50 神官見習いと土の大神官
「もう少しで読み終わりそうですね」
「当然だ」
少年が書庫に来るようになってから一週間が過ぎた。分厚かった聖典のページは、残り五分の一程度になっている。こんな短期間ですごいとジルが拍手を贈ると、少年はむっと不機嫌な顔になった。
「お前は毎日なにを読んでるんだ。……魔物?」
「勝手に覗かないでください」
自分と書物の間に差し込まれた金色の頭を避けて、ジルは報告録を閉じる。これまで少年は聖典に集中していたから油断していた。身を引いた少年の訝し気な視線が、ジルに刺さる。
「見習いがそんなの読んでどうするんだ」
「……いつか役に立つかな、と」
「お前が討伐するのか?」
その細腕で、と口の端を上げて橙色の瞳が笑った。筋力をつける基礎訓練もずっと行っているけれど、確かに体は細いままだった。だからジルの一撃は軽い。その分、素早さと正確さを上げるようウォーガンから指導を受けていた。魔物について調べているのも、的確に弱点を突くためだ。
「そちらはなぜ聖典を? 神官見習いにでもなるんですか?」
「そんなものだ」
「それじゃあ、私は先輩ですね」
ふふん、とジルは胸を張った。少年に対する口調はいくらか砕けたものになっていた。エディと歳が近いからかもしれない。それに、この少年はどんな表情でも愛らしいのだ。太陽のように輝く髪に、夕陽を溶かし込んだ瞳。華やかな容姿はきっと、女の子の服も似合うだろう。
――聖女様の法衣とか、きっとぴったり。
過日のように思考が漏れていたのだろうか、少年は口を曲げてジルを見ている。誤魔化すように微笑めば、少年の眉が中央に寄った。
「明日は多分遅くなる」
「大丈夫ですよ。明日も明後日も、聖典を読み終えるまでお付き合いします」
任せてくださいと次は心から笑めば、少年はやはり不機嫌そうに鼻を鳴らして聖典に視線を戻した。
◇
時間はいつもより三十分遅い程度で、陽が沈むまで一時間は残っていた。その日、少年はぐったりと疲れた様子で姿を現し、ジルの隣にどさりと座った。
「お疲れですね」
「朝から採寸されて……さっきまで聖女に会ってた」
少年の言葉を聞いてジルは目を瞠った。聖女に謁見できるとなれば、それなりの身分どころではない。もしや大変な不敬を働いているのでは、と嫌な汗が流れる。
「失礼ながら、お名前をお伺いしても宜しいでしょうか……?」
「クレイグ・ミューア。別に貴族とかじゃない」
――知ってます。知ってました!
少年は疲れて不機嫌が増しているのか、返事はいつもよりとげとげしい。しかしジルはそれよりも、別のことに気を取られていた。
この人達はどうしてこうも気軽に歩いているのか。それにゲームと性格や体格が違うではないか。確かに髪や瞳の色は同じだけれど。従者になるまで接触したくないのに、とジルの胸中は忙しかった。
「……の。ねぇ、聞いてるの!」
「え?」
「お前の名前はと訊いている」
「ジル。ジル・ハワードと申します」
「ジル、枕になれ。もう今日は読めない。寝る」
言うが早いか、クレイグは長椅子に上半身を横たえた。頭はジルの膝上にある。
金糸の髪が膝に流れる。きらきらと輝くそれは、陽だまりのようだった。灰色の裾に、陽光が差している。雲の切れ間からそそぐ光のようで、触れてみたくなった。心のままに手を伸ばせば、光芒はさらさらと心地よくほどけた。
――あ……つい触ってしまった。
少年は後頭部をこちらに向けているため顔は見えない。もう眠ってしまったのだろうか。身動ぎしない様子から、本当に疲れているのだとジルは判断した。
少年を起こさないよう、慎重に背もたれから身を起こし、自身の羽織を脱ぐ。風邪を引かないようにと、ジルはクレイグの体に羽織をかけた。
――あと一人。ここまでくると全員に遭いそう。
膝枕で眠る四人目の攻略対象、土の大神官に目を落としたあと、ジルは天を仰いだ。




