48 合否と反抗期
ジルは指先で、魔法石をそっと撫でた。茶、黒、琥珀がとろりと溶けあって、円熟味のある色を宿している。
ウォーガンから貰った魔法石は革紐を通して、ペンダントにした。首から下げておけばすぐに取り出せるし、誤って割ることもないだろうと思ったからだ。首から外したペンダントを物書き机に置いたとき、不意に声をかけられた。
「姉さん、落ち込んでないよね。神官試験、もしかして……」
神官試験の合否通知が届いてから二週間が経過していた。これまで試験について触れられなかった。だから不合格という結果に気を遣ってくれているのだとジルは思っていた。が、どうやら違ったようだ。観察するような弟の紫瞳がジルに刺さる。
「か、顔にでてないだけだよ。落ち込んでても、来年の試験に合格できるわけじゃないでしょう?」
「顔、嬉しそうに見えるんだけど……本当に、勉強してるの?」
「もちろん、これでも頑張ってるんだから」
――魔物の勉強と剣術を、だけど。
落第生となったジルは、引き続き講義を受けている。とはいえ、受講は試験科目のみに絞られ、魔力の講義は奉仕に置き換わっていた。
ちなみに九年目の試験にも不合格となると、十年目は自動的に合格となり各地の教会へ送りだされる仕組みだ。教会領は他領ほど広くない。人材の停滞を防ぐための措置だった。
「嬉しそうに見えるのは、一緒に居られるからに決まってるじゃない!」
「っわ…………姉さん、成人したんだから」
「エディは家族だからいいの」
魔石ランプの灯りを落としたジルはエディに抱きついた。勢い余って二人して寝台に倒れ込む。来年の今頃、ジルはきっと教会領にはいない。できる限り弟のそばにいたかった。
「……明日は、自分のところで寝てよ、ね」
頭の横でため息が聞こえた。ジルが今までのように接すると、十六歳になったのだから、とエディに渋い顔をされるようになった。
――反抗期ってやつかな?
エディの許可が出たことでジルは一度起き上がった。体の下に敷いていた上掛けを、二人の上にかけ直す。背を向けて眠る弟へおやすみの挨拶をすれば、これまでと同じように声が返ってきた。
◇
今日の午後講義は教養だった。ジルの不合格を知った講師に、自分の教え方が悪いからだと嘆かれたときは、流石に申し訳なくなった。
――実技は、本気で分からなかったんだよね……。
ジルは湯気を立てる熱いスープに息を吹きかけてしまい、減点されていた。それなら温度を下げて給仕してほしいと思ったけれど、それでは試験にならない。他にも隣席に話しかける順番を間違えたりしたため、減点は重なっていた。
講義が終わったその足でジルは書庫に来ていた。目的の書物を手に取り、長椅子に座る。最近はローナンシェ領で目撃された魔物の情報に目を通していた。前回読んだところまでページをめくっていると、好ましくない絵姿を目にしてしまい肌が粟立った。
「これもいるのかな……嫌だなぁ」
前回読み飛ばしたページには、ジルが苦手とするカエルに似た魔物が描かれていた。
ここは最後に目を通そうと今日も飛ばして新しいページを開く。クモやネズミ、オオカミなどに似た魔物もいた。その姿はいずれも異形で、魔法を使うと記されている。魔物の発生原理は解明されていない。生き物が大量の魔素を取り込んだ結果である、というのが通説だ。
薄暗くなり、文字が読み取りづらくなるまでジルは魔物の報告録を読んでいた。
「そこの見習い、薔薇の間ってどこ」
帰ろうと思い書庫から出たジルの前に、愛らしい人形のような子供が立っていた。陽は沈みかけているというのに、金色の髪は太陽のように輝いている。身長はジルよりも少し小さい。女の子と見間違えそうになったけれど、声は男の子のそれだった。
「ねぇ、聞いてるの」
唇をとがらせた少年は、夕焼けが溶けた瞳でジルを威嚇するように睨んでいる。左目は長い前髪に隠れて見えなかったけれど、金色に橙色。女神ソルトゥリスを思わせる色合いに、ジルは思わず見惚れてしまった。
「失礼いたしました。綺麗なお色だったもので」
「そんなのは知ってる。で、薔薇の間は」
少年はふん、と一つ鼻を鳴らした。ここは西棟で、少年が問うている薔薇の間は東棟にあった。堂内の構造に不慣れであることから、参詣者の家族だろうとジルは推測した。
「ご案内いたします」
軽く腰を折って草礼したのち、ジルは少年の手を取り東棟へ向かって歩き出した。




