官見習いの話に乗った。
「ジルは二人と仲良いの?」
「……どう、でしょうか」
「なら、オレと仲良くしてよ」
クレイグは膝上から頭を起こし、神官見習いの顔を下から覗き込んだ。




