43 猶父と猶子
視点:ウォーガン
ジルが目を覚ましたのは、空に月が昇り一刻を過ぎた頃だった。
身を竦ませて動かないジルの背をさすり、幼子をあやすようにぽん、ぽん、とゆっくり叩いた。
それは泣きじゃくるというには程遠い様相だった。時折漏れ聞こえた鼻をすする音と、肩の震えがなければ眠っているのかと錯覚してしまいそうだった。声を押し殺して泣くジルの頭を撫で、どうしてもっと早く話を聴いてやれなかったのかとウォーガンは悔いた。
姉弟を引き取ったのは善意が全てではない。罪滅ぼしの想いが大半を占めていた。
◇
あの日はローナンシェ大公の要請で、イーソゥルムと呼ばれる魔物の討伐に赴いていた。イーソゥルムは氷の鱗を全身に纏う大蛇のような魔物だ。魚の胸びれを大きくしたような翅をもち、低空ではあるが飛ぶこともできる。ねぐらにしていた湖は一ヶ所をのぞき篝火で囲んだ。弱点は火だと分かっていたから火魔法の使い手を多めに編成していた。
それが裏目に出た。
初めは篝火が置かれていない、神殿騎士が布陣した場所目掛けてイーソゥルムは襲いかかってきた。火魔法が使える者は攻撃し、それ以外の者は支援をおこなう。翅から放たれる氷礫の衝撃波、鞭のようにしなり打ち据えた場所から氷柱をはしらせる尾の攻撃。そのどちらにも衰えがみえ、油断していた。
イーソゥルムは篝火に突進したのだ。
そこには火を絶やさぬ為に、最低限の人員しか配置していなかった。尾で篝火そして騎士をまとめて薙ぎ払ったイーソゥルムは逃走した。手負いの魔物は行動が読みづらく、狂暴さも通常の比ではない。痕跡を辿りすぐに後を追った。
林を抜けた先に、灯りのともった家はひとつも無かった。
いや、家とすら呼べない廃屋しかなかった。暖炉やかまどらしき場所がことごとく消えていたことから、火を厭ったイーソゥルムが破壊して回ったのだと気が付いた。
追跡を止め、息のある者はいないかと救助に移行した。その時に見付けたのが、ジルとエディだった。
ウォーガンが第二神殿騎士団の団長となったのはその一年後、二十八歳の時だった。イーソゥルムの事後処理や慣れぬ団長職を理由に、姉弟と関わることは殆ど無かった。
気が付けば誕生日は三度も過ぎていた。十一歳と八歳の誕生日は遅れながらも姉弟に祝いを贈った。
◇
――なんも言わねぇからって、甘えてたのは俺の方だ。
ソファの上で毛布を掴み、覚醒しきっていない様子でジルが辺りを見回している。書類仕事をしていたウォーガンは机にペンを置いた。
「喉が渇いただろう。ちょっと待ってろ」
すぐには声を出しづらいのか、ジルは首を縦に動かした。寝ているときに絡まったのだろう。いつも綺麗に梳かれた銀の髪がよれていた。ウォーガンは執務室の外で待機する夜番に温かい飲み物を二つ持ってくるよう指示を出し、ジルの横に座った。
「エディにはお前がここにいると伝えてある」
扉の方を見てそわそわしていたジルに教えてやれば、ほっとしていた。少し腫れぼったい目元を見て、泣いていたのだと再確認した。
「髪に触っても大丈夫か?」
「はい」
怖がらせてはいけないと思いウォーガンは断りを入れた。絡まっていたジルの髪に手櫛を通す。傷めないよう慎重にほどいていると、小さな笑い声が聞こえた。
「もっと力を入れても、大丈夫です」
「抜けたら勿体ないだろう」
ジルの髪を梳き終えたころ、扉が叩かれた。ウォーガンは部屋の前でカップが載ったトレーを受け取り、今日は下がってもいいと夜番に伝えた。コーヒーは自分に、ミルクはジルの前に置いた。白い湯気がゆらゆらと立ち昇っている。
「ありがとうございます」
髪のことか、ミルクのことか。それとも別のことへか。ウォーガンはジルに飲むよう促し、自身もカップに口をつけた。喉も潤い身もほぐれた頃、ぽつりとジルが零した。
「お母さんによく、怒られてたんです。私は……役立たずだから」
「……昔からか?」
「お父さん……本当の父が、いなくなってからです。……お金が無くなって、食べる物が無くなって。稼いで来いって、お母さんに言われたのに……私、骨と皮しか無かったから」
初めて聴く話だった。ウォーガンが保護した時、ジルは八歳だった。十にも満たない子供ができる仕事など限られている。かすかに昇る湯気を探すように、ジルは冷めてきたカップを凝視していた。
「毎日続けてたら、初めて手を引かれたんです」




