51 高慢と不機嫌
クレイグ・ミューアは亡くなった前任と入れ替わるようにして、土の大神官となった。これまで片手にしかなかった文様が両の掌に浮かび、教会に捜し出された。
ローナンシェ領で町の自警団に所属していたクレイグは、吉兆や幸運のシンボルのような存在だった。
生界で金色は、女神に愛された色として好まれている。今代聖女が金眼であることも、それに拍車をかけていた。そして夕陽が溶けたような橙色の瞳。太陽は、女神ソルトゥリスの象徴だ。
父親が自警団を取りまとめていたことも手伝って、クレイグは幼い頃から周囲に崇められて育った。それは冗談半分の可愛がりだった。けれどクレイグには分からなかった。大人達が望むように振舞い、がっかりさせまいと鍛練に励み、町の治安維持に貢献した。
――高慢……オレ様?な態度はここからきてるんだよね。
土の大神官となり、まさに崇められる地位に就いたある日、クレイグのもとに自警団から嘆願が届いた。行方不明者の捜索中に辿り着いた沼で、季節外れのカエルの卵をみつけたというのだ。
その地でカエルは多産の象徴とされており、無益な殺生は躊躇われた。そのため、魔物に詳しい者を遣わせて確認して欲しいという内容だった。クレイグはすぐに教会に依頼した。
しかし、町には誰もやって来なかった。各地で魔物が発生しており、不確定な案件にまで割ける人員は無かったのだ。
やがて卵は孵化し、町は魔物達に呑み込まれた。
土の聖堂にいたクレイグは、信仰を強要するばかりで救いもしない教会に憤慨した。そして、女神に愛された子だと崇められ驕っていた愚鈍な虚像を、嘲笑った。毎月の祈祷を怠れば自由を制限されるため、形だけの祈りを捧げた。
――ゲームの性格は粗暴で強引に迫るような、あ……素地は一緒だ。
その一年後、十六歳となったクレイグはヒロインと出逢う。教会が崇める存在に反発し、非道な仕打ちさえ行おうとした。けれど聖女はすべてを赦し、手を差し伸べた。
――私だったら剣を向けてるかも。
土の大神官と判明するまで、少年はエディと同じくらいの年齢だと思いジルは接してきた。十六歳の自分と一歳差だと判明した今、過度な接触は避けるべきかと悩んだ。のは一瞬だった。
――年下で妹……じゃない、弟みたいだから大丈夫かな。
膝を枕にして眠るクレイグが器用に寝返りをうった。側面をみせていた頭が上を向く。長い前髪が横に流れ落ち、愛らしい顔立ちがよく見えた。閉じた双眸をふちどる睫毛は長く、精巧な細工物のようだ。
クレイグが眠ってから三十分は経っただろうか。明りとりの窓から差し込む光が、朱と金に染まり始めている。
「……ん」
瞼を透かす夕陽が眩しかったのだろう。クレイグの眉が寄った。それから億劫そうに目が開く。寝惚け眼を覗き込めば、焦茶と橙、左右で異なる色の瞳が微睡んでいた。
「おはようございます、土の大神官様」
ジルは義父と同じ色の瞳に目を細めた。夕陽色の瞳も綺麗だけれど、安心感を覚える焦茶色の瞳は、ジルにとって特別なものになっていた。
――でも、土の大神官様は違うんだよね。
クレイグは魔物でも見たかのように目を見開いて跳ね起きた。ジルは落ちた羽織を拾い上げる。視線を戻せば、クレイグは背を向けて髪を整えていた。こちらを振り返った時には、左目は前髪でしっかりと隠れていた。
「見たか?」
「よく眠っておいででした」
「違っ、いや……なんでもない」
色違いの瞳に抱いている劣等感を払拭するのは、ヒロインだ。だからジルは話を逸らした。クレイグは焦りに顔を赤くしながらも、不機嫌に眉を顰めている。にっこりと笑んでいるジルを黙って見詰めたあと、視線は膝上に乗せていた羽織へと移動した。
「それ、助かった」
「勿体ないお言葉です」
「……しゃべり方戻ってないか」
「土の大神官様に無礼があってはなりませんので」
クレイグはこれまでで一番の不機嫌顔になった。口をへの字に曲げて、眇めるような眼差しをジルに向けている。
「聖典を読み終わるまでここに来いよ」
「はい。反故にはいたしません」
前日にジルが発した言葉を、クレイグは不満の滲む声で繰り返した。ジルはそれへ二つ返事で頷く。
クレイグが教会領を離れる前に、伝えなければならない事ができた。情報を伝えるのに、書庫は打ってつけだった。
――魔物は殲滅だ!




